第11話
ミュリエラは「お披露目式」までの数日間、チャリンド家の図書室に籠った。
しょっちゅうアニエがお出かけのお誘いをしてきたが、どうしても必要な外出の付き添い以外は断った。
「ミュリエラ様と一緒ならたくさんお出かけできると思ったのに」
と、アニエは口を尖らす。
「すまぬのう」ミュリエラは頭を下げた。
「お披露目式まで辛抱してくりゃれ。わらわはこの国のことを何も知らぬゆえ、本に頼るしかないのじゃ」
文体と書体が千年前からだいぶ変化しているのには手を焼いたが、【大賢者】たるミュリエラにはその違いと読み解きすら、パズルのようで心地よい。
日が暮れると、めぼしい本をいくつか自室に持ち込んで、蝋燭の明かりで読みふける。図書室に蝋燭を持ち込むと火事になりそうで怖いのだ。
山のような書物の中に、特に興味を引いたものがある。
半世紀ほど前に著された統治機構に関する論述書で、題名を「メーノン王国における農業ならびに王権の拡大の経過と諸部族への諸影響」という。
この本からミュリエラは、現代においてエルフの使用人が多い理由を知った。
人間は、エルフに魔法で劣り、ドワーフに頑健さで劣る。
だから人間は他の二族を圧倒することにはならない。
──ミュリエラはそう考えていた。
だが、人間はエルフやドワーフには持ちえない、決定的な特殊能力があった。
農業や牧畜の技である。
土の特性を感じ取り、忍耐強く畑を耕し、牛や羊を飼い、屠り、皮を剥ぐ。
食料生産という、生きていくうえで必要不可欠な分野で、人間はエルフとドワーフをはるかに凌いでいたのだ。
「そう言えば、わらわの時代でも、エルフやドワーフの作るパンは、人間の畑で採れた小麦から作られたのではなかったか」
魔王が倒され、人間は耕作地を爆発的に広げ、膨大な食料生産能力を獲得する。
こうなるとエルフやドワーフが人間に対抗するどころの話ではなかった。
力で征服されたわけではない。単に、エルフとドワーフはパンを求めて人間の元に集まっただけなのだった。
己の時代からすでに始まっていた変革を見抜けなかった自らの不明をミュリエラは恥じた。
また、魔王が倒されて以降、魔力の消失による魔法文化の衰退の影響をもっとも多く受けたのがエルフだった。空を奪われた鳥のごとく、彼らは力を失い、人間の有力者の庇護下に入っていく。
と、またここで興味深い社会の変化が起きた。
寿命の長さを誇るエルフは、支配階級にとって使い勝手のよい使用人となる資質を秘めていた。
王や貴族の家には独特で複雑な儀礼や慣習がつきものだが、エルフにはそれらに習熟する「時間」が有り余るほど与えられているのだ。
やがて、人間の支配者にとっても、自分が幼少の頃から、あるいは親の代から変わらず仕えてくれるエルフの使用人の存在は、当たり前のものとなっていく。
見目の麗しいエルフの使用人は、権力者にとっても権威の誇示に都合がいい。
こうしてエルフは、人間の支配者にとって「重宝される」種族となり、ステータス化したのだった。
ミュリエラは、アニエがリリのことを「自分が生まれる前から奉公している」と紹介していたのを思い出した。
「なんとまあ……奴隷でないのは安心したが、世の中、変わるものじゃのう」
翌日。
お披露目式を二日後に控え、ついにアニエのドレスが完成したとの知らせがルドラルフ夫人の店から入った。ついでにミュリエラのドレスも。
こればかりは付き添いを断れない。
ミュリエラはアニエ、そしてリリと共にルドラルフ夫人の店へ向かい、ドレスの最終確認と受け取りを行うこととなった。
一行を出迎えたルドラルフ夫人は、見るからに憔悴しきっている。
何か失敗したわけではない。時間が許せばもっと良い物を作れただろうにという後悔と諦めの境地に、連日続いた徹夜のダメージがどっと押し寄せて打ちのめされているだけだ。
出来上がったアニエのドレスは、ミュリエラはもちろん、この時代のファッションを見慣れたアニエとリリの目から見ても斬新きわまりないものだった。
「名付けて、“
盛り上がるように肩を覆う部分をルドラルフ夫人は誇らしげにそう呼んだ。
これなら「目立つ」という目的には充分かなうだろう。
「
と、ルドラルフ夫人が後悔の念を滲ませながら言う。
「しかし、本当にこのドレスでよろしかったんでございましょうか?」
「うむ。わらわが指定したのじゃ」
白絹と金糸に輝くアニエのドレスの横には、ミュリエラがチャリンド夫人から借り受けたドレスをサイズ直ししたものが並んでいる。
チャリンド夫人のドレッサーを見た時、これしかないと思った。
海の色のように鮮やかな蒼のドレス。
それは千年前には見たこともない、菘から煮出した藍とは別物の、未知の染料で染め上げられていた。
ぶっつけ本番の儀式に挑む【海嘯の魔女】たる自分を奮い立たせるにはぴったりというものではないか。
「色は別として、流行としましては幾分クラシックな装いでございまして」
ルドラルフ夫人は礼儀正しく言葉を選んで「時代遅れ」を指摘する。
彼女としても、店の評判に傷が付くのを恐れているのだろう。
「と、言われてものう……」
ミュリエラは店内を見回し、そこであるものに目を止めた。
「あれは、売り物かや?」
「え? あれでございますか?」
「さよう」
「お譲りしてもよろしゅうございますが、あれはお召し物というより……店内の装飾でございまして」
「あれを染めておる蒼は、このドレスと同一であろうか」
「はい。菘藍ではなく、真藍でございます」
「譲ってはくれぬか」
「……考えてみれば、当方の
帰りの馬車はルートを変更し、王宮のそばを通ることにした。
アニエがどうしてもそうしたいと言うのだ。
「明後日には女王陛下にお目見えするのよね」
「わらわは流行に疎いが、あのドレスで列席者の度肝を抜くのが楽しみじゃ」
「やっぱり不安になってきた」
「お嬢様、自信を持ってください」
「さよう。おぬしほどの輝きを持つ姫君は、時を千年さかのぼっても見当たらぬ。わらわが保証する。心配は無用ぞ」
「……そうね。だから一発、景気づけに王宮を見ておこうと思って」
と、アニエが指差す先には、メーノン王国の王宮たるカールッド宮殿があった。
「ほら! あそこ!」
アニエが指し示した建築物に、ミュリエラは息をのんだ。
「(……これが今の時代の王宮と申すか……)」
端正な装飾で彩られた壁と鉄柵で区切られた広大な一角の中央に、ミュリエラの時代の王宮を馬小屋に等しく見せてしまうほどの壮麗な宮殿が鎮座していた。
ミュリエラは当初、チャリンド家の邸宅を王宮と思い込みかけたものだが、敷地の広さといい、尖塔の高さといい、目の前にある本物の王宮はもはや、度はずれた美と技術の結晶と言ってよかった。
「(ここまでの威厳を放つ建築物を、わらわは魔王城以外に知らぬ)」
と思いつつ、錬鉄の格子で作られた王宮の門を見たミュリエラは戦慄し、凍りついたように動けなくなった。
二人の着飾った衛兵に守られた門。
その真ん中に、紋章が掲げられている。
口の中が乾く。
息が荒くなるのを抑えるので精いっぱいだ。
ようやくミュリエラは声を出した。「あの紋章……」
「紋章……ですか?」
「お城の門のことでしょうか、お嬢様」
「ああ、あれね。王家の紋章ですわ。現王朝、当代の女王陛下のおしるし。玉座を永遠に掴んで離さないという意味なのですって」
アニエの答えに、ミュリエラは言葉を返せなかった。
現在のメーノン王国、現王朝の紋章。
石の玉座に、からみつくようなツタとも触手とも知れぬ何かが描かれている。
それは、かつて魔王と呼ばれたもののシンボルだったのである。
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