大名屋敷の付近は、人が閑散としている。

 当然ながらこの区画に済む人々は武家しかおらず、小役人や町人であったらうろついているだけで不審者になりかねないため、ただ早歩きするしかあるまい。


「しかしまあ……見かけたっていう狐の嫁入りなんて、どうやって聞き出したものかな」

「そうですね。諭吉さんみたいに大名屋敷に仕事で出入りしておられる方でもおられたらよいのですけれど」


 そうは言っても、そんな人々はなかなかいない。

 大名屋敷ご用達の大店であったら出入りするだろうが、そんな人々が陰陽師とその弟子が声をかけたとしても顧客の情報をそう簡単に出してくれる訳もない。

 どこも諭吉みたいな几帳面な植木屋に手入れされているのだろう。庭から伸びる松はいい形をしているのを見上げながら、ふたりで歩いているときだった。

 屋根に影があるのが見えた。

 赤い着物には、桜の花が見えた。


「あっ」

「キャッ、人……!?」


 何故か屋根の上に、職人でもない娘が乗っていた。格好からしてどう見たって職人ではなく、大名家のお姫様である。

 史郎と椿は慌てた。屋根の上に乗っている姫は、どう見ても落ちそうなのである。


「椿、とりあえず受け止めるぞ」

「受け止められるんですかね、先生非力じゃないですか!」

「こんなところで武家殺しなんて汚名着せられてみろ! どう言い訳が立つんだよ!」


 ふたりで慌てふためいて手を組んで彼女を受け止める準備をしたところで、本当に落ちてきた。腕を組んだふたりの上に、すっぽりと納まる。


「キャッ……! まあ、受け止めてくださいましたの。ありがとうございます……」

「ま、まあ……しかしおひいさん。こんなところから落ちてきたんじゃ、危ないですよ?」

「あら、そうでもしませんと、爺やの目はかいくぐれませんもの」

「爺や……」


 家老のいるような大名家の姫なんて、いよいよもってまずいのではないだろうか。史郎と椿がどうにかして姫を降ろすと「じ、自分たちはこれで……」と後ずさりしようとしたが、彼女にぐいっとふたりは襟首を掴まれる。首が絞まってどちらも「グエッ」とアヒルの悲鳴のような声を上げる。


「まあ、そんなことおっしゃらないで。これから所用がありますから、通りすがりのところ悪いですが」

「い、いえ……! 自分たちも用事が! なあ、椿!?」

「はいぃ……やめてください、首が絞まっちゃいます!!」

「あらぁ?」


 姫は本気で自分がやっていることで、このふたりの首が絞まりかかっていることをわかっていないらしい。

 ふたりともモガモガモガモガしていたら、屋敷の方からドタドタと人が走ってきた。


「そこの不審者たち! 姫になにをする!」


 白い髭をたくわえた初老の男性に叫ばれ、ふたりとも必死で首を振った。


「なにもしてません、むしろ助けたはずなのに首が絞まって……絞まって……」

「助けてくだしゃい……」

「むっ! これは失敬! 姫! 困ります! 市井の者の首を絞めたりしたら!」

「あ、あらあ? 首が絞まってましたの? それはそれは。ごめんなさいね?」


 本気でわかってなかったらしい姫の脳天気な発言に、史郎と椿はゲホゲホと背中を丸めて咳をしながら、必死に酸素を貪った。


「い、いえ……こちらこそ。余計な真似をしました。それではこれで……」

「ああ、お待ちくださいましっ!」

「ぐえぇ……」


 またしても襟首を掴まれ、史郎の首は絞まる。それに椿は「先生!」と悲鳴を上げる。この脳天気な姫は、初老の男性に声をかける。


「爺や、この方々はわたくしの恩人ですの。せめてお茶を出してもてなしてくださりませんか?」

「恩人と……しかし彼らはどう見ても……」


 片や狩衣に烏帽子の陰陽師。片や白衣に緋袴の巫女風の娘。普通に考えれば胡散臭くて断るだろうが、姫は訴える。


「わたくしうっかりと屋根から逃げ……お外に出ようとしたところ足を滑らせたのを助けてくださいましたのよ。ねえ、爺や。いいでしょう?」

「なんと……姫が逃げ出そうとしたのを足止めしてくださっていましたか。それならば、話は別です。どうぞこちらに」


 姫の脳天気さが功を成したのか、ふたりはそのまんま屋敷に通されてしまった。

 思わず史郎と椿は顔を見合わせる。史郎は心底面倒臭いという顔をした。


「……あー。俺ぁ武家が陰陽師をもてなすなんざ、あまり知らんのだが」

「ですけど、大昔はかの安倍晴明だって源四天王と協力して大江山の鬼退治をなさったのでしょう? おんなじじゃありませんか」

「あーあーあーあー……源四天王の逸話のせいで、頼光さんもかなり武家だって言われてるが、伝承を紐解いてみたら、あの頃の源家の中でもかなり都政治に精通していたほうだよ……まあ、そんな話をしていても仕方ないか」

「でも先生、武家の方はお嫌い? 幕府のお偉方だって武家じゃございませんか」

「得意か苦手かって言われたら、苦手だな……。いくら合同で暦制作やっているとは言っても、そんなの陰陽寮のお偉方だけで、下っ端のペーペーは縁なんざないからな」


 今のご時世、平安時代と呼ばれた時代からは遠く離れている。既に伝承として親しまれている物語ほど、陰陽師と武家の関係はよろしくないが、とりあえずたまたま姫を助けてもてなされるのだから、今日はそれに甘んじてみようと、ふたりでついていくことにした。


****


 出された茶は、普段史郎や椿が飲んでいるような玄米茶とは程遠い、甘い玉露。お茶請けに出されたのは南蛮菓子のカステラで、ふんわりとした甘さと旨味で、ふたりとも黙々と食べていた。

 その中、爺やには何度も何度も礼を言われる。


「このたびは姫様の脱走を食い止めてくださり、誠にありがとうございました」

「い、いえ……自分たちは少々調査で通り過ぎただけですので……落ちてきたので慌てて受け止めただけで」

「そうですか……しかし調査とは?」


 そこで史郎は言い淀む。まさか狐の嫁入りの話をするべきなのかと。口を噤んだ史郎を無視して、椿が勝手にしゃべり出す。


「狐の嫁入りですわ。この辺りでお仕事をなさっていた方が目撃したとおっしゃっていましたの。なにかご存じありませんか?」

「むぅ……?」


 途端に機嫌良くしていた爺やの目つきが一瞬だけ鋭くなった。それに史郎は背中を冷や汗が伝うのを感じていた。


(ここは治外法権だしなあ……なにかあったときは、せめて椿だけでも逃がしてやりたいが……)


 どうやってこの屋敷を脱出するか思案しようとしたところで、ころりと爺やの顔つきが、先程の上機嫌なものに戻った。


「覚えがございませんな」

「そうですか……私たちは、狐の嫁入りを祓いに参りましたから。もし見つけてくだされば、なにかご連絡くださいましね」

「そうですか。そのときは」


 史郎はそこでほっとした。このまま知らぬ存ぜぬを貫き通してくれるのならば、そのまま屋敷の外に出られるだろうと。そう思っていたところで。


「狐の嫁入りですの!?」


 先程の姫が出てきたのである。それに史郎は内心「おい馬鹿やめろ」と思う。不敬でたたっ斬られたくない一心で口にはしないが。

 爺やが先程見せた剣呑と、好々爺の間のような表情を浮かべて姫に苦言を呈する。


「姫、またはしたない……部屋にお戻りくださいませ」

「でも爺や、私も狐の嫁入りを見とうございますわ! ねえ、あなた方は陰陽師で、それらを退治に向かうのでしょう? 是非とも私にも見せてくださいまし」


 史郎は内心「あっちゃー」と思ったが、椿はキョトンとした顔で史郎を見た。


「先生、どういたしますか?」

「……爺やさんがお止めするでしょう。我々の活動は、そんな大っぴらに見せびらかすものでも……」

「あら爺や、彼らは私の恩人ですから、無体なことはしませんわよね? そして私になにかあったときはわかっていますわよね?」


(やめてくれ、おひいさん。そいつは脅迫というものだ)


 椿と同じく、へっぽこで身勝手な女が増えたことに、史郎は頭を抱えるのだった。

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