第3話

 薄暗い階段を一気に駆け下りる。

坂下くんは私の後ろから、何も言わないでついてきてくれている。

なんか勢いでこうなっちゃったけど、よく考えたら私にとっては気まずい別れをした後で、彼とちゃんと話すのも、数日ぶりかも。


「だから、なにがあったんだよ」

「快斗がね、館山さんにあっち行けって言ったの。酷くない?」

「遠山が?」

「そう」


 最後の3段を一息に飛び降りる。

こういう話なら、いくらでも出来る。

自然に彼と話を出来るきっかけが出来てよかった。


「館山さんは一緒に化学のレポートやろうって言いにきただけなのに。なんで追い払っちゃうかな。しかも快斗は同じ班だったんだよ? 館山さんかわいそう。男子って、みんなあぁいう真面目で美人な子が好きなんだと思ってたのに。違うんだね」


 靴箱の前で立ち止まる。

精一杯かわいく見えるよう、タメを作って願いを込めて振り返った。


「だって坂下くんも、館山さんみたいな可愛い子が好きでしょ?」

「それは好みの問題じゃない?」

「えー。だって仲いいし、そうなのかと思った」


 自分でも怖いくらい平気そうな笑顔を浮かべ、靴箱から靴を取り出す。

うん。

ちゃんと友達っぽく出来てる。


「坂下くんは館山さんのこと、そうは思ってないんだ」

「いや。可愛いとは思うよ。普通に」

「普通に?」


 彼も靴を履き替えるためにうつむく。

そのせいで表情が見えなくなってしまったのは、ちょっと失敗だった。

私は友達らしく、彼をからかうようにニッと笑ってのぞき込んだ。


「まぁ……。その、すごく人気はあるよね。男から」

「でしょ? だからぶっちゃけ、二人は付き合ってるのかと思ってた!」

「えぇっ? そうだったの?」

「うん」


 彼はとんでもなく驚いた顔をして一瞬動揺したみたいだけど、すぐにそれを戻し立て直した。


「いや、それはないでしょ」

「そうなんだ。でも好きだったとか?」


 ニヤニヤと目を細め口角を上げる。

私もしつこいな。

頭では分かっていても、どうしても止められない。


「ないない、絶対ないって。実は俺、聞いたことあるんだよね。本人に直接」

「なにを?」


 困惑した様子の彼でも、見上げる顎のラインは、本当に綺麗な骨格をしていると思った。


「館山さんに、好きな人いないのって。そんなに色んな連中から告られるんだったら、誰かと付き合ってみればいいのにって」


 彼は少し言いにくそうに、言葉を濁しながら言った。


「そしたらさ、昔好きな人に告白して断られたから、もうそういうのはいいんだって」


 頭の中がその瞬間、勝手に高速フル回転を始める。

記憶に残っている彼女の言動を、一気に総サーチする。

ついさっきの教室で、彼女が恥ずかしそうにおずおずと近づいてきて、発した言葉。

抱きしめたサブバックの形……。


「それってもしかして、快斗ってこと?」

「そこまでは俺も聞いてない」


 快斗と館山さんは、中学が同じだったはずだ。

あんな完璧な女の子が、あんなのを好きなの?


「結構いい奴だよ遠山は。ああ見えて」


 隣を歩く坂下くんは背が高くて、顔を私とは反対側に背けられると、こちらからは本当に表情が見えなくなる。


「だからさ、別に悪くないんじゃない?」


 それは館山さんに向かって言ってんの? 

それとも私? 

聞きたいけど、返ってくる返事が怖すぎて聞けない。


「わ、私はそんなでもないと思うけどなー!」

「でも最近、ちょっと前から仲いいし。ちょこちょこしゃべってたよね。教室以外でも」


 そうだっけ。

そんなこと気にしたことなかった。

つい数分前の、真面目にレポートに取り組もうとしていた彼の姿を思い出す。

不自然なほどうつむいていた彼の頭の中は、本当は何を思っていたのだろう。


「ま、あいつらのことは俺らがあれこれ考えてもしょうがないな。なるようにしかならんでしょ」


 あははと私の頭より高い位置で聞こえる乾いた笑い声が、駅前のよどんだ空気に滲む。


「俺は遠山を応援するけどね」

「私にはすごくうらやましい」


 私は快斗から、はっきりと好きって言われたわけじゃない。

だけど、何となく彼の気持ちは分かる。

どうしてちゃんと言おうとしないのかも。

私はこのまま彼に、言わせないようにしないといけないと思った。


「あの二人の、なにがそんなにうらやましいの?」

「片思いに気づかれないのと、気づかれてるけど気づいてないフリされるのとだと、どっちがいいのかな」


 こんな質問、快斗と館山さんにこじつけて坂下くんにしてる自分って、本当にズルいと思う。

しかもすぐに別れることが出来る、別路線の改札の手前だ。

多くの人が行き交う帰宅ラッシュの始まった駅前のど真ん中で、なにやってんだろ。

都合がよすぎる。


「美羽音は誰かに、片思いしてるの?」


 ほらね。

知ってるのに知らないフリされてる。

スティックが刺さった私は、彼のことを好きだって彼は知ってるはずなのに。

だからもうその答えは、一つしかない。


「してないよ。だって好きな人なんて、いないもん」

「じゃあやっぱり、あのスティックにはなんの効果もなかったんだ」

「え?」

「だって美羽音は、俺のこと好きじゃないんでしょ」


 夕方の駅前の喧騒が煩すぎて、彼の言うことがちゃんと耳に入ってこない。

世界から音が消えた。


「俺はさ、効果あったと思ったんだ。なんか急に美羽音の態度が変わったような気がして。だから俺は、俺の方から声かけるのが平気になったっていうか、普通に話しかけても大丈夫なようになったんだなって思えた。話しかけても、嫌がられないだろう、無視されたりウザがられたりしないだろうって。だから話しかけられた。そうじゃなかったら、ずっと怖くて話しかけられなかったと思う。こんな風に一緒に帰ろうなんて、声かける勇気なかった」

「だって、あんなのウソじゃない。変な魔法とか道具なんかで、人の気持ちを操ろうなんて許されることじゃない。そうじゃない方が本物でしょ」

「確かにそれは、俺だってそう思う」


 うつむいたまま顔を上げられない私に、彼の履いているローファーがまっすぐに向き直った。


「だとしたら、俺とはないってことか」

「坂下くんは、そうだったの?」

「少なくとも、好かれてるんだろうなーとは思ってた。けど、そうじゃなかったってことなんだろ? それとも美羽音自身が、そうしたくなかったか。俺が単純に、あの天使に騙されてたってことだよな。変な勘違いして悪かった。じゃ」


 別れの挨拶にしては、随分あっさりしてない? 

彼は平気な顔して、真顔のまま自分の通るべき改札を抜けてゆく。

あの人にしてみれば、こんな風に簡単に終わらすことの出来ることだったんだろう。

結局そんなに、気になることでもなかったってことなんだろう。

本気で好きになった相手でもない、単純に勝手に好意を向けられた相手に、悪い気がしなかっただけだ。

私が快斗に対して、そう思っているように。


「ばいばい」


 自分から告白しようと覚悟を決めて、彼に告白したわけじゃない。

好きでもなんでもなかった人のことを、勝手に好きにさせられただけ。

それを相手にも知られている上でフラれるって、酷くない? 

なんかすっごい損した気分だ。

あぁ、だけど元々この気持ちはウソなんだから、損とかでもないか。

元に戻っただけ。

だからなんのダメージもない。

傷ついてるこの気持ちも、なかったはずのものだから。


「それでもまだ、私と友達でいてくれるのかなぁ~……」


 涙が出てくる前に、それを拭った。

泣く価値だってないことだ。

だったらちゃんと、素直に好きって言ってみればよかった。

自分の気持ちを誤魔化したり、匂わせるようなことなんてしないで。

やっと分かった。

だからみんな、ちゃんと告白するんだ。

あんなこと、頭のおかしい人たちのすることだと思ってた。

そう思ってた自分の方こそ、本物のバカだ。

だけどもしそうやってちゃんと告白して、それでもこんな風にフラれるとしたら、どうすればいいの?


 その日の夜、快斗からメッセージが入った。

『ちゃんと館山には謝ったから』だって。

何をどう謝ったって言うんだろう。

私も十分バカだけど、彼もよっぽどだよね。

既読だけつけて、ベッドに潜った。


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