第7話 王国暦270年5月11日 戦の後の

 ヴァレンヌ男爵が50人余りの兵を従えて、ようやくと言う感じでやってきた。

 真っ白いシミ一つない外套に儀礼用の剣を腰に挿している。20歳ほどだが肥満気味の体と豆一つない手は、とても戦場に向いてるとは言えない。

 ヴァレンヌ男爵の後ろにはサルラの領主のピエールも付き従っていた。


「これは……」

 

 勝鬨を上げる兵士たちと、草原一帯を埋め尽くすゴブリンの骸と打ち倒されたロードの旗。

 信じられないという顔でヴァレンヌ男爵が言う。


「ゴブリンは?」

「ロードとシャーマンを討ち果たしました。暫くはこの地がゴブリンに脅かされることは無いでしょう」


 ヴァレンヌ男爵が馬上からセシルに問いかける。

 ピエールが答えを聞いて安堵したように息を吐いた。


 ロードがいる限りゴブリンは再び群れを作り街を脅かす。しかしロードの討伐など簡単にできることではない。

 群れを減らしてくれればそれでとりあえずは十分、と思っていたが、彼としては望外の結果だった。


「ありがとうございます、姫様。

あなたのおかげでこの地方はゴブリンの脅威におびえなくて済みます」


 ピエールが下馬して恭しくセシルに頭を下げる。


「我々になにかできることは……」

「まて、執政官ピエール」


 ピエールの言葉をヴァレンヌ男爵が遮った。  


「はい、閣下」

「この戦功は私のものとなる。そのように記録し都に伝えるように」


「え、しかし……それは」

「聞こえなかったのか?私の戦功として記録しそのように報告するのだ……これは王妃様の命であると心得よ」


 馬上から高圧的な口調でヴァレンヌ男爵が言う。

 王妃の名が出てピエールが怯むように口を閉ざす。ヴァレンヌ男爵が薄笑いを浮かべた。


「分かったな?」

「……はい」


「まったく……なんて酷い血の匂いだ。鼻が曲がるわ」


 そう言ってヴァレンヌ男爵が兵を引き連れて立ち去って行った。



 目の前で起きたあまりにも理不尽な一幕に勝ち戦の高揚感はすっかり薄らいでしまった。

 これだけの勝ち戦の手柄を、何もしなかったものに奪われてしまうのか。

 

「この地方の長としてなにぞご恩に報いさせていただきたい……なんでもお申し付けください」


 そう言ってピエールがセシルに返事を待った。

 とは言われてもこのような問いをされたことはついぞなかった。

 想像の埒外のことに言葉に詰まる。周りを見回すと兵士たちがこちらを見ていた。


「では……わが兵たちに報いてあげていただきたい。十分な食事と休憩の場所と、できればいくばくかの恩賞を」


 この手柄がヴァレンヌ男爵に取られてしまえば、彼らにはロクに恩賞すら渡らないかもしれない。

 自分についてきてろくに報われもしない彼らにせめて何かしてやりたかった。


「むろんですとも。お安いことです」


 ピエールが頷く。沈んでいた兵士たちの顔に笑顔が浮かんだ。それぞれ嬉しそうに言葉を交わし合う。


「あなたは将の器だね、姫様。尊敬しますよ」


 エドガーが言って兵士たちの方を見た。


「さあ、みんな!姫のお言葉だ。戦勝を楽しもうぜ」

「セシル姫万歳!」


「だが、羽目を外しすぎるなよ。勝利者は紳士として振る舞うもんだ。いいな?」


 エドガーが言って兵士たちが応じる。

 歓声が上がるなか、ピエールがセシルの前に跪いた。


「姫様……私に首都の力学はわかりませぬ。

しかし私は見ておりました。あなたたちの戦いを。真の勇者はだれかを」




「あの……本当にありがとう。感謝しています」

「いやいや、俺としても都合が良かったんですよ。見ての通り、流れの傭兵なんでね」


 サルラへの帰途の馬上。

 あいかわらずの身分差を無視したような気軽な口調でエドガーが答える。

 その横ではガーランドが渋い顔をしていた。


「貴方は……一体誰なのですか?」


 正直言って、自分たちの援護は必要だったんだろうか、とさえ思う。

 一応弓と魔法で援護はしたが……彼一人でも群れを殲滅できたのではないかと思わされるくらいに圧倒的な強さだった。


 これほどの武勇の士が野心もなく在野に埋もれていることはまずありえない。

 当世の騎士や戦士が剣の腕を磨くのは一重に立身出世のためだ。腕自慢は積極的に戦場で手柄を立て、自分を売り込み誰かに召し抱えれる。


 確かに、時折無名の剣士や傭兵が武功を立てて一躍有名になることもある。

 しかし彼はそんなものとは次元が違う。あの動きはどう見ても人間が出来るものでは無かった。

 

 それに今は消えているが、体を包んでいた白い光は魔力の光だ。

 魔法使いではないのだろうが、何らかのそれに準ずるものを持っていることは間違いない。


 これほどの使い手ならばとうに何処かに召し抱えられて騎士の地位を得ているか傭兵として高名を上げているだろう。

 どう考えても無名の傭兵であるはずはない。


 金色のたてがみのような波打った長い髪と金色の無精ひげはどちらも伸びるに任せている感じだ。 

 返り血と泥で汚れているが、通った鼻筋と鋭い目は、きちんと身だしなみを整えれば映えそうではあるが……あまり見ない顔立ちでもある。

 それに言葉の端々に感じる東部の訛り。これほどの者が無名と言う事は、異国の者だろうか?セシルは思った。


「流れの傭兵ですよ。雇ってくれますか?」


 エドガーが気軽な口調で言う。


 彼ほどの剣士が旗下についてくれればどれほど心強いだろうか……だが自分には彼を旗下に留めるほどの財力はない。

 かつてある貴族は流れの騎士を召し抱える時に、自分の領地の半分の目録を差し出したという。


 だが、自分には差し出せるものなんてない。兵士も借り物の身一つだ。

 今回の分さえ払えるかどうか。


「恩賞をここでは渡せません。都まで同行してもらうか……この地に留まるなら使いをやりますが」


 戦場に金子を持ってきていることはあり得ない。

 いくらくらいかかるのだろうか。傭兵の相場は一戦につき1000フラン。それに戦功が加わる。今回ほどの戦功ならいくらになるのか想像もつかない

 自分に出せる額を考える。


「私があなたに払えるのはせいぜいで10000フラン程度です……申し訳ないのですが」


 自分に出せるのはギリギリでそのくらいだろう。

 サン・メアリ伯爵に頼み込めばもう少しは払えるかも知れない


「あなたほどの戦士に対して……」

「いえ、構いませんよ。それで十分です」


 エドガーがあっさりと言う。

 どれだけでも要求できる立場なのだから、傭兵ならもっとがめつく報酬の上乗せを求められるだろうに。

 色々と不可解な人だ、とセシルは思った。

 無頼の傭兵のようでもあり、騎士のようでもある。


「どうかしましたか?俺の顔に何かついてますかね」

「いえ……失礼しました」


 いつの間にかまじまじと見つめていたらしい。

 エドガーの問いに慌ててセシルが目を逸らす。男の顔を見つめるなんてはしたない。


「いずれにせよここでは払えません。都まで同行してもらえますか?ここに留まってくれれば後日報酬を届けることもできますが」

 

「同行していいですか?せっかくだからね」

「ええ、勿論」



 二日間、サルラでの十分な休養を経てセシルと兵たちは都に戻った。

 兵たちの帰りの足取りは軽かった。十分な休憩と、特別な恩賞。そしてなにより戦友を誰一人失わなかった。


 わずか200の兵でゴブリンロードを含む500の群れを、しかも犠牲者皆無で討ち果たす。王国の歴史に残る勝ち戦ではあったが、凱旋パレードなんてものはない。

 もしかしたら、ヴァレンヌ男爵の凱旋パレードが数日前にはあったのかもしれないが、どうでもいいことだった。


 サン・メアリ伯爵の邸宅で兵達と一旦分かれてセシルは自宅に戻った。

 メイドが一人いるだけの小さな家。傍系とは言え王族の一員が住まう館とは思えない簡素な館だが、彼女としては気に入っている。


 いずれ母をこの館に迎えたい。狭い家は、一緒に暮らす大切な人と近い家ということでもある。

 それに広い家に1人でいると独りぼっちが身に染みる。


「おかえりなさいませ」


 いつも通り事務的にラファエラが出迎えてくれた。

 戦装束を解いて普段着に着替える。


「王妃殿下の御命令です。3日後に参内し、戦勝の報告を行うように、とのこと」

「……分かりました」

 

 ラファエラがグラスを置きながら淡々と要件を伝える。グラスに入っているのは温められた白湯だ。暖かさが身に染みる。

 しかし、公式な手柄はヴァレンヌ男爵のものになっているはずだが、自分に参内せよとはどういうことだろうか


「もう一つ」

「はい」


「この度の戦いには優れた戦士が旗下に加わったとのこと。その者も共に参内せよ、とのことです」


 ラファエラの言葉にセシルの血の気が引いた。



 エドガーとは都の正門で別れた。

 サン・メアリ伯爵にの屋敷に行くと言ったらなぜか彼は慌てたように隊列を外れて、また館に伺うと言って立ち去ってしまった。

 今はどこにいるのか分からない。傭兵ギルドにでもいるんだろうか。


 そこでセシルは端と気づいた。

 もし彼を探し出せたとして、それからどうする。

 ……彼に言うのか。ともに王に拝謁してほしい、と。

  

 無論王に拝謁するなどと言う事は途轍もない名誉だ。

 それを望んでも得られない者の方が多い。


 しかし、王への拝謁には恐ろしく多い作法がある。

 歩き方、話し方などの一つ一つの仕草、衣裳の色、付ける香に至るまであらゆることに決めごとがあり、それを守らぬものは粗野な田舎者として嘲笑される。

 彼はきっとそんな作法には通じていないだろう。


 蔑むような小声と笑い声は、あからさまな嘲笑より心を抉る。それは身に染みて知っている。

 そのような場に彼を出していいのか。


 いいはずがない。彼をそのような仕打ちに晒すわけにはいかない。

 彼の戦士の名誉を傷つけるわけにはいかない。


 それに、下手をすれば王への不敬を問われ罪に問われかねない。

 彼なら衛兵たちを打ち倒して逃げることくらい可能だろうが……そうすれば彼はこのあとお尋ね者として帰る場所もなく生きることになる。

 

「姫様」


 何かを察したのか、ラファエラがセシルに問いかけるが


「私の礼装を準備しておいて。あと香も」


 この戦いで自分を守り、皆を救ってくれたのは彼なのだから。

 ならば……次は自分が彼を守る番だ。咎めも謗りも私が受ければいい。



  

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