第6話 リディア=オルコット

 風紀委員会のメンバーは全員で五名しかいない。それぞれ担当業務があるため、メンバー全員が一同に介すのは週に一度あるかないかだ。 

 この時間に委員会室に行っても誰もいないかもしれない。ただ、静かな場所で考えをまとめたいガブリエラにとってはその方が都合が良かった。


 あっさりとレガートの推理は否定されてしまった。確かにヘンリエッタの言うように、詠唱に時間が掛かるのならば、誰にも見られず気付かれず成功させるのは至難の業だ。


 即死魔法ではないのだとしたのなら、一体どうやって……。なにか思い違いをしている? 重大な何かを見落としてしまっているような、そんな気分だ。


 中庭を通っているときだった。

 ガブリエラは芝生の上で剣を振る赤毛の少女の姿を見つけた。切っ先が丸く削られた練習用のレイピアを振るのはリディアである。


 風紀委員会レガート委員長のリディア=オルコットは、高等科一年生でブリジタリス流の剣士でもある。

 ブリジタリス流はナイトハルト流と同じく精霊シルフの加護を技に組み込み、シルフを崇拝する流派であるが、剣速と一撃必殺に重きを置くその剣技はアークライト流に近いといえる。


 ブリジタリス流の特徴は、攻撃する際に発生する全身の空気抵抗をシルフの加護によって軽減させて、最速の一撃を繰り出し先を取るというものだ。

 空気抵抗など普段なら気にも留めない程度でしかないが、達人同士の戦いではその僅かな差が勝敗を分ける。


 そして、付随的な現象としてブリジタリス流の上段者ほど剣を振った際の風切り音が小さくなっていき、リディア=オルコットにあっては無音に近い。

 あまりの静寂さに《エアリアルリディア》と呼ばれる彼女の剣の腕前は、高等科一年にして超一級である。


 もちろん、それは彼女が精霊シルフに愛されているからこそなせる所業だ。どんなに剣の腕が立つ者でも空気抵抗を減らすなど精霊の加護なしには成し得るものではない。


 さらに、彼女が生まれつき精霊シルフに愛されていたかどうか、それについてはある噂があった。


〝リディア=オルコットの加護は後天的に身に付いたものである――〟


 その噂の出所は彼女の家系にある。

 オルコット家は何代も精霊研究に費やしてきた家系であり、様々な功績を残してきた。研究の成果が認められ、曽祖父の代で国から男爵位が与えられた。


 その研究のひとつが精霊研究の究極の目的ともいえる〝ギフテッドを人工的に作り出す〟というものだった。


 つまり、リディアはオルコット家の人体実験の被験者であり、実験によって精霊の加護を受けやすい体質を得たのではないかという噂だ。


「ガブリエラさん」


 リディアの声にガブリエラは我に返った。


「リディア委員長、見事な剣捌きに思わず見惚れてしまいました」


「ナイトハルトのあなたにそう言っていただけると光栄ですの」


「あれだけ音がないと死角から攻撃されたらひとたまりもありません」


「そうですね、実際に門下の者が暗殺者アサシンとして身を立てる例も多いようですの」


「いつもここで練習を?」


 ガブリエラの問いにリディアは首を振った。


「さきほどまで委員会室で勉強をしていたのですが、煮詰まってしまったので少し息抜きしていたところですの。ガブリエラさんはこれから委員会室に向かうところ?」


「はい、そうです」


「それでも一緒に参りましょう」


 ふたりは肩を並べて歩き出した。


「ガブリエラさん、捜査の方はどうですか?」


「いえ、まだなんとも。即死魔法で殺害する線ですがわたくしたちが思っていた以上に実行するのは困難なようです。ヘンリエッタ先生がそうおっしゃっていました」


「そうですか……、振出しに戻ってしまいましたね。しかし、私たちは慌てずに捜査を続けましょう」


「はい、ですが悠長にもしていられません……。犯人がわたくしたちの近くにいることは間違いありませんので」


「ええ……、そうですね」


「そういえばクリス先輩の調査によると死亡した生徒は、中等科一年のときに同じクラスだったそうです」


「それが今回の件に関係があると?」


「それは分かりませんが、もし当時のクラスメイトを狙った犯行なら第四の殺人を未然に防ぐことができるかもしれません。明日からは元クラスメイトたちと接触しようかと思います。もしかしたら犯人の目的が浮かび上がり、次のターゲットを絞れることができるかもしれません」


「そうですね、しかし前回の殺人で犯人が目的を達成してしまっていたとしたら徒労に終わってしまいます」


「徒労で終わるなら御の字です。だとしても、三人を殺害した犯人を野放しにはできません」


 ガブリエラが委員会室のドアを開けると、室内から流れてきた豊潤な花の香りが鼻腔に広がった。


「この香りは……」


 窓際のサイドテーブルの上にキャンドルが置いてあり、小さな火が揺れている。匂いの元はアロマキャンドルのようだ。


「あら、いけませんね。私ったらキャンドルの火を消すのを失念しておりました」


「良い香りですね。これはリディア委員長のですか?」


 窓際に移動したガブリエラは腰を屈めてアロマキャンドルを見つめた。

 円柱のキャンドルは綺麗な虹色で、何層にも重なり合った優しい香りに毛羽だった心が安らいでいく気がした。


「ええ、友人から贈られた誕生日プレゼントです」


「そうなんですね……。どことなくリディア委員長をイメージさせる清廉とした香りです」


 そう告げたとき、リディアの顔が一瞬だけ曇った。


「……ありがとうございます。私はお茶とお菓子の用意をしますので、キャンドルの火を消しといていただけますか?」


「分かりました」


 キャンドルに顔を近づけ、口を窄めて息を吹きかけて火を消そうとしたガブリエラは、キャンドルに灯る炎に魅入られたように動けなくなった。


 窓の隙間から入ってきたそよ風にキャンドルの火が揺れている。


 火をみつめていると、重要な何かを掴みかけているような、答えが目の前にあるような、大切なピースが手の中にあるような、そんな気がしてならない。


「火……、風……、香り……、……空気?」



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