1巻発売記念SS 出会う前の物語・下
「私に仕えてはくれぬか?俸禄は思いのままだ」
「ありがたいお言葉。しかし武者修行中の身ゆえ」
東部より高く感じる青い空と日差しの下で、緑色の豪華な外套に身を包んだ40歳ほどの痩せた貴族が馬上で言う。
エドガーの拒絶にその貴族が残念そうに首を振った。
「そうか……だがお主もいずれ主を選ぶ時が来るはずだ。その時は私を一番に思い出してくれ。私はサヴォア伯ロシェルだ。よいな?」
「必ずやそうします。ではまた」
「武運を祈っておるぞ」
野盗の討伐を終えて、武者修行を始めてからすでに何度目もしたやりとりを終えて、エドガーが戦場から歩き去った。
彼の後ろでは今回の戦いで仕えたサヴォア伯が無念そうにその背を見送っていた。
……アウグスト・オレアス辺境伯領を出て、一介の傭兵のフリをして何度か戦った。
一人旅は案外気楽でいい。街道を歩きながらエドガーは思う。
今まではアウグスト・オレアス辺境伯の息子としてどこに行ってもそういう風に見られた。
しかし外に出てしまえば案外自分の事は知られてはいない。
「アウグスト・オレアスの白狼」を知っている者はそれなりにいるが、エドガルド個人を知る者はいない。
周囲の目が気にならなくなれば、食事をするのも身だしなみも今までのように肩肘を張る必要もない
それに、故郷とは違う景色、人、食事や文化、そのすべてがエドガーにとっては刺激的だった。
アウグスト・オレアス辺境領はとてもいい土地であり、大事な故郷だ。
それでも自分がいかに狭い世界にいたのかを知った。世界は果てしなく広い。
それに、案外こういうのも性に合っているのかもしれない。
父上に仕え、いずれは騎士になり王に仕えるという道しか考えていなかったが、案外自分の道を自分で選ぶことができるのかもしれない。
この1年ほどのことを思い出す。
流れ者と見下す嫌な貴族もいたが、そうでないものも何人もいた。
勇敢な騎士、高潔な領主……とはいえ、偉大なる父には及ばないが。
それに、自分がしているのはあくまで武者修行だ。仕える相手を探しているわけではない。
ただ、今の所、武者修行といっても特に脅威となるほどの敵はいなかった。
とはいえ、まだアウグスト・オレアス辺境領を出て1年も経っていない。
帰れば……きっとまた追い出されるな。そう思う
この旅は確かに楽しいし、見聞は広がった実感はある。
……しかし父が言うような得るものはあるだろうか。
◆
そんなある日。故郷を出てから季節が一巡りしたころ。
「なあ、兄さん、傭兵だろ?」
「ああ。そうだが」
街道沿いの宿でいつも通りに朝食の固く焼いたパンをかじっていたエドガーに宿のマスターが声をかけた
「近くにゴブリンの群れが来てるらしいぞ。騎士団も来るようだし、一稼ぎしてきたらどうだ?」
「へえ、なら行ってみるさ。ありがとう」
路銀にはまだ余裕はある。
しかし最後に戦ってから少し間があいてしまった。実戦で剣を振らなければ体が鈍ってしまう。
◆
たどり着いた丘にはすでに騎士団がいた。
しかし、騎士団とは言っても装備は微妙に不ぞろいだし、くたびれている。騎兵もほとんどいない、歩兵ばかりの集団だ。
揃いの文様を付けているところをみると正規軍ではあるらしい。
しかし、騎士団というよりも中規模な傭兵部隊のようないでたちだ。
そして、騎士団かどうかはさておいても、今から戦いに挑む兵士たちという感じではなかった。
戦う前にありがちな高揚感や士気も、新兵が持つような怯えとかそういうものも感じない。
沈んだ雰囲気は、まるで敗走する兵士たちのようだ。
しかも先頭で馬に乗っているのは、女だ。
血と泥、無情な死にまみれた戦場は女には相応しい場所とは言えない。
女が戦場に立つことは殆どない。姫騎士などと呼ばれて戦うものもいるが、稀な存在だ。
儀礼的に指揮官を務める女貴族もいることはいるが、それならもっと精強な部隊が付き従っているのが普通だ。
丘の上から眺めてみたが、ゴブリンの姿はまだ見えなかった。
ただ気配は感じる。恐らくそれなりの数だろう。
フィリップならとっくに左右に伏兵を配置して殲滅の準備を整えているはずだが……そんな様子はない。
見た感じでは後詰の部隊もいなさそうだ。
この女と士気が高いとは言えない兵士達でゴブリンの群れと戦う気なのか。
ゴブリンは決して侮れるような相手ではない。
簡素な白いローブを纏った女が馬上からエドガーを見下ろした。
二人の目が合う。諦観のような、哀しみのような……いくつもの感情が混ざった複雑な視線。
今までエドガーが会った誰のものとも違う視線だ。
「……なあ、アンタ。俺を雇ってくれないか?」
◆
思いがけず自分の口から出た言葉にエドガーは一瞬困惑した。
旗下に入ってくれ、ということは戦うたびに言われたが、自分からそう言ったのは初めてだ。
「どこの者か知りませんが、逃げた方がいいと思いますよ」
感情を交えない口調で彼女が言う。そんな話をしているうちに、茂みからゴブリンの群れが姿を現した。
少し見ただけでも分かる……かなりの大群だ。300は下らないだろう。
「分かったでしょう?では、行きなさい」
彼女が群れを一瞥して、エドガーの方を見ずに言った。
このゴブリンの群れの前で、一人でも戦力が欲しいときに立ち去れと言うのは、俺の身を案じたんだろう……たかが流れ者の傭兵の命を。
不思議な人だ。
「いやいや、これは手柄の立て時でしょう。お役に立ちますよ」
「……好きにしなさい」
少し呆れたような、投げやりな口調で彼女が言う。
背中に背負った大剣の柄を軽く握った。
誰かに仕える旅じゃなかったはずなんだがな。
自分で言ってから考えるのもなんだが、この人に仕えたらそれで武者修行の旅は終わりなんだろうか。
だが、そんなことよりも、この人のために戦おうと思った。なぜだかはわからないが。
つまるところこれが運命というやつなのかもしれない。
「光栄です、姫騎士殿。俺は……エドガー。雇い主のお名前を聞かせていただけますか?」
「セシル」
彼女が短く言った。
……白狼エドガーが死姫セシルのことについて知るのは都に着いてからのこと。
戦乙女と白狼~死姫と呼ばれた魔法使いと辺境の最強剣士~ ユキミヤリンドウ/夏風ユキト @yukimiyarindou
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