死者の周波数

モモトアムカ

第1話

「ネクロマンシーの少女」         モモトアムカ


 第一部


 1


 十四歳の冬の終わり、妹が死んだ。頭を叩き割られて。砕けた骨の破片が脳に突き刺さるほど強く殴られた挙句、側溝に落ちた時にはまだ息があったらしく、肺に水が溜まっていたことから直接の原因は溺死とされた。

 わたしたちは地元の公立校に通う中学生で、ひとつ下の塔子もまた、一ヵ月後には春休みを迎えるはずだった。

 第一発見者は隣町に住む老人だ。長年、この辺りの自治会長を務めており、パパと継母(ママ)は面識があると言っていた。わたしは知らない。後に葬式で会った際、綺麗に櫛の通った白髪と薄いピンクの肌をした如何にも好々爺という男が、大きな銀縁眼鏡の奥の瞳を真っ赤に充血させながら、わたしの手を握ってポロポロと大粒の涙を流した。

 日課である犬の散歩中だったという。畑に囲まれた道路の脇に、うつ伏せで横たわる少女を見つけた時、最初は車に轢かれたか、避けようとして落ちたのだと思ったそうだ。けれども駆けつけた警察官によって後頭部の傷跡が調べられ、他にも衝突を示す証拠が何もなかったことなどから、単純な事故の可能性はすぐに否定された。

 日が完全に昇る頃、町は何台もの警察車両が行き来し始めた。タイミングとしては、ちょうど通勤通学の時間帯だ。お陰で教職員同士の連携に遅れが生じ、何も知らずに登校する子どもたちのすぐ傍らを、赤いランプと紺色の制服集団が擦れ違うこととなった。

 その後、学校はようやく公式に休みを発表。同時に保護者たちの元にも事件の概略が伝えられ、生徒らは旗を持った教師たちが見守る中、Uターン帰宅させられた。代わりに町にはマスコミが溢れ返る。

 人気のなくなった住宅街。固く閉じられた窓。どこからか洩れ聞こえるワイドショーの扇情的な語りが、戦時放送の如く空っぽの町を静かに包み込む。時折揺れるカーテンは、不安と好奇の表れだ。空撮によって切り取られた景色は、まるで元々そうであったかのように、冷たく引き篭もりがちな住民と升目上に広がる大小さまざまな家々を映し出し、ありふれた郊外のベッドタウンに〈現代社会の闇〉を当てはめる。

 そんな混沌の中、当のわたしたち家族が情報で先んじていたのは、直後の間だけだ。早朝、自宅に現れた覆面パトカーに乗ってパパとママが近くの警察署に行き、妹の身元確認をさせられた。戻ってくるなり二人は出勤を取り止めて、わたしにもしばらく学校を休むように言った。今度は何十人もの警察官たちが一緒で、彼らは妹の部屋を漁る一方、居間のテーブルで入れ代わり立ち代わり同じ質問を繰り返した。

 当初、疑われたのは通り魔による犯行だった。妹のスマホを調べたところ誰かと待ち合わせしていた形跡はなく、彼女には元々家族が寝静まっている間に出歩く習慣があったのだ。

 テレビでは早速、衛星写真を使った妹の足取りが再現され、下校中に捕まったのであろう、制服姿の自称クラスメイトたちが一様に彼女に対する心証の良さを語った。曰く、明るく元気な性格の妹は皆の人気者だった。曰く、異性のファンも多くて、教師の信頼も厚かった。

 そしてそこにSNSで公開中の写真が流用され、更なる説得力を与える。

 一番多く使われたのは、去年の体育祭で撮られたものだ。ジャージに鉢巻き姿の妹は、ぱっちりとした目をカメラに向かって見開き、閉じた唇の両端をきゅっと引き上げることではにかみながら、丸く尖った顎の横で二本の指を斜めに立てている。長く艶やかな黒髪は後ろでひとつにまとめられ、他の子たちが皆モザイクによって曖昧にされているとは言っても、その顔の小ささと首周りの華奢さ加減が飛び抜けていることが分かる。そこに死の影はない。むしろ健康的で恵まれた空気が感じられる。まるで、今をときめく若手女優の子ども時代の記録が誤って紛れ込んでしまったかのように。

 さまざまな識者たちが独自の分析を披露し、沈鬱な顔で固めたアナウンサーが答えのない疑問を投げかけてくる。

 並行してネットで消費され続けるスレッド、乱立するまとめサイト、素人探偵たちによるコメント合戦や考察記事。そして誤爆を除けば、誰も発言しなくなったメッセージアプリのグループ画面と、相変わらず平凡でくだらない日常だけが綴られてゆくタイムライン。

 早速担任の教師が自宅を訪れ、初めて校長の顔も間近で見た。パパは有給を取り、ママは進行中の案件をすべて手放した。わたしは県外に住むお祖母ちゃんの家に預けられそうになるが、断って留まることを選んだ。お陰で一時的にスマホとテレビを取り上げられ、ママの仕事仲間が差し入れてくれる無害な漫画雑誌を除けば、表向きは外部との接触が断たれてしまう。

 しかし、一週間が過ぎても警察は犯人を捕まえられず、まもなく世間の興味は、わたしたち家族と妹自身の更に踏み込んだ人となりへと向けられる。

 例えば、小学六年生でモデル事務所にスカウトされたという逸話と、主役級に誇張されて語られる活動履歴。それが明らかになった途端、ある種の記念碑と化したお仕事用宣伝アカウント。その一方では、去年家出した時の金髪姿の写真とフリースクールへの在籍事実が暴かれ、何より深夜に出歩く生活態度が槍玉に上げられる。そして、VTR内ながら過去にはテレビ出演の経験もある有名大学教授の夫と、フリーの編集者として彼の複数の著書に共に名を連ねる妻、そんな二人が周囲に洩らしていたという子育ての悩み。

 やがてママは医者からもらった薬を服用し始める。その影響で、日中も意識はおぼろげだ。段階的に職場復帰したパパに代わり、わたしが彼女の面倒を看る。と言っても、ほとんど寝室のベッドで横になっているだけなので、目覚めの度に飲み物を用意し、既に食事を終えたことを伝えて安心させるのが主な役目となる。

 町をうろつくマスコミの数は変わらない。それでも後追いの週刊誌以外、直接チャイムを鳴らしてくる被害は減る。新たな情報が欲しければ、地元の警察署に足繁く通うか訳知り顔の暇人たちを当たれば良い。他府県ナンバーの車が至るところに路駐の列を作り、コンビニと出前業者だけが、ちょっとしたバブルの恩恵に預かる。テレビでは三日後から始まる春休みのイベント情報が盛んに流れ、お馴染みの紛争と不祥事と芸能ニュースに世間の関心は取って替えられる。

 終了式。担任教師が通知表を持ってくる。若い彼女は新学期からのわたしの処遇を盛んに気にしている。休み期間中に引っ越して、別の学区に行ってくれることを願っているのが不出来な表情の裏にちらつく。

 春休みが始まる。

 昼夜逆転したママが四六時中泣き続けるので、パパは職場近くのビジネスホテルに泊まるようになる。仕事ができて責任感のある彼は、早くも自分だけの対処法を見つけている。担当医と相談し、密かに妻の薬の服用量まで変える。

 ママが幻覚を訴える。

 ある日わたしはソファで眠る彼女を残し、こっそり家を出る。久々に味わう外の空気。まだ肌寒さを残す初春の日差し。迷路のような住宅街を抜け、近所の古びた鳥居を潜る。裏の竹薮から遊歩道へ。そこも外れて山を越える。途中現れたサイクリングロードは無視して、反対の森へと足を踏み入れる。記憶は曖昧で、目印となるものはない。芽吹き始めた草木が邪魔をし、デコボコの地面に何度も躓く。やがて手のひらは土で汚れ、頬には枝による引っかき傷ができ、服の下では汗が滲み出す。擬態した虫たちから逃れる術はない。それでも夢中で進み続ける内、やがて微かな水のせせらぎが聞こえてきたかと思うと、唐突に視界が開け、緑に包まれたエアポケットに出る。

 少年は居た。

 彼は秘密の空間に突如として現れた渦中の人物に驚き、わたしは真っ直ぐにその目を見ながら尋ねる。

「死後の世界を信じる?」

 と。


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