第41話 あなたはそのままで
ミネルバさんの案内でたどり着いたのはスラム街だった。色々不穏だけどなんだかんだ治安は良いと言えるこの国にもこのような場所があるのかと思いつつ、私はスラム街へ臆することなく進んでいくミネルバさんの後を追いかける。
道端に段ボールを敷いて寝ている人はいなかったが、家がないんだろうなと見て分かる恰好をした人はちらほらいる。そこらじゅうに「私は足のつま先から頭のてっぺんまでアウトローです」といった風貌の人がうじゃうじゃいて、そういった人たちは外から来た私達に敵意や警戒の目線を送っている
「ここまでくれば憲兵たちも追ってこないでしょう。少々荒れてはいますが、皆良い人たちなので安心してくださいね」
私を気遣ってか、ミネルバさんがお淑やかに笑いながらそう言った。その笑顔の破壊力は凄まじかった。まるでミネルバさんの周囲だけ高原の片隅に凛と咲く花のような澄んだ空気が漂っているみたいで、それまで疑るような目で見ていたならず者たちが全員鼻の下を伸ばしていた。
まるでユーリが沢山いるみたいだ。一度そう考え始めるともうそれにしか見えなくなって、なんだか肩の力が抜けた。
「────カナエさんは天使病がどんな病気かご存じですか?」
スラム街をしばらく歩き、闇市に入ったあたりでミネルバさんが尋ねてきた。
「正直全然……背中に白い翼が生えることぐらいしか知らない」
「ではイーストウィングへ向かう間に教えましょう。教会では憲兵たちに邪魔されてしまいましたからね」
ミネルバさんはしきりに周囲を警戒しながら語り始めた。
「天使病はその名の通り、体から白い一対の翼が生じる原因不明の病です。三年前、医療教会の先代教区長であるジョセフ・モルフォールの発病によって初めて存在が確認されました。一度発病すると翼は患者から養分と霊力を吸い上げ肥大化し、患者が干からびて死ぬまで止まりません。翼の肥大化を抑える方法は未だに見つかっておらず……栄養点滴で奪われた栄養を補填するという受け身な処置しか出来ないのが現状です」
「手術で切り離したり出来ないの?」
ミネルバさんは首を横に振って否定した。
「何度か試みはありました。しかし翼が異様なほど硬く、メスが入らなかったのです」
右に曲がったり左に曲がったり、あるときは建物と建物の間の細い路地の迷路を進んだりと、ミネルバさんは複雑な道のりを家の中を歩くような足取りで進んでいく。闇市を越えてからは殆ど人の姿を見かけない。
「先にお伝えしますが、天使病は感染する病気ではありません。────ですからどうか、イーストウィングにいる人たちを怖がらないでください」
懇願するようなミネルバさんの声に、私は昨日目撃した公園での一幕を思い出した。
────憲兵隊に通報しろ!
────待ってくれ! 俺は違うんだ!!
あの時はただただ困惑していたけど、今なら分かる。
「……」
人っ子一人いないゴーストタウンの細い路地を通り抜ける。
そして今から私が目撃するものは────
「ここがイーストウィングです」
細い路地の先に広がる街には大勢の人がいた。世代や性別の垣根を超え、皆があちこちで楽しそうに談笑している。その大きさは異なるが、皆一応にして背中に翼を持っている。
────天使の楽園?
違う。そんなものでは断じてない。それは私たちの存在に気が付いた人間たちの眼を見れば一発で分かる。
誰かが呟いた。
「健常者が何しに来たんだよ」
────この場所こそがこの国だ。
あまねく差別と迫害に堕ちた王国の全て。謂われなき差別によって癒えない傷を負った被害者を閉じ込める檻のない牢獄。
そして……差別によって生まれてしまった、新たなる差別の苗床だ。
♢
曇り空の隙間から差し込む光明を見るたびに、その光がまるで自分のようだと私は思ってしまう。
灯りというにはか細くて、光というには頼りない。
救いを求めて手を伸ばしても、それはスルリとすり抜ける。
希望の光はいつもそうだ。思わせぶりに姿を見せて、私が縋ればすぐ逃げる。
そのたびに裏切られた気持ちになって、この世界が嫌いになる。そして、そんな自分が嫌いになる。
私は一体何のために生きているのだろうか。
天使病に罹患して、そこからすべてを失って。
罹患者たちの希望となるべく立ち上がっても、出来ることなど薄っぺらい慰めの言葉をかけるだけ。
傷のなめ合いにすらなっていない。
……そもそも、ケリュケイオンのリーダーが私である必要などないのではないか?
私なんかより、シュプリ殿やテレジア殿の方がよっぽど貢献しているじゃないか。
二人は医者だ。医者として今も天使病を治療する方法を探して昼夜を問わずに奔走している。シュプリ殿がいたおかげで私はこうして天使病に罹ってもまだ生きているし、テレジア殿が持つスキルや経験はシュプリ殿も持っていない。ケリュケイオンの皆は憲兵に連行されることを覚悟で各地を周り、武器の調達や逃げ隠れている同胞の保護に尽力してくれている。
私はどうだ? こんなところでボーっと空を見上げているが、私が苦しむ人たちのためにしてやれたことはあったか?
…………。
…………何もない。私は所詮、ただの一人の罹患者でしかない。昨日だって、私が会議の途中で倒れたせいで話を止めてしまった。
「…………」
空の隙間から差す光明に手を伸ばす。やはり光は届かない。
今の私に、生きている意味などあるのだろうか?
「────やっぱりここにいた」
不意に後ろから声を掛けられた。心が凪ぐような、愛しいミリアの声だ。
「目が覚めてからずっとここにいるよね。風邪ひいちゃうよ?」
「……」
「……どうせ自分なんかいなくても変わらないとか思ってるんでしょ?」
彼女の言葉は私の心を捉え切っていて、何も言い返せなかった。
「ダメだよジョー君。自分を傷付けて目を背けちゃダメ。君が立ち上がってくれたからこそ今生きている人がいるんだから」
私は思わず苦笑してしまった。彼女はあまりにも私のことを理解し過ぎている。ミリアはいつだってそうだ。いつだって、私が一番求めている言葉を最適な形で投げてくれる。まるで読心術でも持っているんじゃないかと疑うくらいに。
そんな彼女に私は何度も助けられて、今日もまた助けられた。
助けられてばかりだな。私は。
「……私は、上手くやれているか?」
情けない。自分でもそう思う。
しかし彼女と話しているときだけは、情けない自分でもいいのではないかと思ってしまう。
彼女は多分、不思議な魔力を持っているんだろう。私は勝手に結論づけて納得している。
「もちろん! 私がお墨付きをあげます」
むふぅ、と、大して威厳を感じない鼻高々な息遣いが聞こえてくる。それがとても可愛らしくて、私はなんだか少し悪戯してみたくなった。
「────わぷっ」
私は何の予告もなく急に振り向いて彼女を抱きしめてみた。彼女は二秒くらい放心した後、優しい力で抱きしめ返してくれた。
「ミリア。私を見ていてくれ」
「フフ……初めて出会ったときからずっと見てるよ」
あぁ、私は、いつまで経っても彼女には敵わない。
「ジョー君。私からも一つお願いしていい?」
「いいに決まってる。君のためなら私はなんでもするよ」
ミリアは私を抱く力を強くした。
「────いつまでも優しいジョー君のままでいてね。私との約束だよ」
「もちろん。君に誓って約束するよ」
それからしばらくの間、私達は寒空の下で抱擁を交わし続けた。
────あとがき────
今更かもしれませんが、二章では病を巡る差別の描写が一部含まれております。しかし、これらを通じて差別を助長させようといった目的は一切ございません。予めご了承の上閲覧していただきますよう、お願いいたします。
重ねてお伝えしますが、この作品はフィクションです。実在する人物・団体・事件等とは一切関係ありません。
金剛ハヤト
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