足癖の悪い彼女
総合検診センタ
第1章
第1話
「つつみんは七不思議って知ってる?」
「まあ、言葉としては知ってるけど」
うっかりどきどきしてしまったのを誤魔化すため、俺は当たり障りのない返事をして足下の埃を見た。舞い散らないように静かに集めていたのに、テンションが上がった千川さんがほうきを振り回したせいで、汚い埃たちは宙に舞ってきらきらと星みたいに光る。美術室の明かりは橙色で、少し傾きかけた五月の柔らかな陽と合わせて妙に幻想的な空気を生み出している。でも所詮は埃である。俺は心の中で溜息をついて、再度埃を集めることにした。
「この学校にも、あるんだよ。七不思議」
もはや掃除なんてどうでも良くなってしまったのか、この前美術の授業で作った彫刻の納めてあるガラスケースに寄りかかりながら彼女は言う。どこから取り出したのか、その手には表紙に大きく『マル秘』と書いてある手帳が握られていた。
千川さんが新聞部のエース(新聞部にエースとかあるのか?)で、情報通であると言うことを知らない者は葵ヶ丘高校にいない。七不思議云々というのも彼女がゲットした情報なのだろう。小学校みたいだな、と思ったがポニーテールをぴょこぴょこ揺らす彼女を見ては口にできない。
「美術室にもあるよ」
「へぇ」
俺はざっと辺りを見渡してみた。ほかの学校の美術室を見たことがないからわからないが、一般的な教室なんじゃないだろうか。教室の後ろの方にはごちゃごちゃとイーゼルやら石膏の彫像やらがまとめて置いてあり、壁には賞を取ったらしい生徒の風景画と有名な作品のレプリカが並べて張ってある。それだけだ。
「もしかして、モナリザの目が光るとか……」
聞いたことのあるような話を適当に挙げると、千川さんはちっちっと指を振った。
「いやいや、それじゃありきたりすぎるでしょ。もっとこう……ヒキがないと!」
ヒキとか言ってしまってる時点で創作だけどそれはいいのだろうか。
「じゃあ、どういう?」
「えーっとね……この美術室には夜な夜な殺人鬼が忍び込んで根城にしてるの。それを知らずにこの教室に忘れ物を取りに来た生徒は、殺人鬼に捕まってノコギリで爪先からばらばらにされるんだって……どう、怖くない!?」
思ったより嫌な話だった。とはいえ怖いかと言われるとそうでもない、リアリティーがないし、噂話だから仕方ないけどディテールも甘い……映像とかで見たらキツいかもしれないけど。
俺の反応が芳しくなかったためか、千川さんがうぅんと唸った。
「やっぱりもうちょっとオチとかひねった方がいいのかなぁ」
「……千川さんが考えたのか?」
「そうだよ? それっぽいでしょ」
肯定されてしまった。もしかしたら本当かも、というのが怪談のキモのはずなのにいよいよ怖がりようがない。
千川さんは改稿案を考えているのか。すらすらと手帳に何かを書き込んでいる。くるりとペンを指先で回した後、ぱちんと器用に綺麗なウインク。
「私新聞部でしょ? 噂のデンパ速度とかを知りたくて、偽の七不思議作ってるんだ」
「デマじゃん……」
「ひ、人を不幸にしない嘘はいいでしょ! どうせ本気で信じる人なんていないんだし……」
むぅ、と千川さんが頬を膨らませた。子供っぽい仕草になんと言うのが洒落ているのかもわからず、俺はへらへら苦笑して床を掃いた。俺よりもかなり背の低い彼女はクラスの男子が「合法ロリ」などと呼んでいて、俺は妹のようだなと思う。とはいえ俺には本物の妹はいないので、だからといって接しやすいとは思わない。基本的に女子はあまり得意ではない。
けれども人なつこい千川さんは俺の微妙な狼狽など気付いていないかのように話を続けた。
「それに、信じてたら実際に七不思議に巡り会っちゃうかもしれないよ~?」
幽霊みたいに胸の前に手を垂らし、千川さんはホラーっぽいBGMを口ずさんだ。
「これをプラシーボ効果と言います」
「いや、多分違うと思う……」
「ん? そうだっけ?」
千川さんがこくん、と首を傾げた。プラシーボ効果って、薬とかに使う奴じゃなかったっけ。二人で考えても答は出ないので、諦めて掃除に戻る。
埃を一カ所に集めたところで、がらりと美術室の扉が開いた。俺と千川さんはドアの方を見る。
ひょいっと顔を覗かせたのは一人の女子だった。俺は彼女を知っている。前髪にピンをつけたボブ。猫みたいに大きなツリ目、華奢で小柄な体躯、。蘭
「あ、ぴよちゃん」
「ゆりちゃんだ、ぴよぴよ~」
千川さんが大きく手を振ると、彼女もひらりと手を振った。ぴよぴよってなんだよ、女子的には普通のやりとりなんだろうか。千川さんもなんの違和感もなくぴよぴよ鳴いている。
軽い足取りで俺たちの近くに寄ってきた彼女は、ちらりと俺にも視線を向けた。にこっとどこか小悪魔っぽい笑み。
「堤くんもぴよぴよ~」
「……蘭さん、何か用事?」
流石に自分まで鳴く気になれずに話を変えると、彼女はつまらなそうに溜息をついた。それから手にしていたプリントをおざなりに示す。
「堤くんノリ悪ーい。あたしはこれ出しにきただけ」
どうやらこの前の映画鑑賞の感想レポートらしい。これ、提出は先週だった気がするけど……。視線でそれとなく告げるとふいっと目をそらされた。
「ていうか、まだ掃除してんの? ウケる。あたしも手伝おっか?」
「もう終わるところだよ!」
指摘されたことで、自分がおしゃべりにかまけて半ばサボっていたことに気付いたのか千川さんが箒を握りなおした。「つつみん、ちりとり!」と指示されたのでさっと差し出す。ばたばたと千川さんが雑に埃をはらうのを(そしてまた埃が散るのを)くすっと笑って、彼女は準備室の方へと消えていく。
それをなんとなく横目で見送っていると、千川さんが今度は元気いっぱいに「おわり! かんぺき!」と声を上げた。視線をちりとりに戻せばさっきよりもだいぶ分量の減った感じのするゴミが納められていた。……まあいっか、美術室なんてそう使うものではないし。ゴミ箱にそれを捨てれば掃除は終わりだ。千川さんが壁掛け時計を見て、ぎゃっと悲鳴を上げた。
「やば、部活行かなきゃ。じゃあね、つつみん!」
「ああ」
ぱたぱたと千川さんが教室から出て行く。階段を大慌てで駆け下りているのが足音でわかった。それと入れ替わるようにして、準備室のドアが開いた。
「あれ? ちーちゃんは?」
「帰った。部活だって」
「ふぅん」
適当に相槌を打って、彼女はきょろきょろと軽く辺りを見回した。嘘なんかつきやしないのに、警戒心が強い。それから本当に千川さんが帰ったことを確信したのか、改めて俺に向き直る。
「よーくんは、帰んないの」
「……日和子こそ」
蘭日和子と堤陽一は幼なじみである。
そんな風に客観的に見られる程度には長い時間をこの女と過ごしている。残念ながらというべきか、喜ぶべきことにと言うべきか。どっちとも言えない。とりあえず、俺の人生に日和子がいるという事実はもうどうしようもないから。
「あたしはよーくんが寂しくないように、片付け終わるまで待っててあげるの」
「そりゃどーも」
これがもうちょっと真摯な台詞であれば可愛げがあるものの、机に腰掛けてあくびをしている様からは『暇つぶし』以外の感情は読み取れない。別にいいんだけど。俺はロッカーの中に箒をしまう。
「そーいや、ゆりちゃんと何話してたの?」
「いや、別に……大した話じゃねぇよ」
「何、やましいことあるわけ、やーらし」
「ないない」
「知ってる。よーくん年上趣味だもん」
「まあ……」
「さらに言うなら黒髪ロングの清楚系」
けらけらと日和子が笑う。その趣味を否定する気はないけれど、馬鹿にされたいわけではない。ちょっとくらい小突いてやろうかと近づくと、靴を脱いだタイツの足で軽く蹴られた。
「スカートの中見えるぞ」
「あたしからの施しだから」
「いらねー」
「いらんとは何事だ土下座して感謝しな」
ぐいぐいと腰のあたりを爪先で押される。痛くはないがお行儀が悪いのでやめさせようと手を伸ばすと、ひゅっと引っ込む。
机の上に体育座りするようにして爪先を抱え、日和子がぺろりと舌を出す。俺は思わず溜息をついた。
「机の上に足押せて、お行儀悪いぞ」
「オカンか」
「日和子ちゃんをそんな野蛮に育てた覚えはありません!」
「あはは、はは、オカンだ」
腹を抱えて笑う様子は、クラスの奴らが見たら珍しいと目を丸くするかもしれない。一応クラスではクールなキャラを気取っているみたいだし? クラスメイトの男子に「蘭って可愛いけどちょっと近づきがたいよな」みたいなことを言われたときは笑いそうになった。もっとも、俺たちが幼なじみであることは学校では秘密だから、そうかもな、以上のことは言えなかったけれど。
日和子は目尻の涙をぬぐうと、ひょいと机から飛び降りた。すたっと綺麗な着地。爪先で床を小突くようにしてローファーを履いた(それすると靴がよれよれになっちゃうだろーが)日和子は、暇つぶしに満足したのか扉の方へ向かった。
あ、そういえば。思い出して俺はその背中に声をかける。
「今晩、うちで飯食ってくか?」
「んー、今日はこれからりっぴたちとモールでショッピングデートなのです」
振り返りもせずに答えが返ってくる。そうか、と了承の意を示すと、彼女がくるりと身を翻した。にやにやと、楽しそうに唇の端をゆがめている。
「拗ねるな、拗ねるな」
「まったく拗ねてねぇ」
「しょうがないな、寂しがり屋のよーくんのため、ご飯くらいは一緒に食べてあげちゃお」
頼んでないっつの。せっかく気を遣ってやったのに、叱ってやろうとしたところで日和子がこくんと小首を傾げた。その動作に俺はめっぽう弱い。
「だからね、七時、駅前、迎えにきてもいいよ?」
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