第20話 ミーシャの迷い②長老エドワードの野望
「長老。たった今、ミーシャから暗号レターが届きまして、デスアームにロネが仕掛けたドミノ爆破回路、この全容解明を成し遂げたとのことです!」
長老室の備州檜(びしゅうひのき)の白無垢(しろむく)ドア―――アースのヤーポンかぶれ長老と陰口を叩かれる所以(ゆえん)だが、その長老室のヤーポン仕様ドアをノックなしに開け、補佐官ハロルドが書類にペンを走らすエドワードに駆け寄る。バルカニア国は軍事組織としての正規の軍隊を持たないが、緊急時には警察組織が予備的にそれに代用し、彼の予備役の肩書は大佐だった。本人もハロルド大佐と呼ばれることを非常に気に入っている。
「落ち着くのだ、ハロルド大佐。81という歳を考えよ」
普段ならこのように老齢の部下を諭すのだが、伝達内容にさすがにエドワードも、
「何! ミーシャがとうとう回路解明を成し遂げたか!」
名実ともにプラチナの、ヤーポン製万年筆を手から書類上に落としてしまった。
「はい! これで独裁軍に大きな貸しが出来、長老に皇帝ジョンが跪(ひざまず)く日がようやく訪れることになりました!」
悲願達成が間近に迫り、ハロルドは感無量だった。
―――あれから21年か……。
この同じ長老執務室へ、21年前、興奮した面持ちで天才の出現を伝えに来たのもハロルドだった。
「ハロルド。アースのヤーポンでは、60歳は還暦といって、十分生きたことを祝って赤ちゃんに戻るという年齢なんだよ。君も老人の仲間入りをしたんだから、もう少し落ち着き給え」
部下の余りの興奮振りに呆れてしまった21年前が、エドワードにはまるで昨日のことのように思い出されるのだった。
バルカニアの戸籍とでもいうべき、宇宙に散らばるバルカニア人の個別データファイル。特にその能力データの管理は長老の直轄権限とされていて、全バルカニア人の能力テストが三才時に課されることが慣行であった。
テストは知能の量的側面を計るIQテストと、質的内容を見る創造性テストの二方向検査、それに肉体というか、運動能力の潜在性を見極めるムーブメントポテンシャル検査の三本柱から成っていた。
創造性テストはIQに対抗する知的ファクターとして、アースの心理学者ギルフォードにより提唱されたもので、それをバルカニアの研究者たちがより精度の高い検査システムに昇華し、そこから抽出した数値が用いられている。
検査の実施や得られた結果の分類、天才と認められた子供たちのサポートを担うのは、バルカニア能力開発機関―――別名アビリティ研究所で、アビ研の通称が広く一般化されている。このアビ研によって天才と認定されるためには、IQ180以上で、アビ研創作創造性テスト150以上、これら両数値をたたき出す必要があった。
なお、アビ研によるリサーチはバルカニア人以外にも及んでいて、特にアースに関してはノーベル科学賞受賞という分かりやすい平行基準があることから、興味深い研究結果がもたらされていた。
アビ研の分析結果では、ノーベル科学賞受賞に高い相関があるのは、IQより創造性テストの数値だった。ヤーポンでのノーベル賞受賞者がキョウト大学関係者に偏っているのは、キョウト大学受験生の性向がIQより創造性テスト高得点者が多く見られること。これ以外に、作文等の創造性に直結すると思われるテストを入学試験に課して重視してきたこと。それにキョウトという土地の持つ地勢的要因や地質的なものも影響しているのではないか、というのがアビ研の研究者たちの多数意見だった。
以上の観点からは、アースのみならず全宇宙でも注目を浴びているiPS細胞の研究。この研究でノーベル医学賞を受賞したドクター山中、彼などはコウベ大学ではなく、当初からキョウト大学へ入学していれば、医学賞の受賞は十数年早まったのではないか、アビ研研究者で声高に主張する者も結構な数に上っているのだった。
ところで、このアースのiPS研究に関連して、キョウト大学における事件が一時、バルカニアのアビ研職員の興味を引いたことがあった。スタップ事件といわれるものがそれで、研究内容の点ではiPSに遠く及ばない山師レベルのもので、バルカニアの研究者たちの歯牙にもかからないものだったが、巻き込まれた優秀な研究者の死がアビ研職員たちの涙を誘ったのだ。
ドクター山中への嫉妬と焦りからと思われるが、失われる必要のない命が無残にも失われたのだった。この事件の本質については、バルカニアの研究者たちの意見は完全一致を見ていて、スタップの主張者が言うような手段―――普通の細胞に刺激を与え何にでも変えられる万能細胞を作り出す手段として、細胞を弱酸性溶液に浸すという、そんな幼稚な方法で万能細胞がつくれるはずがないという結論だった。
結局、アースのヤーポンで女性研究者が作成したというスタップ細胞は、同じフロア内の冷蔵庫に保管されていたES(万能)細胞を使ったもの、この結論でもアビ研職員の意見は一致を見ていたのだった(スタップ事件に興味をお持ちの方は、【兵庫きのさき温泉リハビリジイジと孫孫よろす相談ネット】の第6話【ジイジと孫孫がスタップ事件の真相に迫る】に詳しいので読まれると面白いでしょう)。さて、iPSの話題に深入りしてしまい、横道にそれてしまったが、カプラン62Fのエドワードとハロルドに話を戻すと、
「いずれにしても、バルカニアの天才伝承を具体化するために長老が分かりやすい数値基準を設定したことで、ボンド、ウェイン、スティーブにジョン、それにミーシャを拾い上げることが出来たんですから、長老の大きな功績ですね。・・・・・・しかし21年前、あの泣き虫でおどおどした少女が、まさかここまでになるとは思いも寄りませんでしたな」
ハロルドの脳裏には21年前の光景が鮮やかによみがえってくる。
「どんな人になりたいか、希望を言ってごらん。私の言うとおりにするんだったら、私の持っている力で、君の願いをかなえてあげるから」
長老がかけた言葉に、
「スティーブお兄ちゃんの病気を治せるお医者さんになりたいです。そんなお医者さんにならしてくれるんだったら、私はどんなことでもしますから、お願いします」
三歳の少女が涙を振り払い、長老の目を毅然と見つめたのだった。
―――くノ一……。
あのとき、エドワードは自分の脳裏にヤーポンの女忍者の隠語が鮮明に浮かんだのを覚えている。
「よしよし。立派なお医者さんになるためには、一生懸命勉強しなくちゃならないから、お母さんやお兄ちゃんと離れて暮らすことになるけど、我慢できるね」
ヤーポンの女忍者は体を縛ってコントロールするのが一般だが、エドワードはミーシャを自分への恩と母と兄への愛で縛り、この天才少女をバルカニアの利益に奉仕させるよう、自ら意のままにコントロールしたい。あまりにも素直で無垢な魂を前にして、長老はこの誘惑を抑えることが出来なかった。
ミーシャの父となるセルゲイは優れた知能を持ってはいたが、無気力で、ただ長老の命ずるままに動く、中年に差しかかった秘書官だった。独裁軍との繋ぎのできたスティーブの世話係として、カプラン62fからバルカニア号への勤務替えを命じただけで、長老エドワードには特段の意図はなかった。が、男と女の成り行きで、彼はナタリーと親密な関係を結び、ミーシャが生まれたのだった。
気になったのは家族性ALSであるが、アビ研の検査ではミーシャは母親の劣性遺伝子を受け継いでいないことが分かった。しかも天才数値は運動面の潜在能力を除いて、ボンド、ウェイン、スティーブ及びジョンのいずれの数値をも上回るものだった。ミーシャの数値に驚いたアビ研職員が、母親ナタリーの三才時の検査結果を書庫から引っ張り出して調べなおすと、驚がくの値だった。
検査者の見落としが、ナタリーから天才教育の可能性を奪ってしまい、彼女は普通の人として、いや差別の対象として、バルカニア号で小さく肩身の狭い人生を送って来たのだった。もし、ジョンの母ミーナの存在がなければ、ミーシャはおろかスティーブやナタリーすら、この世に生を繋ぐことは出来なかった。それほどの存在感を持つミーナだったが、彼女は長老エドワードの興味の対象では全くなく、むしろミーナ暗殺者にエドワードが手を貸す愚挙を犯してしまったのだった。
「長老、どうしましょうか。独裁軍にコンタクトを取って、ドミノ爆破回路除去を提案し、独裁軍皇帝ジョンを長老の足元に跪(ひざまず)かせましょうか」
興奮気味なハロルドに、
「君には生涯、言い続けねばならないのかも知れないがね。落ち着くのだよ、ハロルド。まずミーシャが解明した回路の正確な検証が先だ。もし完璧なものであれば、爆破回路除去と引き換えに、独裁軍の直轄惑星ユダリス、ここへのバルカニア民族移住を認めさせ、旅人を含む全バルカニア人の、そうだ、理想国家を打ち立てるのだ!」
エドワードは民族の悲願をゆっくりと語り始めたが、最後は感情が高ぶり、興奮で声が裏返ってしまった。スティーブの計算が正しいと証明されたため、バルカニア号によるカシアス7fへの移住は諦めざるを得なくなり、代わって浮上したのがハビタブルゾーン内の独裁軍直轄惑星ユダリスだったのだ。
「エッ! 何と! ダビッデス星雲内の恒星イオナスを巡る、惑星ユダリスへの移住ですか!」
長老の雄大な計画に、ハロルドは息をのんだ。
「そうだ。私の目の黒いうちに、この移住計画を完成させたいんだよ。そのためにも、ミーシャ解明回路は完璧でなければならないのだ。取り敢えず科捜部(科学捜査部)の技官たちに、添付ファイル記載回路図の正確性検証と、正確であった場合の、回路除去確率を出させることだ。確率が80%以上でないと、皇帝ジョンは交渉には応じないだろう」
ジョンとの交渉では、倍違う年齢差など何の優位ももたらさず、エドワードはいつも神経をすり減らしての消耗戦に引き込まれるのだった。
ところで肝心の回路図だが、まず、ドミノ爆破回路のスタートポイント発見が最重要だった。ヒントはユダルマ人医師ヒトラスのザ・ラストワード(遺言)だけだが、これに皇帝ジョンの脳しゅよう手術を加え、ヒトラスの性向を加味することによって、ミーシャは回路の全容をとらえることに成功していた。もちろん終局点の脳しゅよう=原子炉爆破の最終爆弾。この2点を固定することによって、あとは終点の原子炉までの回路をどのように描くかにさえ思い至れば、逆進することで、スタートポイントへたどり着くことができるとの考えだった。
―――なるほど……。
ミーシャ解明のドミノ回路は、ジョンの年齢である39、これをヒントにした39個の微細プラスチック爆弾で構成されていて、皇帝ジョンの間脳から小脳そして左大脳辺縁部に至る神経細胞経路、これに対比していたのだ。
延髄から間脳へのニューロン、これをドミノ回路と平行対比すると、回路の入口部分つまりスタートポイントということになるが、その起動の重要性から、ミーシャはデスアームの電子機器スイッチボタン下部ボックスをターゲットと考えていた。
「科捜部の判断はどうだったんだ、ハロルド」
「はい、長老。極秘裏に取り寄せたデスアームの構造図とも、ピタリと一致する回路図で、ミーシャ解明通りで間違いないと思われます」
「よし、ハロルド。皇帝ジョンに連絡を入れてくれ。我らバルカニア人の運命を左右する、一世一代の、ジョンとの交渉に取り掛かろうじゃないか」
長老エドワードは自信たっぷりの笑顔で部下に命じると、ヤーポン製の革張りソファーに栄養の行き届いた体を深々と沈めたのだった。
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