第4話

「特に、気になることはないけど……」

「ふーん」


 すぐ隣にいるのに、顔が見たいけど見れない。

すぐ側に彼の手があるのに、見ているだけしか出来ない。

多分彼はいま、真っ直ぐに視線をスティックに向けていて、私の方は見ていないはずだから大丈夫なはずなのに、なぜかそれを確認することが出来ない。


「刺されたのって、どの辺りだったっけ」


 彼は窓枠に乗せた自分の腕に顎を置いた。

そのまま首だけ向けて下から見上げてくるから、こっちの方が緊張してしまう。


「おでこの、真ん中あたり」

「ふーん」


 彼の長い指先が、私の前髪に触れた。

それをかき分け、額を顕わにされる。

そんな彼を直視出来なくて、私はまたぎゅっと目を閉じる。


「ふっ。ホントだ。何ともなってない」

「でしょ?」


 触れられていた前髪の感触が離れ、パッと目を開いたら、彼は笑っていた。


「なんで目を閉じたの?」

「なんか恥ずかしいから!」

「なんで?」

「なんでって……」


 そんなの、意識してるからに決まってるし。

じっとして居られなくなって、目を反らす。


「ね、俺の刺さったところもどうなってるのか、見て?」

「は?」

「自分じゃ自分のデコ見れないんだよ。だからさ、どんなになってる?」


 そうやって自分の頭を突き出すから、ますます驚いてびっくりしてるしドキドキしてる。

なにこの絵面。

なんで私は彼の、前頭部を見せられてるんだろう。


「赤くなったりしてない?」

「えっと……。ちょっとよく分かんないかも……」

「もっとちゃんと見て」


 そんなこと言われたって、前髪があるから、頭皮なんて見えるワケないし! 

それでも彼は頭を突き出したまま動かないから、仕方なく手を伸ばす。

触れていいのか許可を取った方がいいのかな? 

でもこれは、いいってことだよね。


 恐る恐る触れた髪は、思っていたのと全然違っていた。

見た目には黒くサラサラとした柔らかな髪に見えるのに、触れると太くて固くて芯がしっかりしている。

男の子の髪になんて、初めて触ったかも。

自分のとはやっぱり違う。


「変になってない?」

「なってないよ」

「そっか。ならよかった」


 そう言って上目遣いに見上げた顔が、ほんのり照れていたようで、その反応にこっちまでどうしていいのか分からなくなる。


「持田さんのが何ともなってないなら、きっと大丈夫だとは思ってたけど」


 彼の視線は、明らかに私の額を見ていた。


「ちょ、あんま見ないでくれる?」

「なんで?」

「恥ずかしい」

「見てていいって言ったのに?」


 額を覆い隠した手をどかそうとして、彼の手が私の手首を掴む。

遠慮無く近づいてくる顔には、もう我慢の限界。

これ以上接近されたら、心臓と一緒に爆発しそう。

耐えきれずにまた目を閉じたら、彼の手が離れた。


「あのさ、さすがにここでキスなんてしないから」

「……。はい!?」

「そんな真っ赤になって目を閉じられたら、誤解するでしょ」

「そんなの誤解だから!」

「だから誤解だって言ってるし!」

「誤解だって!」

「知ってるよ! じゃあ目を閉じないでくれる? 誤解するから!」


 ここが放課後の始まったばかりの、教室前廊下だってことをすっかり忘れていた。

ざわざわ歩く生徒の群れが、こっちを見て「何やってんだあの二人」って顔してる。

隣にいた男子もチラチラこっち見て呆れてる。


「だから誤解されるって言ってんじゃん!」

「お前が誤解するようなことするからだろ!」


 見つめ合ってるのかにらみ合ってんのかすら、もうよく分かんない。

だけどこの状況がとんでもなく恥ずかしいってことだけは、お互いによく分かってる。


「帰ろっか」

「うん」


 二人揃って逃げるように廊下を後にする。

彼の背中を追いかけて、階段を最初の踊場まで降りきった頃には、もう一緒に声を出して笑っていた。


「だから俺も、恥ずかしいんだって」


 そう言った彼の手が、私に触れた。

指と指が絡み合う。

しっかりと手を繋いだまま階段を降りるって、以外と降りにくいんだな。

そんなこと知らなかった。

ふらついて転びそうになった私を、とっさに支えてくれる。


「手繋いでると、案外危ないね」

「う、うん。そうだね」


 それでも自分から手を離したくなくて、せめてもう少しだけと思った手は、彼の方からも離されることはなくて、見えてしまった階段の終わりに、こんなにもガッカリしている。

この階段って、こんなに長くて短かったっけ?


「こ、今度からは気をつけような」

「うん」


 最後の段を下りきって、ようやく互いの手が離れた。

彼は私に顔を見せないようにして言ったから、今どんな表情をしてるのかが分からない。

まだ手に残る感触が、もっと繋いでいたかったって言ってるのに、靴箱は目の前だ。

もう一度繋ぎたくても、履き替えるなら絶対に手を離さないといけないじゃない。

もっと一緒にいたい。


「コンビニ寄ってく?」

「え?」

「何か、買いたいものとかないの?」


 何か買う物あったっけ? 

シャー芯はあるし消しゴムもある。

修正テープ? 

もしかして坂下くん喉渇いてるとか?


「……。持田さんに用はなくても、俺にはあるから、一緒に来て……」

「うん……。いいよ」


 校門を出る。

駅まで向かう道のりにもコンビニはあるけど、セズンじゃなくてロートンがいいとか言うから、駅のいつも使う方面とは違う西口の方に回る。

ロートン限定でなおかつ期間限定の何とかがあるからとか色々言ってたけど、少しでも一緒に居られるなら、私には理由なんてなんだってよかった。

店に入ったら、彼が一生懸命説明していたものはとっくに終わってなかったけど、付き合わせたお詫びにアイスおごってくれるんだって。

一度は断ったけど、いいからおごらせて欲しいんだって。


「じゃあ今度は私が、なんかおごるね」

「うん。そしたら次は頼むわ」


 約束が出来た。

初めての約束。

マンゴー味のアイス買って同じのを食べたけど、アイスは溶けるから失敗だった。

すぐに食べないといけないから。

今度は溶けないやつにしよう。

坂下くんは、アイスは棒付きのやつが好きなんだって。

カップで食べるより食べやすいから。

私はどっちだって美味しければ食べるけど、「そうだよねー」って同意しておいた。

食べたアイスの棒を記念にスマホで撮っておきたかったけど、ヘンな人と思われたくないから泣く泣くゴミ箱に捨てて歩きだす。

「また明日」って改札の前で手を振って、それぞれの電車に乗った。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る