谷崎潤一郎「刺青」に関する雑談
其れはまだ人々が「
殿様や若旦那の
御殿女中[江戸時代、宮中・将軍家・大名などに仕えた女中]や
饒舌を売るお茶坊主[江戸城にいてお茶の給仕などをした坊主頭の男]だの
立派に存在して行けた程、世間がのんびりして居た時分であった。
――当時の芝居でも草双紙でも、すべて美しい者は強者であり、醜い者は弱者であった。
誰も彼も挙って美しからんと努めた
「この『天稟の体へ絵の具を注ぎ込む』というのはですね。
『日本近代文学体系 第30巻 谷崎潤一郎集』(角川書店、一九七一年)という注釈書によるとですねェ――」
なんだ!
どこからか声が聞こえてくるぞ!
私の「刺青」書き写し作業を邪魔しないでくれ!
「私は解説の者です」
解説は要らないから帰っとくれ。
「解説もせずに『著作権切れた他人の小説書き写して広告掲載料を貰おう』なんて虫の良い話はありませんよ。
それでこの部分ですが注釈書にはこう書いてありますね。
自然美よりも人工美を好むことは、ボードレールの自然のartificiel(芸術化)、
オスカー・ワイルドの「自然は芸術を模倣する」などのことばにもうかがわれるように耽美主義文学の一特徴である。
潤一郎にもこの傾向が濃厚であったことは、その全作品が示している。
(中略)
また
ゴーティエ、ワイルドらの西欧耽美派の文学とも共通するものがある」
……芳烈な、或いは絢爛な、線と色とが其の頃の人々の肌に躍った。
見事な
町人から稀には侍なども
時々
互いに奇抜な
「この両国での刺青会っていうのは本当に幕末にあったんですよ。
谷崎は本作を書くために刺青文化を調査していました。
特に幕末の文化爛熟期に絞って奇談を発掘しています。
谷崎が興味を持っていたのは〈盆の窪[首の後ろ]から肛門にかけて蜘蛛の糸を掘り、肛門のあたりで糸に垂れ下がった蜘蛛(肛門に潜り込もうとしている)の入墨を入れた年増女〉だとか、まあそういうお話です」
清吉と云う若い
浅草のちゃり
こんこん次郎などにも劣らぬ名手であると持て囃されて、何十人の人の肌は、
彼の絵筆の下に
「このちゃり文とか、こんこん次郎とかいう人について、
角川の注釈書は『これらの人名は実在したか』と曖昧に書いています。
でもその辺で売っている新潮文庫『刺青・秘密』(新潮社、二◯一一年改版)では
『
刺青会で好評を
達磨金はぼかし
清吉は又
もと豊国[初代
刺青師に堕落してからの清吉にもさすが
「刺青は近世中期まで在任に彫って刑罰のしるしとしたが、ファッションとして彫る者が続出し幕府は禁令を出した
――違法な仕事だから浮世絵師と比べて堕落しているのです」
彼の心を惹きつける程の皮膚と骨組みとを持つ人でなければ、
彼の刺青を
たまたま描いて貰えるとしても、一切の構図と費用とを彼の望むがままにして、其の上
一と月も二た月もこらえねばならなかった。
この若い刺青師の心には、人知らぬ快楽と宿願とが潜んで居た。
彼が人々の肌を貼りで突き刺す時、
大抵の男は苦しき呻き声を発したが、其の呻きごえが激しければ激しい程、彼は不思議に云い難い愉快を感じるのであった。
刺青のうちでも殊に痛いと云われる朱刺、ぼかしぼり、――それを用うる事を彼は
一日平均五六百本の針に刺されて、色上げを良くする為め湯へ
皆
その無惨な姿をいつも清吉は冷ややかに眺めて、
「
と云いながら、快さそうに笑って居る。
意気地のない男などが、まるで
ひいひいと悲鳴をあげる事があると、彼は、
「お前さんも
――この清吉の針は飛び切りに
こう云って、涙にうるむ男の顔を横目で見ながら、かまわず刺って行った。
また我慢づよい者がグッと肝を据えて、眉一つしかめず
「ふむ、お前さんは見掛けによらねえ
――だが見なさい、今にそろそろ疼き出して、どうにもこうにもたまらないようになろうから」
と、白い歯を見せて笑った。
彼の年来の宿願は、
その女の素質と容貌とに就いては、いろいろの注文があった。
江戸中の色町に名を響かせた女と云う女を調べても、
彼の気分に
まだ見ぬ人の姿かたちを心に描いて、三年四年は空しく憧れながらも、彼はなお願いを捨てずに居た。
丁度四年目の夏のとあるゆうべ、深川の料理屋
彼はふと門口に待って居る
鋭い彼の目には、人間の足はその顔と同じように複雑な表情を持って映った。
その女の足は、彼に取っては
「foot fetishism。
fetishは語源的には魔力の意。
元来魔力ある人物の意だったが、後に魔力のそなわった物体すなわち護符・呪物の意となる。
この用語をフロイトが性的倒錯の概念として流用し『性的フェティシスム』とした、ということらしいです」
親指から起こって小指に終わる繊細な五本の指の整い方、
この足こそは、やがて男の生血に
男のむくろを踏みつける足であった。
この足を持つ女こそは、彼が
女の中の女であろうと思われた。
清吉は躍りたつ胸をおさえて、
其の人の顔が見たさに
清吉の憧れごこちが、激しき恋に変わって其の年も暮れ、
五年目の春も半ば老い込んだ或る日の朝であった。
彼は深川佐賀町[江東区にあり満州橋と永代橋との間の隅田川に望む一郭。深川の遊里から近い]の寓居で、
庭の裏木戸を訪うけはいがして、
「角川の注釈書には『錆竹の濡れ縁で万年青の鉢をながめるというのは、
そういう日常生活を送る清吉が、
いったん芸術の世界となると芳烈・絢爛な美にあこがれるというところに、その芸術家意識が対照的に強調される』
なんて書いてますね」
それは清吉が馴染の
「姐さんから此の羽織を親方へお手渡しして、
何か裏地へ絵模様を書いて下さるようにお頼み申せって……」
と、娘は
一通の手紙とを取り出した。
其の手紙には羽織のことをくれぐれも頼んだ末に、
私の事も忘れずにこの娘も引き立ててやって下さいと
「どうも見覚えのない顔だと思ったが、
それじゃお前は此の頃
こう云って清吉は、しげしげと娘の姿を見守った。
年頃は
その娘の顔は、不思議にも長い月日を
それは国中の罪と
「お前が去年の六月ごろ、平清から駕籠で帰ったことがあろうがな」
こう訊ねながら、
清吉は娘を縁へかけさせて、
「辰巳芸者は四季とも足袋を用いず素足で座敷へ出る風俗を誇った、とあります」
「ええ、あの時分なら、まだお父さんが生きて居たから、平清へもたびたびまいりましたのさ」
「辰巳芸者は男のようなことば使いをするのを意気とした、と註釈」
と、娘は奇妙な質問に笑って答えた。
「丁度これで足かけ五年、己はお前を待って居た。
顔を見るのは始めてだが、お前の足にはおぼえがある。
――お前に見せてやりたいものがあるから、
上ってゆっくりと遊んで行くがいい」
と、清吉は暇を告げて帰ろうとする娘の手を取って、
巻物を二本とり出して、先ず其の一つを娘の前に繰り展げた。
それは古の暴君
「紂王の寵を得たのは末喜ではなく
この『決定版』全集はそれまで中央公論から出ていた〈正字・歴史的仮名遣い〉の全集に対して〈新字・歴史的仮名遣い〉かつ〈ルビだけ現代の仮名遣い〉というシロモノであまり評判が良くない(読んでいて楽しくない)のですが、
解題と校異が付いているのはこの版だけだから価値は高いです。
末喜は夏の
右手に大杯を傾けながら、今しも
眼を閉じた男の顔色と云い、物凄い
娘は暫くこの奇怪な絵の
知らず識らず其の瞳は輝き其の唇は
怪しくも其の顔はだんだんと妃の顔に似通って来た。
「中央公論の『決定版全集』では「妃の顔」となっていますから、角川の『近代文学体系』の「妃顔」というのは誤植ですね。
このシリーズは誤植が多いのです」
娘は其処に隠れたる真の「
「角川の註釈書には『己にカギをつけたところなどから、これはフロイトのいうエゴ(自我)と対立する、無意識の領域にある非個人的な心的原動力のエスのようなものを作者は認識していたのではないかと思われる』とありますね。
「この絵にはお前の心が映って居るぞ」
こう云って、清吉は快げに笑いながら、娘の顔をのぞき込んだ。
「どうしてこんな恐ろしいものを、私にお見せなさるのです」
と、娘は青褪めた額を擡げて云った。
「この絵の女はお前なのだ。
この女の血がお前の体に交って居る筈だ」
と、彼は更に他の一本の画幅を展げた。
それは「
画面の中央に、若い女が桜の
足下に
「註釈に『実在の
私もこれが正しかろうと思います」
女の身辺を舞いつつ
女の瞳に溢れたる
それは戦いの跡の景色か、花園の春の景色か。
それを見せられた娘は、われとわが心の底に潜んで居た何物かを、探りあてたる心地であった。
「これはお前の未来を絵に現したのだ。
其処に斃れて居る人達は、皆これからお前の為めに命を捨てるのだ」
こう云って、清吉は娘の顔と
「後生だから、早く其の絵をしまって下さい」
と、娘は誘惑を避けるが如く、
画面に
「親方、白状します。
私はお前さんのお察し通り、其の絵の女のような性分を持って居ますのさ。
――だからもう
「そんな卑怯なことを云わずと、もっとよく此の絵を見るがいい。
それを恐ろしがるのも、まあ今のうちだろうよ」
こう云った清吉の顔には、いつもの意地の悪い笑いが漂って居た。
然し娘の
「親方、どうか私を帰しておくれ。
お前さんの側に居るのは恐ろしいから」
「まあ待ちなさい。
己がお前を立派な器量の女にしてやるから」
と云いながら清吉は何気なく娘の側に近寄った。
彼の懐には嘗て
日はうららかに川面を
水面から反射する光線が、無心に眠る娘の顔や、
障子の神に金色の波紋を描いてふるえて居た。
「『情景は絢爛として明るく、退廃の暗さや悲しさがない。前場面からこの場面への転換は、思い切った省筆を用いて、物語に快テンポのリズム感を与える効果を収めている』とありますが、マア〈場面の転換〉と〈省筆〉がポイントですかね。
重要な場面の転換は既に一回なされていて、『四年目の夏』に女の足を見つけてから『五年目の春』に女と再開する箇所がそれにあたります。
最初の場面転換は〈ざっとした清吉の人となりと時代背景、刺青文化の解説〉という
要するにこの箇所が実質的な物語の〈始まり〉なんですね。
最初の場面転換は〈説明→描写〉という具合に文章の〈濃度〉が変わっていますから特に工夫しなくても分かるのですが、こっちは〈描写→描写〉で文の濃さが変わりませんから厄介です。
そこでわざわざ『日はうららかに川面を射て』なんて取って付けたような情景描写を挟み、視点の移動で場面の変化を際立たせる必要があったんですねェ~」
部屋のしきりを閉て切って刺青の道具を手にした清吉は、
彼は今始めて女の
その動かぬ顔に相対して、十年百年この一室に静座するともなお飽くことを知るまいと思われた。
古のメンフィス[カイロ南方にあったエジプトの古代都市]の民が、
清吉は
やがて彼は左手の小指と
若い刺青師の
焼酎に交ぜて刺り込む琉球朱[琉球(沖縄)産の朱(赤黄色の顔料・硫化水銀)]の
彼は其処に我が魂の色を見た。
「『この一滴一滴が清吉の命のしたたりであったという描写は、清吉がこの刺青に全身全霊をうち込んでいる描写で、(中略)清吉は作者潤一郎の分身として、その芸術至上主義的態度を代弁している』とあります。
潤一郎が本当に芸術至上主義的であったかはよくわかりませんが、清吉が一種ストイックに刺青に打ち込んでいるのは事実です。
この時変態性が性欲を離れて崇高な域に達したんですね。
清吉は自己保存を放棄し自己を消費し尽くします。
この仕事を終えた清吉はシナシナになっているでしょうね」
いつしか
女の眠りも破れなかった。
娘の帰りの遅きを
「あの
と云われて追い返された。
月が対岸の
夢のような光が沿岸一体の家々の屋敷に流れ込む頃には、刺青はまだ半分も出来上がらず、
清吉は一心に蝋燭の心を掻き立てて居た。
一点の色を注ぎ込むのも、彼に取っては容易な業ではなかった。
さす針、ぬく針の度毎に深い吐息をついて、
時分の心が刺されるように感じた。
針の痕は
再び夜がしらしらと白み
この不思議な魔性の動物は、八本の
春の夜は、上り下りの
清吉を漸く絵筆を
その刺青こそは彼が生命のすべてであった。
その仕事をなし終えた痕の彼の心は
「『刺青に自分のすべてを投げこんでしまった後の感じで、
清吉自身がまっ先に小娘の肥料になったわけである』(肥料はカギカッコ付き)とあります。
これは異議なし」
二つの人影は其のまま
そうして、低く、かすれた声が部屋の
「己はお前をほんとうの美しい女にする為めに、刺青の中へ己の魂をうち込んだのだ、もう今からは日本国中に、お前に
お前はもう今迄のような臆病な心は持って居ないのだ。
男と云う男は、
其の言葉が通じたが、かすかに、糸のような呻き声が女の唇にのぼった。
娘は
重く引き入れては、重く引き出す
蜘蛛の肢は
「苦しかろう。
体を蜘蛛が抱きしめて居るのだから」
こう云われて娘は細く無意味な眼を開いた。
「無意味な眼とは『まだすっかり意識が恢復していないようすの目つき』としています。
〈眼を開いたところで意味は無く、明瞭に物を認識できない〉といったところでしょうか」
其の瞳は夕月の光を増すように、だんだんと輝いて男の顔に照った。
「親方、早く私に
お前さんの命を貰った代りに、私は
娘の言葉は夢のようであったが、しかし其の調子には何処か鋭い力がこもって居た。
「まあ、これから
来るしかろうがちッと我慢をしな」
と、清吉は耳元へ口を寄せて、
「美しくさえなるのなら、どんなにでも辛抱して見せましょうよ」
と、娘は
「ああ、湯が滲みて苦しいこと。
……親方、後生だから私を
二階へ行って待って居てお呉れ、私はこんな
娘は湯上がりの体を拭いもあえず、
いたわる清吉の手をつきのけて、
激しい苦痛に流しの板の間へ身を投げたまま、
女の背後には
真っ白な足の裏が二つ、その面へ映って居た。
昨日のは打って変わった女の態度に、
清吉は
云われるままに独り二階に待って居ると、
女は洗い髪を両肩へすべらせ、
身じまいを整えて上って来た。
そうして
欄干に
「この絵は刺青と一緒にお前にやるから、
其れを持ってもう帰るがいい」
こう云って清吉は巻物を女の前にさし置いた。
「親方、私はもう今までのような臆病な心を、さらりと捨ててしまいました。
――お前さんは真先に私の
と、女は剣のような瞳を輝かした。
その耳には凱歌の声がひびいて居た。
「はい、ここは初出と決定稿で異同がある箇所ですね。
初出では
『女は剣のような瞳を輝かした。その瞳には
この場合女は絵を見ていた訳です」
「帰る前にもう一遍、その刺青を見せてくれ」
清吉はこう云った。
女は黙って頷いて肌を脱いだ。
折から朝日が刺青の面にさして、女の背中は
「この終わり方について註釈は巻末の補註も含めて色々書いています。
簡単に言えば〈デカダン的なのに病的な暗さがなくむしろ明るい谷崎の異質さ〉といったところでしょうか。
変態性が全肯定され完全勝利のうちに終わるのだから暗くなりようがなく、『燦爛』とするのですね」
本文は前掲の角川書店『近代文学体系』から転載した。その際漢字を新字へ仮名遣いを現代のものへと変更した。
ただし「屢々」や「或る」のような漢字をひらくことは一切していない。
角括弧[]で付けた註釈は底本に由来するものと新しく付け足したものとがある。
また必要に応じてルビを増やしたり減らしたりした。
谷崎潤一郎の本は基本的に段落の一字下げをしていないのだが、今回は字下げをした。
私はいつもスマートフォンで閲覧しやすいように段落とは別に改行をしたり空行を入れたりするから、その改行と段落変更の改行とを見分けられるようにとの配慮である。
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