ep.9二度目の死
一ノ瀬は再びサビタナ洞窟の中を歩いていた。
目的は洞窟内で落としたギルドカードの捜索だ。
洞窟内は奥が深く構造も複雑、小さなカード一枚を手当たり次第に捜索していてはとんでもない時間がかかる。とはいえ今回の捜索に限っていえば、一ノ瀬はある程度落とした場所に目星がついていた。
イヴに合う前に二匹の半人半蟲モンスターをうまく隠れてやり過ごしたあの場所だ。
あの場所には一ノ瀬がダンジョンに持ち込んだ荷物の大半が放置されているので、あの周辺を捜索すれば直ぐにギルドカードを発見できるだろう、と一ノ瀬は考えていた。
カードの在処に目星がついていても途中でモンスターに襲われては元も子もない。
今の一ノ瀬はイヴから貰ったボロボロ刀を一本装備しているだけで、まともな戦闘経験もない為モンスターに対して完全に無力だ。モンスターに遭遇したらその時点で引き返さざるを得ないので、そうならないよう一ノ瀬は慎重に洞窟を進んだ。
幸い目的地まで一度もモンスターと遭遇することはなく、また道に迷うこともなく目的地までたどり着くことが出来た。
一ノ瀬は散乱した荷物の山とボロボロになった鞄を見つけギルドカードを探す。ボロボロになった鞄の中にある小さなポケットを漁ると、そこには傷一つないギルドカードが入っていた。
これで少なくとも未登録の探索者だと疑われずに済む。一ノ瀬はギルドカードを鞄から取り出しポケットにしまった。
「あとは戻るだけなんだけど……やっぱ何事もなくってわけにはいかないか。」
一ノ瀬がギルドカードを見つけてすぐに、一ノ瀬が歩いてきた方向、つまりは帰り道となる方角から何かが近づいてくることを察知した。
最初はまたあの半人半蟲モンスターかと思ったが足音の種類が違う。重厚感のあり、振動を伴いながらズドンと響く大きな足音だ。足音と地面から伝わる振動はゆっくり大きくなり……
「もしかして見つかったか?」
一ノ瀬は直ぐに洞窟の奥に走って逃げる。足音の間隔がどんどん短くなっている、そして地面から伝わる振動はどんどん大きくなっている。
そのことから考えるに足音の主がこちらの方向に向かって走っている事は一ノ瀬にも容易に推測できた。
何故こちらへ向けて走りだしたのかは全くの謎だ、匂いや音で遠くから一ノ瀬のことを発見した可能性もあれば一ノ瀬とは全く関係ない理由でこちらに向かってきている可能性もある。
ただ、もし相手の目的が何であれ見つからないに越したことはない。一ノ瀬は何処か身をひそめられそうな場所を見つけるまで走って逃げることにした。
「ダンジョンに来てから逃げたり隠れたりばっかりだな、まったく。」
一ノ瀬はダンジョンに来てからいいところがない自分を少し嫌になった。
モンスターとの戦闘経験がない一ノ瀬にとって逃げる、隠れるといった選択肢は決して間違いではない。初めのうちは装備を整えて勝てそうな相手とだけ戦うことで安全に経験を積めればいい、と一ノ瀬はそう考えていた。
しかし実際にモンスターを目の当たりにして考えは変わった。
殺意をたぎらせるモンスターとの戦闘に確実な安全など存在せず、必ず自らの命をリスクの天秤にかける必要がある。
「くそっ、震えてんじゃねぇよ。」
一ノ瀬は身震いする体を必死に制御しながら走る。
一ノ瀬は三日月に為なら死んでもいいという覚悟で探索者になった。今でもその覚悟は変わらない。
だがその覚悟に体がついていかない。それは、一ノ瀬が罠にはまって瀕死の重傷を負ったことで、死に対する解像度が段違いに鮮明になっていたことが原因だった。
基本的に、ダンジョンは層が上がるごとに敵も強くなっていく。逆に言えば第1層にいるモンスターはダンジョンの中ではかなり弱い方のはずだ。
戦闘の経験値を積むなら今のうち、と頭ではわかっているのだが……
「流石に錆びた刀じゃ無謀か……早くまともな武器を買わないとな。」
一ノ瀬は速度を緩めることなく走る。
一瞬だけ足音の主と戦うことを考えた、が冷静に考えて今回の目的はあくまでギルドカードの回収。
今後のことを考えても戦闘経験は積んでおきたいが、まともな武器も無ければ相手の情報もないこの情報では流石に戦えない。それが一ノ瀬の下した最終的な判断だった。
しかし、戦いとは双方の同意によって起こるわけではない。片方でも戦意を抱いてしまえばもう片方もそれに応じざるを得ない、それが争いの本質だ。
ガッシャーーーン!!
突然大きな音し、音と同時に一ノ瀬が進んでいた方向の更に先の天井が崩落した。一ノ瀬は最初は何が起こったか解らなかったが次の瞬間には直ぐに理解した。
「あぶない!」
爆音が轟いた直後……一ノ瀬のすぐ横、胸のあたりの高さを一ノ瀬よりも大きいサイズの岩が猛スピードで飛んできて体を掠める。間一髪、何とか岩に反応出来た一ノ瀬は無傷でよけきることができた。
一ノ瀬を掠めた岩はそのまま洞窟の奥の壁にぶつかり瓦礫となって行く手を阻む。
洞窟中に粉塵が舞い散るなか一ノ瀬は岩が飛んできた方向を見る。そこには体の表面が岩で出来たゴリラのようなモンスターがいた。
このモンスターはダンジョンに無知な一ノ瀬でも流石に知っている。
「これがゴーレムか。昔テレビで見た時よりもずいぶんでかく感じるな。」
一ノ瀬は目の前のモンスターを見て冷や汗を流した。前には瓦礫、後ろにはゴーレム、もう逃げられない。
ゴーレムはバスケットボールのリングと同じくらいの背丈で体型はゴリラに近い。
特徴として際立っているのはアンバランスさを感じざるをえない程に大きい腕だ。
一ノ瀬など簡単に鷲掴みにして握りつぶせるだろう。
その巨体から放たれる威圧感は凄まじく、一ノ瀬は額に流れる汗を拭う動作にすら緊張感を持った。
ゴーレムはモンスターの中ではかなり有名な方だ。
過去にダンジョン内で取られた映像の中にゴーレムがバランスを崩してこけている瞬間があり、その映像が広まると共に"ゴーレムはドジで可愛い"と言う印象が付き大きなブームが巻き起こった。
その時期はテレビを付ければいつでもゴーレムの映像が流れていたので、ダンジョンに関する話題を嫌っていた一ノ瀬でもゴーレムのことを知っていた。
「まったく誰だ、これを可愛いとか言い出した奴は。」
ゴーレムは赤く光る目で一ノ瀬を見下ろしながら近づいてくる。そこには可愛げなど全くなく感じるのは殺意のみ。
一ノ瀬は震える手で刀を抜いた。
錆だらけのナマクラだが素手よりはいくらかマシだろう。
本来ならこんな相手とタイマン勝負など死んでもお断りしたいところではあるが、ゴーレムが放った二発の岩石によって逃げ道は完全に崩壊、封鎖されており逃げ道はない。
一ノ瀬は大きく息を吸って呼吸を整える。そしてなるべく冷静な思考を心掛ける。
一ノ瀬の勝利条件はあくまでも生存すること、何も無理をしてゴーレムを倒す必要はない。
隙を見てゴーレムの脇を抜けゴーレムがやってきた方向に走ることが出来れば逃げ切れる可能性は十分にある。
一ノ瀬は相手の隙を見逃すまいとゴーレムの一挙手一投足を目を凝らして観察する。
ゴーレムの最初の一手は突進だった。大きな雄たけびを挙げながら一ノ瀬目掛けて真っ直ぐに突っ込んでくる。
スピードはそこまで速くないものの体のサイズが大きい分攻撃範囲も大きい。一ノ瀬は全力で横に向かって跳び、間一髪のところで何とか突進を避け切った。
だが直ぐにゴーレムは反転し再び一ノ瀬目掛けて突進を繰り出した。
想像以上に機敏な動きに一ノ瀬は反応しきれなかった。
「がはっ!?」
ゴーレムの肩が一ノ瀬にぶつかり一ノ瀬は五メートル程吹き飛ばされ洞窟の壁に叩きつけられる。
何が起きたか分からなかった。
衝撃で肺の中の空気が押し出され一瞬呼吸がが止まり、それと同時に一ノ瀬の思考も一瞬停止する。
その一瞬を待ってくれる程ゴーレムは甘い相手ではなかった。壁に叩きつけられた一ノ瀬が地面に倒れるよりも速く再び巨体が突っ込んでくる。
今度は全く避けることができずゴーレムの突進は完全に一ノ瀬を捉えた。岩の体を持つゴーレムの突進をまともに喰らってしまった一ノ瀬のダメージは甚大だった。
全身は血に塗れ、刀を持っていた腕は関節と反対方向に折れ曲がり肋骨も何本か折れている。もうまともに戦える状態でなく逃げることすら厳しいと言わざるを得ない。
一ノ瀬は何とか立ち上がろうとする。まだ折れていないほうの手で刀を杖代わりに立ち上がろうとする……が足に力が入らず倒れてしまう。
もう意識を保っているだけでも精一杯だ。
ここまであっけなくやられてしまうとは考えてもいなかった。
うまく立ち回れば逃げることくらいはできると思っていた。
でも全ては自分の勘違いだった。
実態を伴った死への恐怖が一ノ瀬に襲い来る。
死ぬのは怖い、もちろん怖いがそれ以上にもう三日月に会えなくなるということの方がよほど怖い。
この先もずっと三日月と一緒に笑って過ごしていたかった。
何もしなければ三日月はあと半年で死んでしまう、本当はずっと三日月の横で手を握って最後の時まで一緒にいたい。
それでも……握ったままの手では何も掴めない。
≪死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない!≫
一ノ瀬は嵐のように激痛が襲う中渾身の力を込めて立ち上がる。
刀を持つ余力はない、それでも横たわっているわけにはいかな……
グシャッ!
無情にもゴーレムは近くにあった岩を一ノ瀬に投げつける。
岩は一ノ瀬の胴体に当たり一ノ瀬はあっけなく倒れた。
一ノ瀬はもう一度立ち上がろうとするが下半身の感覚が全くない。
一ノ瀬の体はもう物理的に立てなくなるほどのダメージを受けていた。
≪死にたく……ない≫
一ノ瀬の意識が段々と消えていく。
≪死に……た……≫
死の淵、薄れゆく意識の中で……
『全く情けないわね、お姉さまはどうしてこんな雑魚と契約なんかしたのかしら』
一ノ瀬は誰かの声が聞こえた気がした。
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