第二章 迫る脅威と過去の記憶

第11話 過去編1

〈シュダ視点〉


 「約束……」


 歩きながら、ぽつりと零す。反芻するように。自分自身に言い聞かせるように。

 速度は落ち、地面を確かめるように一歩ずつ進む。

 知らないはずなのに知っている記憶が、頭の中に生まれる。

 ほんの少し記憶が思い起こされるだけで、連鎖反応のように、波のように、次々と他の記憶が蘇ってきた。

 

 あれは恐らく6歳の頃だ。

 俺の親は、事業を経営していた。小さい頃の俺はそのことをよく認識していなかったが。その事業のおかげで家庭は裕福で、誰から見ても幸せそのものだった。

 しかし、幸せな時間は永遠には続いてくれなかった。一度は軌道に乗った事業が、ふとしたことがきっかけで上手く回らなくなり、次第に借金をするようになった。

 ストレスが溜まったのか、父親は俺に暴力を振るうようになった。なにか気に入らないことがあればすぐ叩かれた。怒鳴られた。罵られた。蔑まれた。叩かれる場所は決まって服の内側の人目につかないところ。特に背中部分が多かった。面積が広く、後ろなので抵抗もされにくいからだろう。端から見た時に良い家族だと思われたいのか、絶対に見えるところには傷をつくらなかった。暴力は苛烈さを増し、包丁で皮膚の表面を裂かれたこともあった。

 そんな理不尽に苛まれていたが、生活水準を下げることはプライドが許さなかったのか、今更戻すという考えすら思い浮かばなかったのか、両親は毎日豪勢な食卓に、煌びやかな服装を着こなした。高価な装飾品を身体のいたるところに着け、惜しみなく使い続けた。借金は増々積み重なっていった。闇金にも手を出していたはずだ。家にはたまに怪しい人が来ることがあったから。

 

 俺はなんのために生きているのかわからなくなった。辛くて苦しくて、どうしようもなかった。今になって思うが、小さい頃は世界のほぼすべてが家庭内で完結してる。だから当時の俺は本当に外の景色なんかほとんど見えちゃいなかった。家がすべてだった。家族がいなきゃなにもできなかった。子どもの俺は無力だった。

 

 あまりにも辛くて逃げ出した日もあった。家から抜け出したことがバレればさらに怖い仕打ちが待っていた。暴力を振るっていることが周囲に知られたら嫌だからだろう。でも、仕打ちを受けるリスクを背負ってでも息をつきたかった。家の空気をずっと吸っていたら、心がぐちゃぐちゃになってしまいそうだった。

 

 親が見ていない隙を狙って家をこっそりと出る。玄関の扉を閉める時、音が聞こえないようにゆっくりと慎重に閉める間、鼓動が恐ろしいくらい早く動いた。心臓の音で気付かれてしまわないか不安になり、もっと早く動いた。あんまり早く動きすぎて、呼吸が苦しくなりかけた。

 

 外に出ても不安は消えない。誰かに見つかって親を呼ばれるかもしれない。人がいないのを確認してから角を曲がるよう心がけ、もし誰かと遭遇しても俯いて絶対に目を合わせないようにした。でも、家にいるよりは気が楽だった。ここなら、怒られない。怒鳴られない。殴られない。

 

 ある日いつものように歩いていると、ひっそりと建っている寂れて壊れかけた小屋のようなものを見つけた。中に入ってみると屋根が剥がれ落ちており、そこから日差しが降り注ぐ。机や椅子やタンス、ベッドなど、様々な物が置かれていた。宙に舞う埃がきらりと輝くのを横目に、奥まで辿り着く。そこにあったボロボロの椅子に座ると、埃がふわっと舞い踊る。けれど、緊張の中歩き続けて心身共に疲弊していたためか、そんなことは気にならなかった。

 そのままゆっくりしていた。ここなら誰もやって来ないはずだ。こんなボロい小屋に入ろうとは誰も思わないはずだ。穏やかな空気に包まれる。ずっと息苦しかった気持ちからようやく解放された瞬間だった。

 足音がした。誰かがこの小屋へ近づいてくる。

 心臓が音を立てて震える。汗が服の下を伝う。でも、止まってはくれない。一歩一歩確実に迫ってくる。

 そして、姿が見えた。

 少女だった。

 俺の同い年くらいの少女。髪は肩より少し下くらいの長さで白銀。太陽の光によって透き通るように輝いていた。服は茶色と赤を基調とした膝丈のワンピース。装飾が凝られれいて、非常に手のかかった服であることがわかる。


「あれ? どなた?」


 少女は俺へ問いかけた。

 俺はなにも返せなかった。親から虐待を受けたことで、人のことを信じきれなくなっていた。


「わたしの隠れ家へようこそ!」


 少女は謎の決めポーズと共に、はにかんだ。

 その笑顔は純粋無垢で、なんの悪も知らないような印象を覚えた。

 少女は俺の側までやってくる。なにかされるんじゃないかと怖くなって身体を引っ込めた。


「避けられた!?」


 目に見えて残念がる少女。少し可哀想に感じて、身体を元に戻す。 


「お、はじめまして。わたしはヒオラです!」


 そう言って右手を差し出してきた。

 一度手のひらに視線を移してから、少女と目を合わせる。


「えへへ」


 少女は笑った。どこまでも無邪気に。

 俺はその表情を信じて、彼女の手をとった。


「あなた、名前は?」

「俺は……」

 

 ――――――――――

 

 それから俺は、家を抜け出す度にここへやってきた。ヒオラは毎回いるわけではなかったが、結構な確率でここへやってきた。

 最初は口数少なかった俺も、ヒオラが優しい少女だと時間をかけて理解し、普通に話せるようになった。


「ヒオラ、それは?」

「これはね、難しい本!」


 今日のヒオラはベッドに座って本を読んでいた。

 気になって近付いてみる。

 表紙はあまり楽しくなさそうな文字が踊り、中身は絵など一切ない。確かに難しそうだった。


「これ……わかるの?」

「うーん。全然わかんない。お父様のお部屋から勝手に取ってきたものなんだけど。これを読めばわたしも頭良くなれるかなって」

「ふはっ」

「ちょっと! 笑わないでよ!」

「ごめんって」


 諦めずに、むむむと言いながら格闘していたが、やがてパタッと後ろに倒れた。


「みんな、子どもだからーってわたしのこと下に見るんだよね。だから、なんかで見返してやりたいんだよ」


 変なやる気を内に秘めている。でも気持ちは理解出来た。俺も子どもだから暴力を振るってもやり返されない、仮にされたとしても痛くもなんともないと思われているのだろう。実際そうなのが悔しくて悔しくて、現実とは思い通りにいかないものだと歯噛みした。

 ただ、その気持ちを共感することは出来るのだと気付いた。俺はヒオラに今の自分の状況について話すことを決意する。


「ヒオラに話したいことがある」

「えっ、なになに? ヒミツのはなし?」

「そう」

「おおー! ワクワクする!」

「いや、あんまり楽しいものじゃないよ」

「じゃあ心を落ち着けて、静かに聞きます」

 

 言葉通り静かになったヒオラ。

 俺は親から虐待されていることを伝えた。

 重すぎる話だ。ヒオラはそういった悪意を知らなそうだから、辛い思いをしてしまうかもしれない。それでも、俺は包み隠さず話し続けた。

 話し終わった時、目から涙が溢れた。ずっと誰かに聞いてほしかった。心の内に留めてきた辛さを、憎さを、やるせなさを。 


「よしよし」


 そんな俺を見かねてか、ヒオラは頭をなでてくれた。

 優しい手つきで、何度もなでる。

 恥ずかしいけれど、どこか暖かい気持ちに満たされていく。


「傷、見てもいい?」

「汚いし、びっくりするよ」

「それでも、見たい」


 ヒオラの顔は真剣だった。

 背中部分の服をゆっくり捲る。

 怖かった。鏡越しでしか見たことはないが、見ているだけで気分が悪くなってくるから。


「…………」

「ヒオラ?」


 無言でいるのが気になって、問いかける。

 それでも。なにも話さないので身体を向けた。

 ヒオラは泣いていた。ぽとり、ぽとりと涙が頬を伝い落ちていく。

 

「こんなの……酷いよ……」


 涙は次々に溢れて、流れていく。


「わたし……治したい」

「え……」

「あなたの傷、治すから!」


 ヒオラの目は本気だった。声も本気だった。

 心に熱が宿っているのがわかった。


「でも、治すって言ってもどうやって?」

「聖女様になる!」

「聖女様……?」

「聖女様はね、すごいんだよ! 聖女様しか使えない魔法で、どんな傷でもぽぽーんと治しちゃうの」


 正確には聖女がすべての傷を治せるわけではない。だが、そんなことを小さかった俺達は知らなかった。

 国に数人しかいない存在。この街にも一人しかいない。聖女になるのがどれだけ大変なのか、わかりきってはいなかった。


「でも、聖女様になるにはさっきの本も読めるくらい勉強しなきゃいけないと思うよ……たぶん」

「た、確かに……でも、絶対に絶対に治すから! 約束!」


 ヒオラはニコッと笑った。

 この先に待ち受けている困難を微塵も感じさせないような顔で。

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