59.大きな船に乗ります



 ミューグランド共和国方面に向かう船への乗り込み口で、見送るニーナたちに向かって手を振った。

 昨日のバケツをひっくり返したような雨には驚いたが、今日は快晴。

 船旅の初日として抜群の天気だ。

 

「ジルコさん、お部屋に荷物置いたら、船の中探険しましょう!」


「探険って、この船は一部が客室になってるだけで、船員じゃない俺たちがいける場所は食堂と甲板くらいだぞ」


 それを聞きショックを隠せなかった。

 結構大きな船だったので、期待していたのだ。

 たしかに言われてみれば、コンテナのような大きな箱がたくさん積んであった気がする。

 

(この船、豪華客船じゃなくて、貨物船か……)


 肩を落としながら、乗船券に記載された部屋へ向かう。

 水平服姿のマッチョと何人もすれ違った。

 どうやら、この船の制服が『水兵服風』のようだ。

 きっと、この船の船長とは気が合う。

 

「……よかったな、アンタ好みの男が大勢乗ってそうで」


 段々と機嫌のよくなっていくエリアーナを半目で見つめるジルコ。

 何だか視線が痛い。


「性別は関係ありません!

 素晴らしい筋肉を心の中で拝んだまでです。

 あ!でも、やっぱ一番はジルコさんです。

 過剰にムッキムキでもなく、細マッチョでもない。

 このちょうどいい感じが、私は一番好みです!」


 それは自信を持って言えた。

 ジルコの筋肉の付き方は、本当に美しい。

 実用的なのに、魅せるためについているかのような完璧なものだ。


「これまで撮った写し絵は全部

 ノーガスの写し絵屋さんで絵にしてもらいました!

 じつはこっそり、毎日見てるんですよ。

 私に器用さがあれば、彫像として作品を残したいくらいです!」


 不器用な自分が恨めしい。

 ジルコは赤い顔でこちらを睨んでいる。


「またそうやって、恥ずかしげもなく……。

 あの日の夜だってな――」


 そこまで言って、しまったという顔をした。

 あの日というのは、やはり『肉とワイン』を堪能したあの日のことだろう。


「昨日の朝、めちゃくちゃ二日酔いだったんですよ。

 あの日、私どんだけ飲んだんですか?

 途中から記憶がなくて……。

 やっぱ、恥ずかしいようなこと、言ったりやったり!?」


 もしそんなことをしでかしていたなら、もう二度と酒を飲むまい。

 ジルコは目を逸らした。


「忘れてるなら、それでいい。むしろ……」


 後半は声が小さくてよく聞き取れなかった。

 ジルコは歩く速度を速め、先に進んだ。

 真っ赤なとがり耳を見つめて思う。


(私、一体、あの日何をしたんだ……)


 その場に蹲りたくなるが、理性をフル動員して立ち続ける。

 這いつくばるような思いで、ジルコを追いかけるのだった。



 時は少し遡り、2日前。

 

 エリアーナは、ステーキと赤ワインという最高の組み合わせの前に、ひれ伏していた。

 

 飲みやすいスパークリングワインを注文しようと思っていたら、ジルコに赤ワインをすすめられた。

 それに従う。

 焼きたてのステーキとグラスの赤ワインがやってきた。

 

 柔らかな肉は口に入れた瞬間、じゅわっとうま味が広がる。

 とろけるようなのにしつこくない油。

 食欲が増進するスパイスの香り。

 気づいたらワインを口に含んでいた。

 肉のあしあとが、ワインを引き立てる。

 重い赤ワインは舌にガツンとくるのに、それがうまい肉でだらーんとなっていた口内をまとめてくれた。


 そして、ワインを飲み込んだ後、少し渋みが残る舌に肉のうまみが広がると、天井知らずの相乗効果だ。

 一体、どこまでおいしく感じさせれば気が済むのだろう。


 と、そんな感じで堪能した結果。

 ジルコと二人でボトルを数本、空けてしまった。


 店から出るときには、まっすぐ歩くのが困難になっていた。

 そんな状態では、魔法を使うことはできない。

 まっすぐ歩けず、魔法で酔いを醒ますのも不可能だ。


「ジルコしゃん!わらし、酔ってはじぇーんじぇん、ないんれす!けろ、フフフ……。歩けませしぇーん!」


 ジルコにつかまり、どうにか立っているが、それが限界だった。

 歩こうとすると、世界が回るので無理なのだ。

 ジルコは酒に強いのか、少し顔が赤いがそれだけだった。

 大きくため息をつくと、へべれけなエリアーナを背負い、歩き出す。

 いわゆる『おんぶ』だ。

 

「おー!ジルコしゃんの背中ら!おっきいねー。

 首も太いし、なんかいいニオイもしゅる。

 ジルコしゃんの香りかな?ドキドキしちゃうね!」


「嗅ぐな!耳元で話すな!落としたらあぶねーだろ」


「はーい。じゃあ、ちっちゃい声れー、話しましゅ!」


「そういう問題じゃ……。

 はぁ、もう何でもいいや。好きにしてろ」


 そういうと、ジルコは考えるのをやめた。

 宿へ向かう道は何となくわかるので、ゆっくりとその道を進む。


「わらし、ジルコしゃんがしゅっごく、大切なんれす。

 だから、幸せになって欲しいんれしゅ。

 ほんろに、心から、そう思ってるんれすよ!

 そのためには、わらしの『奴隷』じゃ、らめなんれす。

 じぇーったい、隷属魔法、解く方法、見つけましゅ!

 それれ、わらしから、解放しれ、あげましゅからね……」


 それきり、エリアーナからは寝息しか聞こえなかった。

 今背中で眠るこのポンコツは、自分の幸せを心から願い、そのために隷属魔法を解こうとしている。

 それが無謀なことだとはわかっていた。

 隷属魔法ははるか昔より使われている、とても強力な魔法だ。

 人の魂に刻むともいわれる魔法で、無理に解こうとすると、解こうとした本人と奴隷が危険だった。


「俺は……別に、今のままで、いいんだがな」


 とても優しく、穏やかな表情で背中の人物に話しかけた。

 その声を拾う者はいない。

 外灯が照らす港町のなか、エリアーナは幸せそうな寝顔で眠り続けるのだった。






 

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