第8話 典型的な良い子ちゃん
「本当に凄かった…!」
「そうですか」
曇り空が広がる中、俺は玄関越しに倉持さんと話す。こうやって話すのは日課となって倉持さんも追い返すことは無くなった。
それでも面倒臭そうな対応は変わらないが。
「1巻のドタバタ展開とは違って、2巻は臨場感溢れる場面が多かったね。そういえば倉持さんが言っていた好きなシーンの挿絵って中盤の雨降りシーン?」
「はい」
「あそこは感動したよ。ずっと受け身だったヒロインが自分から主人公にキスするんだもん」
やっと出たキスシーンはドキドキというよりも胸を打たれる印象が強かった。
主人公とヒロインが戦闘から逃げて雨が降る中、確かめ合うようにキスするのは涙腺を刺激される。
1巻からちゃんと読んでいる人なら誰でも潤むシーンだろう。
「ってことは倉持さんは感動的なキスシーンが好きなの?」
「まぁ…」
「そっか。良いと思う」
俺は最後に1回表紙を見た後、倉持家のポストに投函する。
同時にお便りも投函すれば奥の方で封筒を開く音がした。
「もうすぐ中間テストだけど倉持さんはどうするの?」
「行きません」
「ちなみに他のみんなが帰った後に学校行くとか無理なのかな?」
「行きません」
倉持さんはこうやって俺と話すようになっても学校に行くことを拒否している。
生徒達が嫌っていうよりも学校自体が嫌なのだろうか。でもその原因の大半は生徒だと思うけど。
「高校中退するようになっちゃうよ」
「構いません」
「うーん…」
俺自身も無理して学校に行ってほしくはない。そもそも不登校の人にこんなこと言うのはいけないことだ。
しかし心配する気持ちは大きくなる。せっかく高校に入って、1年は頑張ってきたのに全てが水の泡になってしまうのは可哀想だった。
「まぁ俺からは無理して勧めないよ」
俺は玄関の向かい側にある廊下の壁に背中をつける。これ以上何か言っても倉持さんの意思が動くことはないのは身を持って知っていた。
「そういえば次の3巻は」
「もう帰ったらどうですか?」
「え?何急に」
「だって中間テストあるんでしょう?私の話し相手になってないで自分の勉強気にしたらどうですか?」
「確かにそうだけど…」
ごもっともな意見だ。でも俺は別に勉強が極端に出来ないわけではない。とてつもなく出来るわけでもないが。
「もう少しだけ倉持さんと話したいな」
「現実逃避ですか」
「ち、違うって」
一夜漬けの予定はないし、倉持さんとの会話時間がテストに支障をきたすわけでもない。
それにしても倉持さんが俺に気を遣ってくれるとは思ってなかったので何だか嬉しい。
俺は自然と口角が上がりながら玄関の扉を見つめた。
「そうだ。昨日百合アニメについて調べたんだ。意外と最近公開されたものが多くて驚いたよ」
「何でまたそんなことを…」
「だってこの話題なら倉持さんと話せるでしょ?」
自信満々に問いかければ倉持さんは無言になる。久しぶりに長い沈黙が訪れたなと思いながら返事を待った。
「君のことを見ていると疲れます」
冷たく感情が無いような声。今度は俺が無言になる番だ。
俺は倉持さんが疲れるようなことをしてしまっただろうか。もしかして勝手にベラベラと喋りすぎたのかもしれない。
「ごめん。それってどういう意味かな?」
色々と考えても心当たりになるものはなくて、俺は機嫌を窺うように聞いてみた。
「良い子ちゃんを見ていると疲れるってことです」
「良い子ちゃんって…。別に俺はそんな」
「無自覚ですか?それは重症ですね。わざわざ私のために興味ない分野を調べるなんて良い子ちゃんそのものじゃないですか」
「俺がしたいからしているだけだよ」
「じゃあ教えてください。何で“したい”って思ったんですか?」
一瞬、怯むように口を閉じてしまう。俺がそう思った理由……そんなの決まっている。
「倉持さんが心配だからだよ。その、炎上してクラスでも噂されて絶対心は辛いでしょ?だから俺と話すことで少しでも楽になってもらいたいんだ」
俺はどちらの経験も無いから倉持さんの気持ちはよくわからない。それでも辛いのは辛いはずだ。
「もしも俺が」と想像すればある程度予想は出来る。
「君って教科書みたいな人間ですね」
そんな俺の想いを切り裂いたのは、皮肉を含めて嘲笑う声だった。
「転んだ人が居たら助けましょう。泣いている人が居たら優しくしてあげましょう。君はそんな教科書みたいな思考なんですよね?」
「……それが普通じゃない?」
「人によってはその“普通”がイラつく原因になりますよ」
俺は無意識に唇に力を込める。これまで何度も倉持さんの捻くれた考えは聞いてきた。今回も同じようなことだろう。
なのに俺はいつも以上に腹が立ってくる。さっきまで百合小説を語っていたのが嘘みたいだ。
拳を作った手が震え始める。そして背中を廊下の壁から離した。
「全員が全員、君の優しさをそのまま受け取れると思わないでください」
次の瞬間、俺は玄関の扉に向かって拳を突き出す。鈍い音と共に拳から痛みが広がる。
倉持さんは言葉を失ったように黙った。
「馬鹿にするなよ。受け取れなくても否定するなよ」
出したことないくらいの低い声が倉持さん目掛けて放たれる。
俺の頭の中は白に染まりながらも、喉奥から浮かんでくる言葉を吐き出した。
「そんな風に考えるから炎上したんだろ」
扉に付けていた拳を下ろす。肩からずり落ちた鞄を直して俺は倉持家の前から立ち去った。
悔しさや悲しみではない感情が湧き上がる。この感情に名前は無かった。
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