第2話

「残念だったね、遠山! 館山さんはカラオケ来れないってよ!」

「ちょっと待て。なんでそうなるんだよ。俺は持田を誘ってんだけど」


 彼は黒くて長い前髪の奥で、ムッと眉間にシワを寄せた。

明らかに不機嫌になった彼に、館山さんはもしかしたら、ちょっと怖くなってしまったのかもしれない。


「あ……大丈夫。私は行けないから。ごめんね。誘ってくれてありがとう」


 そそくさと彼女は逃げ去っていく。

あれ? 

遠山くんも、館山さんみたいな可愛い子が好きなんじゃないの? 

私より絶対彼女の方がいいと思うんだけど。

てゆーか、余計なことを言ったおかげで、あんなイイ子にまで迷惑をかけてしまった。

どうしよう。

私だって彼女に嫌われたくない。


「ごめん遠山。私が余計なこと言った。館山さんは関係ないのに、巻き込んじゃったね」

「いいよ、別に」


 怒った。

遠山が怒った。

彼は右手に持った雑巾をブンブン振り回しながら、いつものメンバーのところへ戻っていく。

やっぱ男子ってよく分からない。

結局どうすんだカラオケ。

行くのか行かないのか。

行かないなら、まぁいっか。


 遠山くんが明らかに悪態をついている。

仲のよい男友達のところへ戻って、ふてくされた顔で何かを話し、それを聞いた仲間たちが、彼をからかいながらも慰めているようだ。

どうせ私の悪口でも言ってるんだろう。

きっと多分だけど。

別にどっちでもいいけど。


 館山さんのことも気になって、振り返ると坂下くんと目があった。

彼の所へ戻ってきた彼女に、彼の口が「どうした?」という形に動く。

彼女が坂下くんに何を訴えているのかは、こちらに背を向けているから分からない。

それでも熱心に何かを訴える彼女のことを、彼が真剣に聞いているのは確かだった。


 館山さんも、私のことを悪く思ったのかな。

彼女がそう感じたなら、きっと私はとんでもなく悪いことをしたに違いない。

聞きたくないことには、耳を塞いでいればいい。

見たくないものは、見なければいい。

そうやって目に入れたくない光景から、顔を背ける。

掃除の時間が終わった。


 終わりのホームルームの間、今日は何回目があっただろうかとか、何回すれ違ったとか、何回声が聞けただろうとか、そういうことばかり考えている。

彼女は席まで彼と近くて、もうすでにそういう所から違うんだなーとか思う。

持って生まれた才能とか、運だとかいうやつ。

明日の連絡事項なんて何にも頭に入ってこないまま、チャイムが鳴った。


『カラオケ行くの? 館山さんから聞いたけど』


 帰り支度をすませ教室から出たところで、そんなメッセージがスマホに入る。

坂下くんだ。

その文字列を見ただけで、急に足が重たくなる。

だからどうして、そんなことを聞くの? 

行きたければ、館山さんたちと行けばいいじゃない。

私は関係ない。

いつもなら速攻で返信するのに、今は文字を打つ指まで動きが鈍い。


『別に行きたいわけじゃないよ』

『遠山に誘われたって』

『うん』

『大丈夫なの?』


 なんて返事をしよう。

「大丈夫なの?」って、なにが? 

彼は一体、何を心配しているんだろう。

間違った返事をしたくない。

これ以上距離を離したくない。

既読はつけてしまったけど、慎重に考える時間くらいは、あってもいいはずだ。

照りつけるスマホ画面をにらみながら、廊下を進む。

角を曲がった瞬間、ドンと肩がぶつかった。


「おい。前向いて歩けよ。廊下で歩きスマホすんな」

「ごめん」


 遠山くんだ。

誰とDMしているのか見られたくなくて、とっさに後ろへ隠す。


「なんで隠した?」

「なんとなく」

「見られたくない相手?」

「関係なくない?」


 彼は明らかにイラついた様子で鋭いため息をつくと、独り言のようにつぶやく。


「坂下とは付き合ってないって言ったよな」

「言ったよ」


 バサバサした黒く長い前髪の奥で、キレのある細く鋭い目が私を疑っている。

なんでそんなことが気になるんだろうとか、誰かに聞けって言われたから聞いてんのかなとか、もう色々ごちゃごちゃ考えるのはやめた。


「付き合ってない。し、好きでもない。友達。クラスメイト。同級生。同じクラス。遠山と一緒。それだけ」


 私と向かい合う遠山くんの背後で、上階から階段を下りてきた上靴が足を止めた。

坂下くんだ。

最悪。

一番聞かれたくない人に、今のセリフ全部聞かれた。


「本当に坂下とは、何ともないわけね」


 遠山くんは、まだ自分の背後にいる坂下くんに気づいていない。


「うん。そうだよ」

「分かった。じゃあそこはもう信じる」


 坂下くんの視線が痛い。

だけど私はまっすぐに遠山くんだけを見て、彼には気づいているけど、気づいていないフリをする。

遠山くんは、全身の力をぐにゃりと抜いた。


「ごめん。持田さんって、普段あんまり他の男子としゃべったりしてないのに、急にあいつとはしゃべりだしたから」

「そうかな」


 そんなこと、気にしたこともなかった。

確かに坂下くんとはあんまりしゃべってないかもだけど、他の人だなんて記憶にない。

遠山くんが、ふと自分の手を私の肩に置いた。

壁に手をついたようなもんだ。

そこから恐る恐る伸ばされた指の先が、微かに私の髪の先に触れる。


「なんかちょっと、ヤだったから」


 階段でじっと立ち止まっていた、緑の上靴が動く。

わざとらしい足音をたて、坂下くんが下りてくる。

彼は全く感情の見えない顔で下りてきながら、ただ遠山くんを見下ろした。


「お前ら、なにやってんの」

「何でもねーよ!」


 上から見てたくせに。

それを私が知ってるのも、知ってるくせに。

捨てセリフを吐いて、追われるように消えた遠山くんの背に、ぎゅっと胸がえぐられる。

彼の背はよく見る光景だ。

今の私と同じ。

いつも恥ずかしいことばっかりしてる。

だから遠山くんの気持ちが分かる。

私もここから逃げ出したい。


「ごめんなさい」


 二人きりになった廊下で、よく分からないけど怒られる前に坂下くんに謝っておく。


「何が『ごめんなさい』なの?」

「なんとなく……」


 私は遠山くんの見せてくれた勇気を、このまま坂下くんに返そうと思う。

ずっと気になっていた。

どうしても避けて通れないこと。

自分自身がそこに納得できないと、前には進めない。


「ねぇ。坂下くんにはさ、スティックの効果って、なんかあった?」

「ない。ないと思う。俺はなにも変わってない」

「そっか」


 彼も私のことが好きなのかもって思ってたのは、じゃあやっぱりただの勘違いだ。


「持田さんには、効果なかったの?」

「私?」

「うん。スティックの効果」


 相変わらずなんの表情も読み取れない、ツルッとした顔を見上げる。

スティックの効果? 

彼への好意は、事故の前からあったと言えばあった。

だけどそれは、私にだけの話じゃない。

同じように聞かれたら、きっとクラスの女子はほとんどがそう答えるだろう。

そういうのは、恋じゃない。


 じっと見下ろす彼の目に耐えきれず、視線を反らす。

早く逃げ出したいはずなのに、それでも今この瞬間でさえ、彼の手の甲に突き出る骨の形なら、永遠に見ていられると思うのは、どうしてなの?


「坂下くんのことは好きだよ。友達として」


 自分でも驚くほど、正確な愛想笑いを浮かべる。


「同じクラスなんだし、それって普通じゃない?」

「そうだね」

「逆にさ、坂下くんは私のこと嫌いだった?」

「そんなことはないよ」

「でしょ? 今まで、そんなしゃべることもなかったし。接点だってない」

「確かに。そういう意味では、俺と持田さんは友達以下だったかも」

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