フレンド

 刃物を振るって生き物を殺すことをハヤトはしばらく怖がっていた。その対象が現実の動物に近いほど、人型に近いほど、躊躇いによって傷つくことが多い。


 三段階あるダイブレベル以上のリアルな描画を、私もアドミスに体験させられたので理解しているつもりだ。都会で普通に生活していたハヤトが動物を殺すにはそれなりに慣れが必要だろう。


 それから、現実世界で三日、フロンティアで九日が過ぎた。


 バイトを終えて帰宅し、べたつく汗もそのままにログインすると、フロンティアはちょうど日が昇るところだった。


 カメラの視点は宿屋の扉の前に変わり、『就寝中』のデジタル文字が浮かんでいる。


「今のうちにシャワーしよ」


 たまにはお風呂にゆっくり浸かりたいけど、そのあいだに何かあったら困るので仕方がない。私はエアコンをオンにして浴室に向かった。


 部屋に戻れば涼やかな微風が火照った身体を冷やしてくれる。その気持ち良さに気が抜けたのか、私は肩から圧し掛かる疲労に気がついてしまった。


 モニターにはまだ『就寝中』の文字が浮いている。


「二十分くらいの仮眠を取ってもよさそうね」


 タイマーをセットをしようとスマホを手に取ると、フロンティアのアプリからメッセージが届いていた。嫌な予感がする。


 【死者を冒涜せし者を討て】


「やっぱりぃぃぃぃ!」


 避けては通れないこの試練をハヤトに送った私は、崩れるようにベッドに倒れ込んだ。そんな私の耳元に天使と悪魔が現れて、悪魔は「寝てしまえ」といざない、天使が「休みなさい」と囁いていた。


「しまった!」


 目覚めたのはそれから一時間とニ十分が過ぎた頃。急いでログインすると、ハヤトはどこかの洋館に足を踏み入れたところだった。


 隣には先日フレンドになったレガシー君とサーラちゃんがいる。どういう経緯かわからないけどハヤトのクエストに付き合ってくれているようだ。


 ふたりは共にレベルが七になっており装備も新調されている。初心者から初級者に変わろうかという頃で、ゲームがかなり楽しくなってきたところだろう。


 その彼らが付き合ってくれているアドミスのクエスト、【死者を冒涜する者を討て】の詳細はよくわからない。わかるのは、この館にいる黒魔術士が討伐対象だということだけだ。


 古めかしい洋館は演出されたようにボロボロではない。だけど、昼間であっても雰囲気がある。曇り空で日差しが弱いのも原因だろう。掃除の行き届いていないという意味で生活感が感じられない。


「すみませーん。どなたかいますか?」


 これから討伐しようかという黒魔術師の館に挨拶したのはサーラちゃんだ。その礼儀正しさは中の人の育ちの良さから?


「誰もいないな。手分けして探そうぜ。サーラはそっちでハヤトはそっち、おれは二階を探してくる」


 レガシー君はふたりに支持を出して玄関ホールの豪華な階段を上がっていった。


「サーラちゃん気をつけて」

「ハヤトさんも」

「うん」


 こうして十分ほど探索した結果、サーラちゃんが地下へ続く階段を見つけた。その階段を下りると、これまでとガラリと変わった雰囲気が、三人から会話を奪った。


 緊張感がどんどん増していく地下通路を異様に思いながら進んだ最奥部には大きめの扉がある。ここがボス部屋だろうか。


「行くよ」


 重々しい扉を押し開けて入った部屋には床板がなく土のままで、奥には四つの墓標がある。あきらかに何か魔術が施されているとわかった。


 なんかやばい! 私がそう思った直後にハヤトたちの背後で大扉が閉まった。同時に、このクエストに三人で挑んだことをハヤトたちは後悔しただろう。


 この部屋は、視覚化された死臭が照度を落としているかのように暗い。その薄気味悪さが聞こえるはずのない音を作り出して耳元で死へと誘ってくるようだ。


 必要のない味覚さえ総動員して警戒したくなるほどの殺意に、日常では眠っている第六感が呼び起こされた。


「これが本当にゲームなの?」


 先日潜ったダンジョンとは明らかに違う。それは、レベルに見合わないことを知らせているのか。ハヤトの感覚を共有しているかのように、守護女神の私にもそれが伝わってくる。


「お前たちも仲間になるか?」


 突如聞こえたこの声に、私の肌が泡立った。


 墓標の奥の椅子に黒っぽいローブを被った誰かがいたのだ。


「誰だ!」


 少しだけ引きつった声で叫んだレガシー君にローブの男は言い返す。


「人の家に勝手に入ったお前たちが言うことか?」


 そう言ってローブの男は呪文を唱えた。


「目覚めよ しもべたち

 無念のうちに死せし者よ

 満たされぬ念を聖者の魂を以って癒せ

 ドリオネット」


 四つの墓標から出現したのは剣と盾を構えるスケルトンだった。


「なぜここに来たのかわからんが、完成したばかりのこの魔術の実験台になってもらおう」


 元兵士であろうむくろはかなりの強敵だった。そのうえ、もはや本物としか思えない不気味なスケルトンが襲いかかってくるのだから冷静ではいられない。


 サーラちゃんとレガシー君には【恐怖】が、ハヤトにも【動揺】のバッドステータスが付いている。


 モンスターの接近を足音を拾って対処するこのゲームにバックミュージックなんてモノはない。恐怖を演出する音楽や効果音など無くても、プレイヤーの内側から恐怖を湧きあがらせるのがこのゲームの真骨頂だ。


 【恐怖】のバッドステータスによって委縮しているレガシー君の攻撃は盾に阻まれ、ハヤトも【動揺】によって動きが悪い。サーラちゃんを守らなければならないこともあってふたりは大苦戦していた。


「四対二はまずい。レガシー君がかなり足を引っ張ってる」


 この戦況を見兼ね、私は御業を使った。


 【女神の声援】(攻撃強化:小、効果時間:一分)『千ジュエール

 【女神の威厳】(モンスター弱体:小、効果時間:一分)『五百ジュエール


 微かな光の粒が降り注ぎ、ハヤトの剣がスケルトンを押し始める。戦っているうちに【動揺】が消えていたハヤトが一体を倒し、レガシー君の救援に入った。だけど、ハヤトが倒したスケルトンが立ち上がってくる。これが推奨攻略レベル十三ってどういうことだと嘆いてしまったけど、三人で来たのはハヤトたちの浅はかさだ。


 苦戦しつつも耐えしのぐ戦いの横で、なにやら言葉を並べる声が聞こえた。


「乱れ狂え、罪のいばら

 彼の者の力を奪い取れ

 ギルティーディザスター」


 ローブの男の呪文によって顕現された棘の束がレガシー君を襲って押し飛ばした。ローブの男の参戦を警戒していなかったので、彼はとんでもない不意打ちを食らってしまった。


「まずい!」


 これでは実質五対一と同じ。ハヤトひとりではどうすることもできない。私ひとりのささやかな助力でどうにかなるものかと思ったときだ。


「じょ、浄化の光よ 

 悪しき者を照らし

 えーと……闇の力を祓いたまえ

 ホーリーライト!」

 

 聖なる光が部屋を照らし、黒魔術によって操られたスケルトンたちの動きが鈍くなった。


 たどたどしく唱えたサーラちゃんの白魔術の呪文は完全詠唱にはならなかったけど、少しばかりスケルトンを弱体化させたようだ。


「チャンスだ!」


 【女神の羽根】(俊敏強化:小、効果時間:二分)


 クールダウンタイムがあるので同じ御業は連続で使えない。微々たる助力だけど切り札だ。私はハヤトにすべてを託した。ところがだ。


「大地は力を 水は流れを

 傷つきし者を癒したまえ

 ルオーラ」


 サーラちゃんがレガシー君に治療の白魔術を施した。それを受けて立ち上がったレガシー君がスケルトンに向かっていく。


 ひとり応戦していたハヤトは、レガシー君の乱入によってできた隙間を抜けて飛び出すと、黒のローブの男の胸をひと突きして戦いを終わらせた。


「すごぉ」


 圧倒的ピンチからの逆転劇は、私が戦力に数えていなかったサーラちゃんの演出によるものだ。


「四対二とか五対一なんて言ってゴメンね。君は立派なパーティーの戦力だったよ」


 戦いを終えたサーラちゃんは気が抜けたのか床にへたり込んでいる。ハヤトが彼女の手を引くと、サーラちゃんはそのままハヤトの胸に寄り添った。


 この彼女の行動にあざとさなど感じない。ゲームを超えたフロンティアだからこそ、ハヤトが頼もしく思えた結果だろう。恐怖によるつり橋効果があったのかもしれないけどね。


 このときから、パーティー内に微妙な不和が生まれていたことに私は気付かなかった。


 館を出てすぐに、レガシー君は用事があるからとログアウトしていった。


 VRマスクの表情感知センサーが確かなモノならば、レガシー君はあきらかに不機嫌だった。ハヤトもそう感じていただろう。それが間違いないことを裏付けたのはゲームの中での次の日のことだ。


 ハヤトが食事をしながらサブ画面を開いて装備や道具のストレージやら受注クエストやらをチェックしていたとき、フレンド欄からレガシー君の名前が消えていることに気がついたのだ。もちろんハヤトは困惑している。


「おまえは何も悪くない。男の嫉妬とはそういうものだ」


 ハヤトにとっては現実だから人間関係のトラブルがよりストレスになるんだろう。これが原因でハヤトは冒険者ギルドで雇うサポート仲間としかパーティーを組まなくなってしまった。でも、女の子は残ったから良かったね。回復系ビルドのフレンドは大事にしよう。


 そんな小さなトラブルがありつつも、ハヤトの日々は続いていく。

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