第34話・公園で

 心地よい風が吹く、日曜日の公園。真新しい靴を履いて歩き回る陽太の後ろを、優香はマザーズバッグを抱えて追いかける。公園内には他にも親子連れが何組かいて、それぞれが子供の好きな遊びに振り回されているようだった。


「あ、荷物は俺が持つよ」

「ありがとう」


 急に駆けだした息子の後ろを慌てて付いていこうとする優香の肩から、宏樹がひょいとさりげなくバッグを取る。ずっしりと重い中身の大半が陽太の物で、外遊び用の玩具や着替え一式だ。


 いつものように何だかんだと理由を付けて訪ねて来た宏樹が「そこの児童公園、今の時期ならどんぐりがいっぱい落ちてるよ」と言うので、天気も良いことだしと三人でお散歩がてら遊びに来ていた。

 しかし、肝心のどんぐりには一切興味を示さず、陽太はキャーキャーと歓声を上げながら遊具の間を走り抜け、砂場の前でその動きをぴたっと止めた。そして、その場で座り込んでから自分が履いている靴を引っ張り始める。


「え、裸足で遊ぶの?」


 片足ずつを引っ張り脱ぐと、靴下もと優香の方に足を向けてくる。命じられるままに両方の足から靴下を回収して、砂場の隅に靴を揃えて置いた。陽太は躊躇いなく裸足のまま、砂の中へズンズンと歩いていく。


「保育園のは裸足で入るようになってるからね」

「ああ、砂場はそういうもんだと思ってるんだ……」


 完全に管理されて、使わない時にはシートを被せているような保育園の砂場では、足裏の感覚を育てるという意味で裸足で遊ぶ子が多い。でも、児童公園のは誰がどういう使い方をしているのかが分からない。ここは犬の散歩コースにしている人も多いし、地域猫の姿を目撃することだってある。だからと言って、まだ一歳になったばかりの陽太にその砂場の違いを説明するのは難しい。優香は息子の歩く先に危ない物が混ざってないかと目を凝らしていた。


「陽太。ここで玩具で遊ぼう」


 バッグから砂遊びセットを取り出した宏樹が、砂場の隅から呼び掛ける。歩き回るよりも場所を決めて遊ばせる方がまだ危険が少ない。宏樹は陽太が遊び始める前に、プラスチックの熊手の玩具で砂を掘り返して、怪我の原因になりそうな物が無いかを確認してくれていた。


 叔父の誘いに乗って、陽太が玩具のショベルで砂を掘り始める。掘っているというよりは、周囲に砂をまき散らしているという感じだったが、得意げにショベルを動かしていた。


「ほら、陽太。ここに砂いっぱい入れて、バケツプリンを作ろう」


 小さな緑色のバケツに宏樹がお手本で砂を入れてみせると、すぐに陽太も真似し始める。二人で並んで遊んでいるその姿を、優香はしゃがみ込んで横から眺めていた。

 実の父親である大輝とはこうやって遊べるような時間は無かった。まだ生まれたばかりで一日の大半を寝て過ごしている新生児には、父親の記憶なんてある訳がない。


 だからきっと、大きくなった陽太が幼い頃を思い出す時、この子の傍にいたのは大輝ではなくて、その弟の宏樹なのだろう。

 これから先、陽太と自分のどちらも愛してくれる人と出会う保証なんて無い。そういう意味では彼は理想的だ。だからと言って、子供の為を理由に彼を選んでしまって良いんだろうか。


「優香ちゃん、また複雑なこと考えてるだろ?」

「え?」

「ここに皺寄ってるよ。考え事する時、いつも分かりやすく眉間が寄るよね」


 自分の眉間を指差しながら、宏樹が優香の顔を覗き込んでくる。無意識の癖を指摘されて、優香は小さく笑って誤魔化した。思ってた以上に彼は自分のことをよく見てくれている。


「陽太が宏樹君によく懐いてるなーって思ってただけだよ」


 傍から見れば、親子だと思われてもおかしくはない。血の繋がりもあるから、何となく似ているところも結構あるから余計に。


「俺にとって、優香ちゃんと同じくらい陽太も大切な存在なんだよ。だからね、この子の新しい父親に、俺以外の知らないヤツがなるのは許せない」

「そんなこと、なる訳ないよ」

「え?」

「他の人との再婚なんて、考えたこともないし……」


 そもそも再婚すること自体を考えたことがない。でも、もし考えるとしたら、相手は宏樹以外にはいない。一番辛い時に傍にいて、支えて寄り添ってくれていたのが誰だかは、優香にもちゃんと分かってる。

 ただ、今抱いている感情は信頼という名の安心感。いつも傍にいて欲しいと思っているが、これがこの先どう変わっていくのかは自分でもまだ分からない。


「……まあ、セフレがいたのは幻滅ポイントだけどね」

「い、今は誰もいないって! それに何年も前の話だよ、あれは」


 身近にいたのに、知らなかったことは沢山ある。これから一緒に過ごしていく中で、いろんな一面を知っていくことになるのだろう。そして、芽生えつつある感情が、少しずつ成長していくのかもしれない。


「大丈夫。優香ちゃんがずっと一緒にいてくれるのなら、余所見をしない自信あるから」

「まだ保証はできないよ」

「いいよ。今は兄貴の代役でも」


 宏樹が首を伸ばし、優香の頬にそっと唇を触れさせてくる。義理の弟からの愛は、深くて優しくて、とても甘い。


 でも、今の優香にはまだ後一歩が踏み出せない。拒絶する気はないけれど、自分からは歩み寄ろうともしない。自分からは勇気を出す気がなく、ただ相手に流されようとしている。それはすごく身勝手で傲慢だ。

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