ビキニアーマー戦争

蟹場たらば

1 師匠と女弟子と鎧

 刃を砥石に当てて、前方へと滑らせる。


 言葉にすれば、研ぎはただそれだけの単純な作業である。だが、最終工程であるこの研ぎの具合次第で、剣の切れ味は大きく変わってしまう。


 火床ほど(炉)に火は入れていないが、それでも初夏の暑さのせいで全身に汗が滲む。けれど、そんなことを気にしている場合ではない。鍛造や焼き入れの時にも増して、俺はいっそう意識を集中させる。


 しかし、あまりにも集中し過ぎてしまっていたらしい。


「……しょう! アモン師匠!」


 大声で呼びかけられて、ようやく女弟子が帰ってきたことに気づくのだった。


「言われた通り、スライムをもらってきましたよ」


「おう、そこにでも置いといてくれ」


 工房内のテーブルを顎で指すと、俺は早々に作業に戻った。


 改めて二度、三度と刃を研いでいく。次に研ぎで出た汚れを布で拭う。最後に錆止めとして全体に油を塗った。これでようやく剣作りの全工程の完了である。


 なるべく師匠の邪魔をするべきではない、と気を遣ってくれていたのだろう。今更になってマリンは質問してくる。


「新作ですか?」


「ああ」


 だから、試し斬りのために、冒険者――魔物モンスター退治の専門家から、スライムの死体をもらってくるように頼んだのである。


 ただ、いきなり新作の切れ味を見せても、特徴が伝わりづらいかもしれない。比較対象として、俺は同じ素材でできたを手に取る。


 勢いよく振り下ろしたものの、その刃はスライムの体にわずかに喰い込んだに過ぎなかった。


「お前も知ってるだろうが、スライムは意外と斬るのが難しいんだ」


「柔らか過ぎて、力が逃げてしまうからですよね」


「そうだ。そのせいで、新人冒険者は苦戦することも多い」


 スライムは、ナメクジやウミウシに似た体を持つモンスターである。柔らかく、粘度が高く、そして動きが鈍い。そのため一般的には、新人が討伐を引き受けるような雑魚だと認識されている。


 けれど、コツを知らないと、柔らかい体に剣の勢いを吸収されてしまって、先程のように上手く斬れないことがある。おかげで、スライムを取り逃すどころか、時には返り討ちに遭うようなケースさえ発生しているのだった。


「で、今度の新作なわけだ」


 今回は剣を振らずに、ほとんど刃を押し当てただけだった。にもかかわらず、スッとスライムの体は真っ二つになっていた。


「えっ」とマリンは驚いたような感心したような声を上げる。それどころか、秘密を探ろうと、新作の剣の方へ身を乗り出していた。


 種明かしのために、俺は別の刃物を取り出す。


「原理はこいつと同じだ」


「パン切り包丁……ですか」


波刃なみばっていって、刃をギザギザにして喰い込むようにすることで、柔らかいものでも切りやすくなってんだ」


 また野菜用のナイフも、トマトのような柔らかい食材を切りやすくするために、刃をギザギザにすることがある。俺はそんな波刃の刃物を作っている内に、その特徴を剣に応用することを考えついたのだった。


「でも、喰い込みやすくするなら、もっとギザギザを細かくした方がいいんじゃないですか?」


「そのへんもパン切り包丁と同じだな。確かに細かい方が白パンみてえな柔らかいものを切りやすいが、やり過ぎると今度は黒パンみてえな固いものを切りにくくなっちまうから」


「スライムに特に効果的なだけで、他のモンスターにも有効ってことですか」


「ああ、そうだ」


 たとえスライム退治が目的の冒険でも、道中でゴブリンやホーンラビットと出くわすことがある。そういったケースにも対応できるようにしておいたのだ。


「名づけて、『スライムキラー』ってところか」


「おおーっ」


 俺が剣を掲げると、マリンは感嘆したように拍手をした。


 しかし、ほどなくして音は止んでいた。


「ところで、スライム特効の剣ってことは、新人向けの武器ってことですよね?」


「そうなるな」


 基本的に弱いモンスターなのは確かだから、スライム退治は新人の仕事である。ポイズンスライムやキングスライムのような上位種もいるにはいるが、それらの討伐を引き受けるレベルの冒険者なら、スライムを斬るコツはよく知っていることだろう。


「こっちの普通の剣の値段は?」


「1万グルドーだな」


「スライムキラーは?」


「……材料費は同じだ」


「つまり、人件費はかかってるってことですよね。刃にこまかい細工を入れるんですもんね。で、そんな高い剣を買える新人がどこにいるんですか?」


 平民出身の冒険者からすれば、たかがスライム退治に金はかけられないだろう。かといって、貴族出身の冒険者なら、高級素材でできた普通に切れ味のいい剣を買うに違いなかった。どの層からもスライムキラーは需要がないのだ。


「いや、でも――」


「まさか安く売ればいいなんて言いませんよね? そうしたら利益が出なくなることくらい分かってますよね?」


「…………」


「まったく、師匠は経済観念ってものが全然ないんだから。そんなだから、後継者の座を妹弟子に取られるんですよ」


 俺はもともと他の工房で弟子として働いていた。しかし、「鍛冶師としてはともかく、経営者としての才能がない」という理由で、別の弟子が――それも自分より年下の弟子が工房を継ぐことになったのだった。


 情けない話だったから、「俺から出ていったんだよ。腕を磨くために」と言い訳をする。それでも半分くらいは本音だったのだが、マリンにはほとんど無視されてしまった。


「いい仕事をしたいっていう師匠の気持ちも分かりますけどね、お金のこともちょっとは考えてくださいよ。先月の給料まだもらってないんですからね」


 そうねちねち小言を言ったかと思うと、マリンは袋を押しつけてくる。


「私は今からまた営業に行ってきますから、その間に仕事を片付けといてくださいよ」


「へいへい」


 まだ十四歳の、弟子入りを志願してきた頃のマリンはもっと可愛げがあった。一人で気ままにやりたくて断ろうとする俺に対して、「他の工房ではダメなんです」「アモン師匠の腕が世界一だからです」と食い下がってきたくらいだった。


 あの頃のマリンは、青い瞳をいつも夏の海のようにキラキラと輝かせていたものである。しかし、三年経った今では、「こんな高級な素材を使ったら利益が出ないじゃないですか」「もう三十なんだからしっかりしてくださいよ」と、氷のように冷ややかな目つきをするばかりになっていた。


 溜息交じりに、俺はマリンから渡された袋を開ける。中には、剣や斧など刃のついた武器が入っていた。


 冒険者組合所ギルドにスライムの死体を引き取りに行くついでに、頼りない師匠に代わって研ぎの仕事を取ってきてくれたのだ。


 せめて腕だけは師匠らしいところを見せてやらんとな。そう考えて、俺はそそくさと作業に取りかかるのだった。



          ◇◇◇



 工房の扉が、大きな音を立てて開く。


 それに、さらに大きな声が続いた。


「アモン師匠!」


「なんだよ、研ぎならまだだぞ」


 一つの武器につきいくらという契約だから、どんどん作業をこなしていった方が儲かるという理屈は分かる。だが、手抜きはしたくなかった。というより、熱中してしまう性質たちなので手抜きはできなかった。


 それに雑な仕事をしたせいで冒険者からの信頼を失ったら、次から依頼が来なくなってしまうだろう。それでは元も子もないのではないか。


 もっとも、マリンが慌てていたのは研ぎの件ではなかったらしい。


「伯爵が装備品の品評会を開催するそうです」


「へえ?」


 モンスターの討伐には、獣害事件の防止だけでなく、肉や毛皮のような食材・素材の確保という側面もある。そのため、討伐の成功率が、国や街の存続を左右することさえありえる。


 そこで王侯貴族は、武闘会を開いて冒険者たちを、品評会を開いて鍛冶師たちを競わせて、戦闘や装備品作りの技術向上を図ることがあるのだった。


「で、優勝賞金がなんと1000万Gなんだそうです」


 一般市民なら当分は仕事をしなくても暮らせるような額である。


「それだけあれば、ウニス鉱石にオドタイト、トレアタイトも試せるなぁ」


「先に給料払ってくださいよ」


 マリンが冷たい視線を向けてくる。ごもっともである。


 しかし、そのためには会で優勝しなくてはならない。


「で、何の品評会なんだ? 剣か? 槍か?」


「……マーです」


「へえ、アーマーか」


 形状や装備する箇所など、鎧にはさまざまな種類がある。だが、鎧の王道といえば、やはり金属板で全身を覆うフルプレートアーマーだろう。今度の品評会で求められているのも、おそらくは――


「いえ、ビキニアーマーです」

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