神隠し。


「七歳までは神の子。その先はどうなるかはわからない」


 七五三と子供の成長を祝われるのも、七歳まで生きられたら上出来、そのほとんどはそれより下に亡くなるという意味で、七歳になったら盛大に祝い、もうこの子はこの世で生きていけるだろうという親の願いをねぎらう意味も込められている。

 しかし。その一方で。

 子供が行方不明になれば天狗隠し。女が行方不明になれば狐隠し。それらはひとまとめにされ、妖怪の類いにより隠されたことを神隠しと称されるようになった。

 しかし神隠しの正体については、史郎は椿の話をもってしても否定的である。


「神隠しなあ……」


 江戸の世においても、飢饉に見舞われた百姓が口減らしのために生まれた子を人買いに売り払いどこぞの女郎屋に入れられることはあるし、男色気味の僧が欲求解消のために子供をさらってしまうことだってある。

 人身売買や病死を誤魔化すために、「あの子は神隠しにされた」と方便を使うことは、子を亡くしてしまった親からしてみれば、親の手元から離れて神の元できっと幸せになっていると願いを込められているため、一概に「そんなの嘘だ」と否定できないが、その手の考えが横行していることは事実なのだ。

 だからこそ、松の奉公先の許嫁の桜がどうなったのか、素直に読めないでいる。

 史郎はひとまず椿に「まあ、ひとまずお茶でも飲んで落ち着け」と玄米茶を注いでやると、今日はひとりで惣菜屋に買い物に出かけた。

 この時期は山菜の惣菜も増え、蕗の味噌和えを見つけると、それと巾着餅を買って帰ることにした。どれも酒と食べるのにちょうどいい。そうのんびりと歩いていたら、「しろさん」と声をかけられた。

 ちょうど出かけていた糸だ。


「やあ、お糸さん。どうした?」

「しろさんから言われた調べ事だけどねえ……これ、あたしの部屋で話してもいいかい?」


 今の時間帯であったら松は惣菜屋で精を出して働いているだろうが、どうも他の店子には聞かれたくない様子だった。

 史郎は「いいよ」と言って糸の家に着いていくと、家に帰った途端に糸は口を開いた。


「……ちょっとまずい話があってね。お松さんは可哀想だけれど、ちょっとこれ以上は関わらないほうがいいよ」

「おや……怖いもの知らずのお糸さんがそう言うかい」

「あたしだって生活のためだったら命以外はなんでも賭けるさ。でも今回はそうもいかないからね」

「そりゃまあ……でもいったいなんだい。そんなお糸さんが顔をしかめるような案件って」

「これは元夜鷹仲間から聞いた話だけどね。どうも組織的に人買いが横行しているようなんだよ」


 糸の言葉に、史郎は目を見開いた。それから目を細める。


「なんだい、それだったら、普通はお上が調べるんじゃ」

「それがねえ。お上が手も足も出ない場所から起こっていることだからね。そのせいで大っぴらに公表できないのさ。おそらくは瓦版屋も口止めされている」

「……夜鷹は知っていて、お上が手を出せないとなったら……」

「……大名屋敷が絡んでるんだよ」


 大名屋敷は治外法権であり、江戸の法律は一切通用しない。しかし人身売買が絡んでいるとなったら、さすがの幕府だって捜査がはじまるだろうが、幕府の重鎮が絡んで捜査に横やりが入って上手く捜査ができないと言う。

 それに史郎は顔をしかめた。


「こんなの。完全にお手上げじゃねえか」

「そうなんだよ。だからしろさん。悪いことは言わないから、この件は……」

「俺ひとりの力だったら、たしかにな」


 史郎は別に偉くもなんともない小役人だ。しかし、今回の相談事は、なんとしても解決しないといけないと思っていた。

 それはあまりに椿が憐れだからだ。

 彼女を弟子とは思っていないが、親しい同居人とは思っている。そして彼女は自分が神隠しされたがために売り飛ばされたと思い詰めている。

 彼女の言っていることは、全て彼女視点の話なのだから。彼女の場合、親族に売り飛ばされたせいで、記憶があちこち欠損している。

 だからこそ、神隠しなんてものはこの世に存在しないことを、きちんと証明しないといけなかった。


****


「土御門史郎、久し振りですね」

「……お久し振りです」


 江戸の浅草、天文台。

 ここは幕府直轄の暦生成を行う場所である。元々は陰陽道に乗っ取った暦がつくられていたが、それだけだと西洋文化の暦ほどの正確さはない。そのため、西洋文化の天文術と陰陽道に則った天文術が合わさり、こうして暦がつくられるようになった。

 本来ならば、そんな場所には小役人は行けない。史郎は土御門家の中でも末端なのだから。

 しかし、今の天文台管理者は史郎を親しげに見つめた。

 狩衣を着て烏帽子を被る。人が思う陰陽師の格好をした彼は、理知的な目をしていた。


「して、自分になんの用ですか?」

「……調査したいところがございますが、そこは幕府ではできないということなんです」

「ほう」


 史郎は最初のあらましを話した。

 とある江戸に出てきた女の不幸。その女が不幸になった原因は、大名屋敷で密かに行われている人買いに直轄しているが、それはただの小役人である史郎では手に余る。だからこそ、史郎は自分より上の人の権力を……虎の威を借りることとしたのだ。

 彼はにっこりと笑う。


「自分を使おうなんて、いい度胸しておりますね」

「そうおっしゃらないでくださいよ、異母兄上」

「はははははは……自分を兄呼ばわりするとは、これは相当で……誰か惚れた女でも関わっていますか」

「いえ。周りには面白い女はたくさんいますが、特に娶りたいとは思っていません」

「はははははは……相変わらず素直でよろしい」


 彼はにこりと笑った。


「まあ、これは上に報告しておきましょう。これで調査ができるかと思いますよ。それでよろしいですね?」

「ありがとうございます」


 史郎は実の異母兄に頭を大きく下げた。

 なんてことはない。土御門現当主が異母兄の乳母を手籠めにして生まれたのが史郎であった。ただでさえ幕府と陰陽寮の力関係は微妙なのだ。江戸幕府に庇護してもらっているからこそ、陰陽寮は戦乱の世のあとも生き残ることができた。風紀の乱れを理由に廃止されてはかなわないと、史郎は土御門家の端に養子に出されたのだった。

 史郎がやけに権威に弱く、隠れて目立たず生活し、長屋暮らしを愛しているのかというのは他でもない。権威を笠に着て好き勝手する人間に愛想を尽かしているため、権威の被害者にこそなれど権威を加害者たる人がひとりもいない生活が心地よかったからだった。

 史郎は大家の糸にすら、自分の生い立ちを話したことはない。

 ただ今回の件が嫌だっただけである。ひとりの女の不幸が権威を持つ存在の仕業だったことが。

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