情愛の果て③
退魔師だと名乗る男は指に挟んだダーツの矢をくるくると指の間で転がすようにしてみせた。
「おや...泥で白いパーカーが台無しだ」
「そのまま真っすぐ行けば道路に出るからね、振り返っちゃあいけないよ」
この男は危ない。
そう確信した私はなんとか百足女に危害が及ばないようにしないといけないと考えた。
「この子は危険じゃありません!道案内してくれるところなんです!」
私は一歩前に出てそう叫んだ。
「あはは、キミなにいってるんだい?ああ!そういう感じで惑わされてるのか」
「うんうん、まあこれだけ邪気が濃ければね...当然か」
「安心するといい!すぐ解放してあげよう!その醜い化け物からね!!」
明るくそう言い放った男は手に持っていたダーツの矢を勢いよく投げた。
その速さはまるでツバメが飛ぶかのように鋭く、そして正確に百足女の額に命中した。
「ギィア"アアア"ァ!!!」
激しい悲鳴をあげる百足女に男は続けざまに何本もダーツの矢を撃ちこんだ。
おそらく何らかの呪詛が仕掛けられているのであろう。
能面のような顔が腫れあがり、血が大量に噴き出していた。
「まったく...なんて醜いやつだ。これだから嫌いなんだよねブスはさぁ」
「泣けば男は同情すると思ってる
こんなにも強い神気をもっているのにまるでその男の言動は聖人とは思えなかった。
そして何よりも腸が煮えくり返るように激しい怒りが込み上げてきた。
百足女を
「はは...なに、キミ?なんのつもりかな」
「そこ危ないっていったじゃん、あれ..俺が言い忘れたかな?ごめんごめん!」
ふざけるような態度で男は笑う。
「――オサガリクダサイ―――アブノウゴザイマス―――」
百足女が血の泡を吹きながら、私を守るように巨体を捻る。
――ああ、そうか。私がいるからだ。
この子が反撃しないのは、私に被害が及ぶかもしれないと思っているから何もできないんだ。
戦わずに逃げることだって出来るはずなのに。
「やめてください...もう、この子を傷つけないでください」
「あはは...ごめん、それ笑えないな。混乱してるのかい?なら少し気付け薬が必要か」
そう言うと男はダーツの矢を一本取り出し、私の右腕にめがけて突き刺した。
激しい痛みが全身を襲い、私は地面をのたうち回った。
「ごめんね!でも死にはしないからさ、あとで治療費請求してよ!」
「これでもう正気にもどったでしょ。そいつは退魔の呪詛がかけられてるからさ」
痛い。痛い痛い痛い。
こんなに痛いものを、何本もこの子は撃ち込まれて...それでも守ろうとしてくれてる。
なんて無力なんだろう私は。
私を守ってくれてる子は邪気にあふれているが、あの男は神の使いだといわんばかりの神気だ。
それなら神気とはいったい....邪気とはなんなんだ...。
「オノレ――ニンゲンガァアア―――――!!!」
私が攻撃されたことに百足女は激高し大量の血しぶきが周囲にまき散らされていた。
だがそれでも百足女は反撃をせず、私が不気味だといった何本もの手足が私を守っている。
「あーもう、汚いな...そろそろ幕引きといこうか」
男が何らかの印を結び始め、そして白い人型の紙...形代を宙に放りだした。
「我が名に従い、悪鬼を制圧せよ。
形代が閃光を放つと同時に黒い大きな鳥の羽がいずこからか降り注ぎ
黒い塊から3本の足を持つ巨大なカラスが出現した。
翼を広げた姿は2メートルを超す勢いで、羽ばたきが嵐のような風を巻き起こしていた。
「虫は所詮虫。食い殺せ...その百足の怪物を」
八咫烏が舞い上がり、百足女目掛けて急降下しようとしてくる。
それを察知した百足女が瘴気を八咫烏に向けて放つが、羽ばたきでその瘴気を弾き返してきた。
百足女が瘴気から私をかばう様に長い体躯で私を覆う。
すぐさまその隙を八咫烏は電光石火の如く急降下し鋭いクチバシで突き刺したのだ。
「ギィヤア"ア"ア"ァ"!!!!!!」
断末魔の叫びをあげ、百足女は倒れこんでしまった。
私が必死に顔をさするがコヒューコヒューという、か細い息しか聞こえなかった。
何もできない自分への怒り。悲しみ。苦しみ。
言葉では言い表せないほどの激しい感情が激流のように全身を駆け巡る。
"妖怪"だとしても、もう私にとっては百足女は守りたい存在だった。
"神"だろうがなんだろうが傷つけさせる権利なんてない。
自己満足なんだろうと構わない。偽善といわれようと、私は私の方法で進んでいくんだ。
八咫烏が再度天高く舞い上がり、トドメをささんと"彼女"に急降下してきた。
巨鳥の嘴が貫こうとしたとき、私は立ちふさがった。
私の肉体は引き裂かれる。それで構わなかった。
目を閉じた。
――――?
体を貫かれた感覚はなかった。
恐る恐る目を開けてみると、白兎がその小さなミニチュアの体で嘴を止めていた。
バキバキバキとその体が崩れていく最中、白兎が語り掛けてきた。
「主―――レ、イ―――サマ――――」
白兎は音を立てて粉々になってしまった。
私は目の前が真っ白になった。
粉々になった白兎を握りしめ、ただただ、願った。
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退魔師の男は決着はあっという間についたかと思っていた。
だが、八咫烏が急に弾き飛ばされた。
凄まじいまでの邪気...いや、得体の知れない何かの気配...。
そこにいた少女は虚ろな目をして、こちらを見た。
深紅に染まった瞳、虚無に吞まれそうな底の見えない何かを感じさせる眼。
少女がこちらに一歩進む。
すると辺りに散った妖怪の血から彼岸花が咲き誇り始めたではないか。
髪がみるみるうちに長さを増し足先まで伸びていく。
艶のあった黒髪が真っ白になる。
「なんだ...おまえは....人じゃなかったってわけかい?はは...」
異様なまでの威圧感。上位妖怪の比ではない妖気に押しつぶされそうになる。
だがそれでいて妖艶なまでの美しさに心が囚われそうになるのを必死にこらえる。
「いくら上位の"鬼"だったとしても、神使にかなう道理がない!」
男は八咫烏にその妖魔を貫くように命令をした。
にも関わらず八咫烏は一向に飛び立とうとしない。
「なにをして...」
八咫烏は全身の羽を逆立てその巨体を震わせていた。
蛇に睨まれた蛙のように身動き一つできずにいたのだ。
「馬鹿な!太陽神の使いだぞ!?それでも本家式神か!!」
"妖魔"が右腕をあげるとダーツの矢傷がみるみる塞がり、
空は黒く染まり紅い月が木々の合間から妖光を届けていた。
間違いない。この"妖魔"は
辺りからは何者かのささやき声がざわざわと聞こえてきた。
【闇ノ
―――――妖ノ巫女―――――
こいつはここで始末しなければ絶対にまずい。
男の直感がそう告げていた。
式神が役に立たない以上、己自身で殲滅するほかない。
急いでアタッシュケースから道具を取り出す。
浄化の水が入った瓶を投げつければ、触れるまでに瓶ごと消滅してしまう。
退魔の呪詛が組み込まれたダーツの矢は尽く灰になった。
ならばと人差し指と中指を立て呪詛を唱える。
「臨!兵!闘!者!皆!陣!烈!在!前!!」
眼前の空間を縦四本、 横五本に斬ると強力な神気が刃となる。
上位妖怪でもこの呪詛には抵抗ができない。
だが神気の神聖なる刃は妖魔が
男は腰を抜かした。
これまで数多の魑魅魍魎を討滅し、麒麟児とまでいわれた自分が何もできない現実に。
無力感に
黒い闇に紅い月明かり、辺り一面に血の彼岸花が咲き誇り
その光景は現実とは思えない禍々しき美しさを放っていた。
"妖魔"は何かに気づいたかのように歩みを止め、後ろ振り返った。
虫の息の百足型の妖怪に近づいたかと思えば身に着けているバッグから何かを取り出した。
尋常ではない妖気が集中し、バシュっと自らの手の内を爪で裂き血を妖怪に垂らした。
「魔道に沈む我が子 再臨せよ 黄泉の
心の奥底に響き渡るような声色で妖魔は呟いた。
すると百足の巨体が彼岸花に包まれ、小さくなっていく。
まるで卵のように覆いかぶさったそれが脈動するかのように揺れると
中から一糸纏わぬ若い女が出てきたではないか。
美しい黒髪の女は妖魔を見初めるような眼差しで見て頬を赤らめている。
その存在はとうに俺の手に負えるものではなかったのだ。
眼前に広がる光景をみて、もはや敵意など、討滅などという考えは失われていた。
ただ俺も
「
パン!と俺の頬が叩かれ、我に返る。
妹の
「おじい様の占術で凶兆が出たから来たの!立って!!」
か細い体で俺を支えると、形代を取り出し大鷹の式神を召喚した。
その背に二人が乗ると、勢いよく大鷹は樹海の木々を押し分けるように空に飛び立った。
黒い闇が覆いつくそうとするが、涼華が術を行使して境目を創り出す。
そこを大鷹が貫き、新鮮な空気の太陽の陽気に包まれた。
「なんなのよアレ...!!」
涼華のショートヘアの髪が風に揺られバサバサとなびいている。
疲れたな...とその背にしがみつき、目を閉じた。
俺の初めての、敗北だった―――――
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