暗闇市で逢いましょう

ウヅキサク

「見るな」

 喧噪が響く。水が入った様にぼやけていた聴覚がフッと覚醒した。

 ガヤガヤと人の声がわたしの周囲を渦巻き、さざめき、暗闇に溶ける。

 

 ここは、何処だ。

 

 霞がかったようにぼやける意識の中、キョロキョロと周囲を見渡した。狭い道幅の両脇には所狭しと出店が並び、そして楽しげに会話を交す黒々とした人々が道を埋め尽くすように行き交っている。

 両手に視線を落とすと、心許ない灯りが辛うじて照らした両手の輪郭はぼやりと暗闇に滲んで溶ける。まるで闇が質感を持たぬ泥のようにわたしの周りを満たしているかのような。

 暗い。

『そりゃあそうさ! ここは暗闇市なんだから!』

 そうか。

 耳元を通りすがる声にわたしはこくりと頷く。

 確かにそうだ。ここは暗闇市だった。

 道の少し高いところに淡く灯る赤い提灯の列。そしてわたしを含めた道行く人々の手に、橙の提灯が一つずつ。それが、この場にある灯りの全てだった。暗く、足下も隣の人の顔も判然としないけれど、この場に於いてはこれが正しいのだ。とわたしは何故か違和感なくそれをするりと呑み込んだ。

 だって、ここは暗闇市なのだから。

 暗闇市の掟は二つ。

 一つ。一人につき、提灯一つ。それ以上灯りを大きくしてはいけない。明るくなってしまっては、暗闇市は暗闇市たり得ないから。

 一つ。売られている物を無闇に照らしてはいけない。ここの商品達は灯りに晒されるのを好かぬから。

 ――なぜ、わたしはこのようなことを知っているのだろうか? 首を傾げる。

『やだねぇお兄さん、ここの決まりを知らぬ人はこの場所に入れない。そんなの、お決まりのことじゃないかぇ』

 くすくすと揶揄うような女の声が風の通り抜けるように耳の横を過ぎていく。振り向くと、暗い影もくるりとわたしを振り向き、微かに肩を震わせまた人混みに紛れていった。

カランと涼やかな下駄の音がした。

 そうだ、確かにそう決まっている。知っていなければここに来ることは出来ない。それならきっと、どこかでこの決まりを聞いていたのだろう。

『なにぼさっと突っ立ってんだ? せっかく来たんだ。楽しまなきゃソンだろ!』

 どん、と影が背中を叩く。影がわたしを追い越し駆けていく。

 それは、その通り。

 細かいことを気にしてもしょうがない。

 わたしはひしめき合う人の流れにそってふらふらと店を覗きながら歩みを進める。

 如何せん手に持った灯りが小さいためどれもはっきりと見えるわけではないのだが、色鮮やかな反物を広げた店、キラキラと提灯の明かりを反射するガラスか水晶か分からぬ飾り、赤、青、緑に橙と色鮮やかな宝石の数々を並べたショーケースの前を通り過ぎれば、次の店では澄んだ水の中を、まるで竜宮の衣のように美しい鰭を優雅に靡かせながら金魚が泳いでいる。


『さあさよってらっしゃい見てらっしゃい、この螺鈿細工の見事なこと! 灯りを反射する艶めかしい輝きの美しさ!』


『古着屋、古着屋だよ。普段着、おしゃれ着、特別なシーンの一張羅だってなんでもござれ。十二単にドレスやスーツ、普段着ならばジーンズやシャツ、アウターだって何でもあるよ。今日の目玉は 貘革の寝間着さ。これさえあれば悪夢とおさらば!』


『茶碗皿箸グラスに箸置き。日用品を買いたいならこちらにおいで』


『煙草、煙草を買わないか。懐かしいあの銘柄、手巻きの葉巻に噛み煙草、煙管に電子、水煙草。遥か異国から取り寄せた強くて良く効く煙草もあるよ』


『いらっしゃいいらっしゃい! 古今東西あの世にこの世、全ての酒を取りそろえてるよ! 何年物をご所望だい?』


 賑やかな客引きの文句を軽くあしらい、時折捕まり、人に揉まれながらあちこちの店を冷やかして回る。その中で、ハッと強い金の光が目を射った。思わず目を瞑り、恐る恐る光の差した方に視線を向ける。

 細い、金のネックレスだった。小さな淡い色のダイヤが、月を模した金細工の中にあしらわれている。それが、提灯の明かりを上手い具合に反射して、わたしの目に強い光を放ったようだった。

 わたしは引き寄せられるようにそのネックレスの元へと向かう。黒々と闇に沈んだ店の奥から店主が話しかけてくる。

『おや、そのネックレスが気になるかい』

 頷いて、ネックレスのトップ部分を手に取った。妻の華奢で白い首によく映えそうだと重った。妻の首を、このネックレスが彩る様子を思い浮かべるのは容易だった。

『一目惚れ、ってのは運命だよ。ここに沢山ある品物の中から、これが特に目に入ったんだろう』

 店主の言葉に頷き、もっとよく見ようと手に持った提灯を掲げようとすると、ひた、と店主の冷たい手がわたしの手を抑えた。

『ダメダメ、灯りを近づけちゃ。ここの決まりを忘れたのかい?』

 そうだ。暗闇市の二つの掟。わたしは提灯を少し下げたが、この薄暗がりではやはり細かい部分を確認する事は出来ない。これがどれくらいの長さなのか、トップの細かいデザインがどうなっているか、きちんと確認したい。

 欲求に逆らいきれず、わたしは手に取ったネックレスをわたしの方へと、――灯りの中へと引き摺り出した。

 ずるりと、細いネックレスにあるまじき手応え。

『……あーあ』

 灯りの中に引き出されたのは、肉片と土のこびり付いた白く細長い骨。少し遅れて、ごろりと艶のない黒髪の纏わり付いた丸い物が転げる。くるりと回り、不自然に揺れ、コトンと傾げて止まったそれは。

『だから照らしちゃならないって』

 白骨化した、頭部の骨。白い首の骨に金鎖が絡まってキラキラと輝いた。黒くぽっかりと空いた眼窩が無機質にわたしを見つめる。

 そうか、似合うと、そう思うはずだ。

 だってわたしは、これを身につけた妻のことを、かつて、目にしていたのだから。

 ああ、こんな所に居たなんて。

 土と、腐った肉片と、汚れのこびり付いた髑髏を提灯の灯りが煌々と照らす。

 ――そうか。こんな変わり果てた姿になってしまっていたから、見られたくなかったんだね。

 ――でも。

 わたしは髑髏を両手で掬い上げる。

 しゃらりと金鎖が骨に擦れてさざめく。

 強烈な異臭の中に、甘ったるい様な腐臭が芳る。

 細い枯れ枝のようなものが腹から胸元を這いずり肩を抱き、そしてわたしの首に触れる。探るようにわたしの首元を撫ぜ、唐突に、ギリ、とそれが喉に食い込んで。

 ――やっぱり、君の白くて細い首にそのネックレスはよく似合うね。

 くらりと揺れて、暗闇のあわいに溶ける視界の中。黒い髪をかき上げ髑髏の額ににキスをする。

 ふっと、全ての明かりが消えた。

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