第2話

「なんか今日もずっと怖い顔してるから、俺は嫌われたのかと思った」

「そ、そんなことないって! 返事送る。ちゃんと送るから!」


 慌ててスマホを取り出す。

『おやすみ』の返事に『おやすみ』『お休みなさい』『また明日ね』と続けて打って送り、スタンプも付け加えた。


「いや。いまおやすみって言われても……」

「え? なに? じゃあ『ただいま』とか? 『おかえり』? 『もう帰るね』? 『バイバイ』の方がよかった?」

「違うでしょ」


 不意に肩を抱き寄せられ、彼の顔が近づく。

キス……。

されるかと思った。

鼻先が触れ合うかと思った距離で、パッと彼の方から離れた。

驚いた私は、つい後ろに一歩下がってしまう。


「ご……、ゴメン……」


 まだ心臓がバクバクいってる。

彼は真っ赤になった顔を両手で覆って、しゃがみ込んでしまった。


「ゴメン。ホントごめん」

「あ、あはは。よかった。今日はもう坂下くんとは話せないのかなーって思ってたから。やっと普通にしゃべれた」


 全然普通じゃありませんけどね! 

彼に負けないくらい私だって真っ赤だ。

リンゴ以上トマト超えは確実。

もしかしたら、赤いインクのペンよりももっと赤かったかも! 

彼はこちらに背を向け、顔を覆い隠したままつぶやいた。


「俺さ、よく怖いって言われるんだよね。そんなつもりは全然ないんだけど。怒ってないのに怒ってるふうに見えるって。だからもう、嫌われたのかと思った」


 遠くから蜃気楼のように眺めていた人が、突然現実の目の前に現れた。

教室の隅で、校庭の端っこで、異世界の住人として眺めていた人が、私に話しかけてくれている。


「そ、そんなこと思ったことないって!」


 仲のよい男友達とふざけている時も、化学の実習で他の班の人としゃべってる時も、授業中のちょっとした雑談タイムでも、彼の微笑みはいつだってまぶしかった。

直視することすら叶わなかった光景が、いま手の届く範囲にすぐある。


「本当に? 俺のこと怖くない?」


 彼は自分の頬を両手で引っ張り、表情を整えている。

そんな仕草すら愛おしく思えて仕方がないのは、やっぱりあのスティックのせい?


「怖くないよ。ほら、顔がいい人って、どうしても冷たい印象になるから」

「やっぱ冷たく思われてたんだ」

「カッコいいから!」


 この流れでそう言っちゃうのは、セーフだよね。誤解されないよね?


「さ、坂下くんって、カッコいいからさ。そういうこと言われちゃうんだよ、どうしても。一般論として!」


 ヘンに思われないように、アウトライン越えないギリギリで言えたよね? 

大丈夫だったよね?


「それさ、いつから思ってた? ずっと前から? いつ?」

「い、いつって……」


 返事に困る。

いつからだっけ。

全然記憶にない。

気づいたらそう思ってた。

だけどそれって、最近の話? 


「ひょ、表情がないなーとは思ってた。いつも冷静っていうか……」

「それはきっと、俺も緊張してたからだよ。持田さんと話す時は特に。実際話してみれば、俺だって怖いとかそんなことなかったよね?」

「ま、まぁ……」


 いつからだっけ。

彼のことをいいなーと思うようになったのは。

スティックの刺さった時? 

だけどずっとずっと前から、本当はそう思ってたような気もする。


「よかった。一度しゃべってみたいなーって思ってたんだよね。そんな機会もなかったけど」


 彼は置いてあった鞄を手に立ち上がった。

何となくそわそわしているから、私も落ち着かない。


「あ、もう持田さんも帰るでしょ? 途中まで一緒に帰ろ」

「うん」


 歩き始めた彼の隣に、しっかりと並んで歩き出す。


「またコンビニ寄っていい?」

「いいよ。前に坂下くんとも約束してたし」


 それを聞いて、ほんのちょっぴり赤くなった彼を見て、また手を繋ぎたいと思った。

伸ばせば簡単に届く距離だけど、簡単には伸ばせない。


「今度さ、地域清掃活動があるでしょ? その時に持って行く軍手、持田さんもう持ってるのかなーと思って。それ聞こうと思って、ずっと待ってた」

「あ。私も親に買って来いって言われてるんだった」

「毎年の恒例行事だから、西門出てすぐのコンビニに、たくさん置いてあるらしいよ」

「えー。ほんとう?」


 あれ。そんな話してたっけ? 

だけど一緒に居られるなら、なんだっていいや。

私たちは必要にかられてコンビニに行く。

理由は学校行事で必要なものを買いに行くため。

それがもし彼と同じ軍手だったとしても、学校近くのコンビニで買った一種類しか置いてないワンサイズのものだったんだから、お揃いになるのは仕方がない。

そういうこと。


「これ、なんかちょっと小さくない?」


 目的のものを購入して店を出ると、彼は135円のそれを自分の手にはめた。


「ほら。なんかギリギリじゃない?」


 指の長さは何とか足りているみたいだけど、手を入れる口の部分が手首まできちんと覆いきれていない。

ちんちくりんだ。

私は彼と同様に、ビニール袋からゴソゴソと真新しい軍手を取り出す。

黄色いブツブツの滑り止めがついたそれは、粗い縫い目がずっしりと重かった。


「うわ。すご。やっぱ軍手ってゴツいよね」

「見せて」


 二つの手を並べて見比べる。

軍手の大きさは変わらないのに、中に入っている手のサイズ感が全然違う。

彼はずり落ちそうなほど小さな軍手をはめた手を、何度も握っては開いて感触を確かめた後で、私の明らかにぶかぶかで指先のだぶついている軍手を見つめた。


「これでもう大丈夫だね」

「うん」


 大きな手を真っ直ぐに差し出すから、私も同じように手を伸ばし重ね合わせる。

同じサイズの軍手同士はピッタリと重なり合うのに、はめている手の大きさは重ならない。

彼の指が指の間をすり抜け、ぎゅっと手を握った。


「かわいい」


 なんで軍手越しにそんなことするの? 

ちゃんと外してからやってよって、言いたいけど言えない。

彼が「かわいい」って言ったのは、本当に135円の軍手のこと? 

互いに手を見つめながら「そうだね」って答えたけど、それは軍手のことじゃなかったって、信じてる。


 荒い布越しに伝わる熱が、ゆっくりと離れた。

この軍手、絶対大事にしようって決意した自分は、自分でもバカだって分かってる。

だけどそう思ってしまうのは、仕方ないじゃない。

もう一度、今度は素手で手を繋ぎたいなーなんて、ずっと考えながら駅までの道を並んで歩いた。


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