煙草と悪魔 VS カフェインと天使
右手の親指、
「おいおい、勘弁してくれよ。また俺達の主人が雑文を書くようだぜ」
左手の人差し指、
「マアマア良いじゃないですか。
なあに彼だってすぐに飽きますよ。
書いてもどうせ誰も読まないんだし……」
右手の親指、
「まずい、もう雑文が始まってるぞ!
俺達の会話が筒抜けだ!」
と、いう具合に一人芝居をしてみると案外面白い。
「右手の親指」は地声で、「左手の人差し指」の方は裏声で発音していると思っていただきたい。
江戸川乱歩の「人でなしの恋」は美しい人形に恋をする男の話で、
この「人でなし」の「恋」というやつも私の場合と似たような一種の一人芝居であった。
少年少女(男だって人形遊びくらいはするモンですよ)がよくやる〈お人形さん遊び〉は人形を介した〈自分〉対〈自分〉のオママゴトであり、一人芝居である。
「人でなしの恋」に出てくる男は人形に「自分の理想とする女性の人格」を投影し、
自ら発する「女声」で恋人の発言を巧みに音声化し、
さらには妄想ラヴ・ストーリーをずんずん進行させる。
実に大した一人芝居である。
もはや「一人芝居役者」とでもいうような肩書きを進呈したくなるほどだ。
実に回りくどいようだが、私が「人でなしの恋」の話をするのには理由がある。
ホラ、作中にこういう文章があるじゃないか。
「わたしはふと滑稽なことを考えたものでございます。
〈中略〉
それは、先日からのあの話声は、もしや門野(私註。主人公の名)が
まるで落とし話の様な想像ではありますが、例えば小説を書きますためとか、お芝居を演じますためとかに、人に聞こえない蔵の二階で、そっとせりふのやり取りを稽古していらしったのではあるまいか」
とある。
もちろん男が〈お人形さん遊び〉をしている様を主人公が盗み聞きした後の文である。
ここに「小説を書きますためとか」とあるようにどうもこの〈一人芝居〉も捨てたものではなく、割合役に立つらしい。
なんてったって小説ってェのは、セリフが上手けりゃ成功したも同然なのだからねェ。
連想を働かせてみれば「人でなしの恋」に出てくる「泉鏡花さんの小説」もまたセリフのパワーを大いに利用して書かれた作品群であった。
この〈一人芝居〉を極めれば私も小説家として巨万の富を得られるかもしれぬ。
とマアそんな妄想を抱かずにはいられぬほど雑文家は儲からない。
私は序文に書いたとおりカネのために雑文を書く人間だから儲からないと困るのである。
*
さてここでカフェイン飲料をぐいと飲む。
私は最近BOSSの「カフェインプロ」(旧名は「おいしくカフェイン」で知られる「ボスカフェイン」。
なお「ブラック」と「ホワイトカフェ」以外の味は未だ旧名で売られている模様である)をよく飲んでいる。
カフェイン200mgはありがたい。
これで頭がキューッとなって胃が痛くなったら成功である。
というのはこれらの病的な兆候こそがカフェインが効いている証拠であり、
すぐに平常時よりも集中力が高くテンションが高い「キマった」状態に入れるのだ。
カフェインを摂取して缶を握り潰した私は目を輝かせながら文章を打ち込もうとする。
しかし私の目はディスプレイではなく部屋の窓を見る。
私はそこに何者がいるのかを経験的に理解していたのだ。
窓が硬い手の甲でノックされる。
――天使だ。
天使が私の部屋の窓の向こうにいるのだ。
私は窓を開けてやる。
それだけで奴はスルリと部屋の中に入れる。
すこぶる軟体生物的な肉体だ。
彼は黒衣を纏っていた。
その背に生える翼――そして彼の肌だけが白い。
大きな青い眼をしていて鼻筋が通ったその人相はまさに西洋画で見たような感じだ。
カフェインに幻覚作用がないのは無論である。
読者は私が小説家になるためについに嘘っぱちを並べ始めたのではないかと疑うであろう。
ところがどっこいこれが真実なのだ。
私は嘘は吐かぬ。
「やあこれは天使さん。
どうもこんにちは」
「やあ妄想機械さん。
いつもお世話になっておりますわ」
この天使とは馴染みだからわかる。
彼(?)は見た目は美青年ながらも声調と言葉遣いははなはだ女性的なのだ。
天使という生物は両性具有がスタンダードなのだから男性的だとか女性的だとか言うのはおかしいが、言語化する際には多少人間に寄せねばなるまい。
「それでェ妄想機械さん、例の物をお願いできませんかしら」
「例のってのはどっちの方だね?」
「イヤですねえまだ昼間ですよ」
彼が夜に来る時は大抵例の物とは睡眠薬を指す。
睡眠薬くらい自分で調達して欲しいところである。
というか、仮にも医薬品を他者に渡すのは気が引ける。
「確かに昼間ですね。
で、例の物とは一体なんなのです?」
「イヤだわ妄想機械さんったら。
例の物っていったら一つ――いえ、昼と夜で二つしかなくってよ」
「イヤなのはアナタですよ。
人の家に踏み込んでブツをねだるのみならず、そのブツを名言なさらないのですから」
「仕方のないお人だこと――カフェインですよ。
分けて下さらない?」
いよいよこの天使も図々しくなってきたものである。
私にカフェインを寄越せとは!
「別にカフェインくらい惜しくはありませんがね。
しかしアナタは私になんにもして下さらないのだから、譲るだけでは良くありませんよ」
「アラ、いつもお返しして差し上げているじゃありませんの。
わたくしここにいる事をして差し上げていますわ」
「それじゃ困るよ。
居るだけで良いってのはアレだ。
トーテム・ポールじゃないんだからいけないよ」
「駄目ねえ妄想機械さん。
わたくしがいる有り難さってものがちっともお解りになりませんのねえ」
宗教改革で知られるルターという人が悪魔にでくわした時にはインク壺を投げ付けることで事なきを得たらしい。
しかし私のケースは厄介だ。
なぜなら私の場合は手元にインク壺が無く、更にはでくわした相手が悪魔ではなく天使なのだから。
「とにかく、困りますよ。
私だって無限に金があるわけじゃないのですからね。
それでせっせと雑文をこしらえているんだ」
「だから、わたくしの事をお書きになればいいじゃありませんの。
天使を見た話を書けばたちまちPV鰻登りで金はジャブジャブ入りますわよ」
「それよりは君の羽を剥ぎ取って金持ちの男色家にでも売り飛ばした方が金になりそうだよ」
「イヤンだわわたくし女の子なのに――」
「いやいや、君のような筋肉質で胸のない女子がいるものか。
だいたい天使というのは両性具有すなわち男でも女でもないのだ。
男でも女でもあるというのは、男でも女でもないという事なのだ。
なぜならば男とは女ではないことを意味し、女とは男ではないことを意味するからだ。
男でも女でもあるということは男ではなく女でもないということになるのだ」
自分でも言っている間に頭がこんがらがってきた。
「なんだか処女懐胎を証明する際の神学者みたいになってきましたねえ」
「天使がそれを言っちゃいけませんよ」
「これでもわたくし無宗教よ。無神論者で不可知論者でしかも毎晩教会を燃やしているわよ」
「ちったァ悔い改めなさい」
この天使がいる限り私の作業が捗らないから、もうカフェイン飲料を渡して退散してもらおう。
天使ってのはなんだか泥棒に似ているなあ。
「あらありがとうございます妄想機械さん。
やっぱり妄想機械さんってわたくしのこと好きなのね」
「残念ながら天使と恋愛するの何やら背徳的なようだから私はご遠慮したいですね」
「アラ度胸のない……」
「君は度胸ありすぎですよ」
天使は来た窓から外へ飛び去っていった。
落ち着かず雑文を書く作業に入れないから天使が残した羽をボンヤリ眺めることにした。
よく観察するとどの羽にも芯というものが通っていない。
どれもこれも白い埃の塊のようである。
――それらは毛玉だった。
毛玉をほどいて一本一本丁寧に伸ばす。
その感触、白い色、光沢、長さは丁度白猫を思わせた。
それから私は天使を猫の怪と呼ぶことにした。
どうも筋肉質でボーイッシュな雌であるらしい猫の怪女史はそれからも時折私の部屋に来る。
しかしたまに思うのは「人間の――ハリボテの翼を立派に生やした天使の――姿になるからカフェインや睡眠薬の必要があるのであって、
そう無理をせずに猫として生活していればその必要は無くなるのになァ」ということである。
つくづく猫という奴が羨ましい。
私が人の怪になって猫達のところにお邪魔したいくらいである。
「アラ、猫だってそんなにラクじゃなくってよ」
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