七兜山無免ローヤー ~変身! 法に代わって、救済する!~
蛇蝎太思郎
第1話 無免許の法律戦士
法律に絶望しました
七兜山の上の方という、恐ろしく何もない場所で、人知れず戦い続けるヒーローがいた。
「うわああああ、こんな街、こんな大学、こんな山、全て無くなればいいんだぁ! 俺が破壊しつくしてやる!」
七兜山の一部の地域で誰かが絶望した時、そのヒーローは現れると言う。
「やめろ! 山本! お前はそんな奴じゃなかったはずだ! あんまり喋ったことはないけど……お前と俺は、共に頑張る仲間じゃなかったん……ウェッ!」
山本と呼ばれた明らかに精神に異常をきたしている青年が、制止しようとしていたもう一人の青年を殴った。尋常の力ではない。殴られた青年がコンクリートの地面に倒れ込む。その顔は悲しみのせいか、あるいは同情しているのか、山本青年と同じくらい暗かった。
七兜山の冷たい風が、山頂から吹き降りて舞う。
「山本……自分で自分を損なうな! ……お前は、そんな奴じゃないはずだ!」
「
悲しい自己申告が七兜山の空虚なキャンパスに木霊した。
七兜山には何もない。しかし大学だけがある。七兜大学である。くだらない、シケた大学である。そんな七兜大学の中でもとりわけ無味で、乾燥していて、自由がなく、意義もない場所、それすなわち「法科大学院」が、キャンパスの端の端の恥の果てに追いやられるようにして、山の上の方にあった。そこではかつての中華帝国における科挙のような、極めて非人間的で、極めて無意味で、極めて面白くもない、「法学」という化石のような学問のためのアホみたいな試験勉強が日夜行われているのである。
……確かに法律と聞けば、「えー! 弁護士ぃ」、「きゃー! 検察ぅ」、「げげっ! 裁判官!」などと世間はもてはやすかもしれない。
しかし法科大学院というのは、えー、その、まあ、学部時代に予備抜けできなかったもう若くない人間が集まる場所であって、同世代たちが社会で稼いで自立しているにも関わらず、未だにしこしこテスト勉強をしている哀しい人が集まる施設なのである。大学院などと名乗って名前だけは贅沢だが、その実は司法試験という莫迦みたいな試験に合格するための予備校に過ぎない。何もない、虚無である。
重ねて言うが、七兜山には何もない。古くは山伏や天狗が修行したとされ、源平時代には合戦もあり、幽霊や妖怪や不審者の出没情報多数、実に霊験あらたかな伝説も数多く残されているが、逆に言えばそれだけ未開発ということでもある。
一応山の上の方にも住宅街が広がっており、七兜大学法科大学院所属の学生たちもこの辺りのアパートに収監されているのであるが、この地域にはコンビニすら存在せず、チンケなスーパーと郵便局が徒歩二十分くらいの場所に並んでポツンとあるだけ。カラオケやボウリングなどのアミューズメント施設はもってのほか、飲食店や寂れたスナックすらない。どうにも若者集まる大学がある町とは思えない、完全無欠の虚無地帯である。
そして、法科大学院と七兜山、この二つの巨大な虚無が悪魔合体した結果、七兜大学法科大学院の学生はしばしば絶望する。絶望は発狂につながり、発狂は破壊を生む。破壊はさらに環境を悪化させ、学業成績は低下し、虚無はさらに肥大する。絶望はますます勢いを増して伝播し、永遠流転の繰り返し、七兜山は荒廃し、魑魅魍魎が跋扈する。
そうして七兜山に溢れた瘴気が、絶望した法科大学院生を怪物へと変えるのである。
しかし、そこに人知れず戦うヒーローがいた。彼の名は、
「山本! やめろ山本! ヤケになるな! お前はそんな弱い人間じゃないはずだ!」
「毎日毎日よぉ、民法だの商法だの行政法だの、もうウンザリなんだ! ウンザリだよ! 死ね! 滅びろ! 消えろ! もう、許してくれよぉ……立てば判例、座れば条文、歩けば教授のソクラテス! もう、もう、嫌だ! 他人の作った法律なんて糞喰らえ! 俺こそが法だ! 法なんだ! そんで、どいつもこいつも全員死刑! 民事だろうが刑事だろうが、お前ら全員死刑だァアアアアアア!」
山本青年から暗黒のオーラが溢れ出し、周囲を覆った。闇が七兜山に立ち込め、山本の姿が醜悪な怪物に変わっていく……「全て死刑にしてやる」
闇の中から現れたのは、怪人死刑男! 手に持った死刑剣を振るい、なんでもかんでも死刑と言って首チョンパしようとするシンプルにヤバい怪人である!
「死刑ィ! 死刑ィ! 死刑だァ!」
それに対するは、無免ローヤー! まだ司法試験に合格していない一介の法科大学院生が変身する、無免許の法律戦士!
「お前の法は日本国では通用しない! 変身!」
水去青年が鞄から取り出した六法を腰のバックルにあてがうと、ヘンシン、不思議な光が彼を包み込む。憲法、民法、刑法、商法、民事訴訟法、刑事訴訟法、その他各種個別法が彼を取り巻き、法の鎧となって、ヒーローを形作った。
「法に代わって、救済する!」
意味のよく分からない決め口上と共に、ドカーン、かっこいいポーズを決めた無免ローヤーの背後、七兜山頂で火薬が爆発した。いいぞ! 無免ローヤー!
怪物と化した法科大学院の学生山本、改め、怪人死刑男に、無免ローヤーが立ち向かう!
「お前が無免ローヤーだとォ? そうだったのかァ……! だが容赦はしない! 喰らえェ! 全員死刑斬!」
怪人死刑男が手に持った死刑剣を構えて駆け出した! 怒りと哀しみで磨かれた剣は断頭台の刃のごとく、無免ローヤーの首筋を冷徹に狙っている!
それに対して、無免ローヤーは腰の六法をめくった。「こいつを使う!」無免ローヤーがとある条文に触れると、六法が光を放った。
【憲法三十六条 拷問・残虐な刑罰の禁止!
公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる!】
光の中から条文が現れ、無免ローヤーを守る盾となった。「残虐な刑罰は憲法で許されない!」法の盾を構え、無免ローヤーが叫んだ!
だが怪人死刑男は不敵に笑う!
「馬鹿め! 現在の解釈では死刑は残虐な刑罰ではないィ!」
斬ッ
怪人死刑男の全員死刑斬が憲法三十六条の盾を粉砕し、無免ローヤーを切り裂いた!
「ぐはっ!」
条文の盾が光となって消えていく。切り裂かれた無免ローヤーは崩れ落ちて、七兜山の急坂をごろごろ転がっていった。無免ローヤーの「法の力」は、適切に扱わなければ効果を発揮しない。今回は何かを、誤ったようだった。
「ぐ、ぅう……し、死刑が残虐な刑罰じゃ、ない、だと……それはそれでどうかと思うんだが……」
「貴様は死刑廃止論者か、純粋な奴だなァ……しかし法務大臣配下の三看守によってェ、今も絞首台のボタンは押され続けているゥ……死刑はこの国の常識なのだァ!」
怪人死刑男が剣を揺らしながら、ゆっくりと無免ローヤーに迫り寄る。無免ローヤーもなんとか立ち上がろうとするが、ベルトにセットした六法が微妙に重くて、普段ほとんど運動をしない青瓢箪には中々キツい。腹筋ぷるぷる、息も絶え絶えである。
「絞首台なんて、残虐じゃないか……それに、人が人を殺していいものか!」
「ふん、だがァ、現在の国民感情は死刑を否定するほどじゃないィ。お前は、間違ってるんだよォ!」
立ち上がろうとする無免ローヤーの脇腹を、怪人死刑男が蹴り上げる。「ぐあっ」何度も何度も、痛めつけるように蹴りが襲った。「ぐっ、うぇっ、おええぇ……」無免ローヤーは苦しそうにうめき声を漏らした。マスクの中で嘔吐しているようだった。
しかし怪人死刑男の攻撃が止むことはない。「法律なんかァ!」怪人死刑男が無免ローヤーを蹴る「何の役にも立つものかァ!」また蹴りが襲う「その意味のない言葉の集まりでェ!」暴行は続く「身を守れるなら守ってみろォ!」無免ローヤーの頭を、怪人死刑男が踏みにじった。
無免ローヤーは地に伏したまま動かない。ほとんど死体蹴りである。事態は大阪南港事件のごとき様相を呈し始めた。「俺の前では、全員死刑だァ!」もはや人でなく、まるで単なる物体を蹴るかのように、怪人死刑男の尖った爪先が、無免ローヤーの仮面を襲った。左の複眼が砕け散って、血の滲んだ生身の半面が顕わになる。
吹き飛ばされ、力なく倒れる無免ローヤー。そこに怪人死刑男が近づいて、とどめの一撃と言わんばかりに、ゆっくりと、死刑剣を振り上げた。鋭く光る刃には、傷ついた無免ローヤーの力無い姿が写っている。
「無免ローヤー、お前はここで終わりだァ。残念だったなァ、死刑執行!」
怪人死刑男が剣を振り下ろす! 絶体絶命! 殺人が今まさに為されようとしている!
その時である! 法科大学院棟の屋上から一冊の六法が飛来して、怪人死刑男の剣を弾いた。
「何ィ! 誰だァ!」
「無免ローヤー! この救いようのない馬鹿め! 私が教えたことを忘れたのか!」
「あ、あなたは……赤原先生!」
屋上に見える黒い影、それは、無免ローヤーを陰で支えるブレーン、講義ではサディスティックな問答法を駆使して生徒が泣いても決して許さず、ハラスメントは当たり前、法律には詳しいが倫理の欠片も持ち合わせていない、しかし授業評価アンケートの直前だけはほんのり優しくなるという、あの赤原教授であった。
死刑執行の邪魔をされた怪人死刑男が激昂して、狂ったように剣を振り回す。
「この糞アカハラ野郎がァ! 誰のせいで俺が怪人に堕ちたと思っているのだァ! 貴様は死刑にしても飽き足らん! 全身切り刻んでェ、凌遅刑にしてくれようかァ!」
「私に法律でレスバを挑もうとは、何とも愚かな! 愚図め! ……だが、お前と戦うのは私ではない。さらばだ!」
そう言うと、アカハラ教授は建物の中にさっさと引っ込んでしまった。
「お前を止めるのは、俺だ!」
声が響いて、怪人死刑男が振り向くと、無免ローヤーが立っていた。傷を負っても、その眼は力強く、まだ光を失っていなかった。
「俺が法の力でお前を止める!」
「この死にぞこないがァ! 法律は人を守らねェ! 人を傷つけるだけだ! 法律を振り回す人間は須らくクズ! だから俺が死刑にしてやるのだァ! 死ねェ! 全員死刑斬!」
闇のオーラを纏い、剣を構え、七兜山の急坂の勢いのまま突進する怪人死刑男。それを迎え撃たんとする無免ローヤーは腰の六法をめくり、三つの条文に触れた。
【憲法三十一条 適正法定手続!
何人も、法律の定める手続きによらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科されない!】
【憲法四十一条 国権の最高機関、立法権!
国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である!】
【刑法百九十九条 殺人!
人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の拘禁刑に処する!】
六法が光り輝く。そうして三つの条文が光の中から顕現し、無免ローヤーの周囲を舞い、やがて一本の剣へと変わった。無免ローヤーが法の剣を構え、怪人死刑男を迎え撃つ!
「罪刑法定主義コンボだ! 犯罪と刑罰は事前に法律で定めておかなければならない! お前は法律じゃないし、お前が人を死刑に処することはできない! お前のやっていることは、単なる殺人……犯罪だ!」
「黙れ黙れ黙れェ! 俺が法だァ! 俺が法なんだァアアアア!」
衝突、重い金属音が七兜山に鳴り響いた。剣を交え、すれ違った二人、そして……
「ぐッ、がはァ……!」
崩れ落ちたのは、怪人死刑男だった。闇が祓われ、山本の姿に戻った。
無免ローヤーが振り返る。それから彼もまた、六法をベルトから外して、変身を解除した。法の鎧が光となって消える。そうして水去青年は、倒れた山本青年を優しく抱き起こした。
「確かに、法律は人を傷つける……警察や検察が冤罪で過酷な取り調べを行うこともある。クレカ会社がリボ払いで無知な人間を破産させることもある。赤原の糞野郎ように、法律知識を己が嗜虐心を満たすためだけに使う奴もいる。どいつもこいつも、死刑になっても仕方ないって、思うかもしれない。だけどさ、法を使うのは人だ。俺たちが、優しい心を持って法律を使えば、もっと善い社会に、なるんじゃないかな……?」
「俺は……そうだな……ありがとう、水去、いや、無免ローヤー!」
こうして今日も、一人の法科大学院生が、無免ローヤーによって救われたのだった。
七兜山は虚無である。法科大学院も虚無である。人間はいつだって、虚無に絶望しながら生きている。法律は無常で、人生は無意味に苦しいものだ。
しかし、無免ローヤーがいる限り、無免ローヤーが絶望と戦い続ける限り、七兜山の法科大学院生たちは負けないのである! 頑張れ無免ローヤー! 負けるな法科大学院生! もうちょっと辛抱するんだ僕たち私たち!
無免ローヤーの作る法の道は、希望に満ち溢れているのだから!
○
無免ローヤーと怪人死刑男の戦いを、遠くから観察していた者がいた。
「やっと見つけたよ、無免ローヤー。もう、逃がさないからね……」
不敵に笑うと、その影は大学の敷地内を普通に歩いて行った……
次回予告
リス! 出会い! 民法! 第二話「無免ローヤーを追う者」 お楽しみに!
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