第10話

 ヘリックツは悦に入っていた。それでわかれた妻に「僕の彼女になってくれ」と告げた。


 「僕はやっと自分を捨てられるんだ。ずっとそれで苦しんできた。そう決意を固めたからって、明日から世界が変わるわけじゃない。自分が変わったからって、その証拠を見せないと誰も認めてなんかくれない。これからがもっと大変だろう。潰れてしまいそうだ。誰かに居て欲しい。何にもしてくれなくたって、誰か。いや、きみしか居ない。障壁が高い程きみじゃなきゃダメなんだ。きみと乗り越えたい」


 そんな彼の想いに元妻は「うん。」とだけ返信を返した。


 しかし、世間は冷たかった。そう簡単に前には進ませてくれない。待ち伏せ、不意打ち、白眼視。ああ、いつもそうだ。役に立ちたくて、誰かの役に立ちたくて、良かれと思う事程空回り。それどころかみんなの顔から笑顔を奪い、暗くする。嘘をつきたくなくて、それが結果としての嘘をつくる。


 駄目なやつ。


 元妻が彼女になってたったの二日。これより厳しくなるだろう。日に日に夜毎、刻一刻。耐えられるだろうか?いや、耐えねばならぬ。


 また、取り乱したりしないだろうか?


 ヘリックツはすっかり肩を落として俯き、元妻に前言撤回の申し出をメールした。


 「とにかく、先に進みましょう」


 前より少し長い返信が返って来た。

 それを見た彼は、声を出さずに涙を堪えた。


 ただ たーおれーないよーおにー つーよがってくれー


 鼻歌、ではなく、心臓の不規則な震えが、彼の声帯を微かに震わせるみたいに、声は悲しく消えて行った。

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