第21話 マチネ


 ギターの音が場内に響き渡る。まるですぐそばで奏でられているような臨場感は、音響設備の整った映画館ならではの体験だろう。


 ひとつ、ふたつとつたない音がかき鳴らされ、それから感情のままにじゃらじゃらと弦がつまかれる。譜面もセオリーもない、演奏未満の荒ぶる独奏。


 冷たい雫が降る校舎の軒下で、派手な髪色をした女の子は雨空を見上げる。


『『……ヘタクソ』』


『お、謎にハモった』

『先週はアイドルんなりてぇっつってて、今度は何だよ。ミュージシャン? バンド? 進路迷子にも程があんだろ』

『いや、そこはパフォーマンスの一環としてさ』

『弾けねぇギターが?』

『中途半端だと反応に困るけど、ド下手くそなら笑いものにはなれるじゃん。とがっててナンボだよ、今の時代』


 屈託くったくのない笑顔をにらみ、冷たい雰囲気を漂わせた女の子はため息をついてから、


『……おとってたら目も当てられねぇだろ』


 ジャンルはたぶん、アイドルもの。


 退屈を極端に嫌い、常に刺激的でスリリングな体験を求めている主人公と、その友人であるガラの悪い少女が織り成す青春ドラマ――冒頭から読み取れる情報はこんなところだろうか。


 基本的には二人を中心に話が回り、外見、内面、ともに独創的なキャラクター達が予測もつかない、奇想天外なシナリオを紡いでゆく。


 主人公は弾けないギターを担いだアイドルで、過度に飽きや退屈を感じてしまうと途端に腑抜ふぬけになってしまう。彼女の友人はキツい物言いと性格をしているが、過去、そんな主人公に救われた事がある。だから主人公がどんなに変な奴だっとしても、見捨てる事は絶対に出来ない。


 絶妙なタイミングで挟まれるコミカルな描写が笑いを誘い、時に巻き起こる激しい感情のぶつかり合いが、スクリーン越しにいる僕らにまで木霊こだまする。


 無茶苦茶にも思える展開が、やがてひとつの運命へと収束し――


『――次はなに目指すんだ? もう寿司職人でも驚かねぇぞ』

『スーツを着ない職業ならなんでもいい』

『お前……一生あたしの事、振り回す気でいるだろ』

『でも、悪い気はしなくない?』

『……ハッ。お互いに、な』


 ゆったりと流れるエンドロールを眺めながら僕は逡巡しゅんじゅんする。


 個人的な感想を言えばキャラクターもシナリオもややクセが強く、人を選ぶ感じがするのは否めない。


 特に主人公とその友人の物言い、人となりに難色を示してしまうと楽しめる部分がないのではと懸念してしまう。物語の大半はこの二人を軸に進んでいくからだ。


 それでも等身大の想いをありのままぶつけ合い、悩みや葛藤を吹き飛ばすほどの痛快なストーリーには、終始目が離せなくなるくらい格別な魅力があった。


 明るさを取り戻した劇場内には、やはり僕ら以外に人はいない。


 ぽつぽつとした足取りには、そこはかとなく余韻よいんが滲み出ていた気がした。




 映画の感想を語り合うのに、牛丼屋の席はこの上なく適さなかった。


 お昼時を間近に控えた今、席に着くサラリーマンたちは新陳代謝のように次々と入れ替わっていく。慌ただしく回転する厨房の様子まで目にしていると、とても落ち着きのある空間だとは思えない。


 なのにどうしてこのお店を選んだのかと言うと、それは先週の土曜日、小春さんと出かけた日の約束を僕が覚えていたからだった。


 立ち食いのお蕎麦屋さんか、どこにでもあるチェーン店の牛丼屋か。どちらでもいいから今度一緒に食べに行こう。


 今回は座席の有無を考えて、後者に白羽の矢が立てられた。


「――小春さんはどう? 面白かった?」


 半分ほど食べ進めた並盛の牛丼を置きながら問いかける。チェーン店の牛丼はやたらとあまじょっぱくて、味が濃い。小春さんの手前にあるのも同じく並盛の牛丼だが、食べる前にポン酢をひと回しぶん、かけていた。


 僕たちの周りにはあの映画の主人公が嫌っていた、スーツを着た大人たちがずらりと座っている。


「見ていて飽きない作品でしたね。映像も綺麗でしたし、劇伴にも情緒が感じられて……私も将来はスーツを着ない人間になりたいと思いました。アンチ労働です」


 近くから怪訝けげんそうな視線を向けられたが、すぐ丼の中に視線が落ちる。


 ああすみません、決して喧嘩を売っている訳ではないんです――そう思いたかったが、あるいは主人公の友人のキャラに影響されて、今は少し気が大きくなっているのかもしれない。


 僕は「そっか」とひとまずの相槌を打ち、会話の軌道修正をこころみる。


「将来って、小春さんはなりたいものとかあるの? 夢、みたいな」

「夢……」箸を置いてからぽつりと、「……絵本作家」


 小春さんの事だから何か突拍子もない職業が飛び出すのではと、内心少なからず予感していた。だがいざ口をついて出てきたのは、地に足の着いたまっとうな夢だった。


 ふと小春さんが画像で送ってくれた、月を見上げるうさぎのイラストが脳裏に浮かぶ。


「絵を描くのが好きなので、それを活かせる職業に……いや、違いますね。理屈は抜きにして、単純に好きだからなりたいと思いました」

「……いい夢だと思う。前にうさぎと月のイラストを送ってくれたけど、タッチが優しくて、僕はすごく好きだったな。なんて、絵の事は全然わかんないけど」

「私もまだふわふわっと描いているだけですから。でもそういうフィーリングは大事です」


 小春さんはごちそうさまでしたと言ってひと息つき、


「感性が死ねば死。ただ死、あるのみです」

「小春さん絶対さっきの映画に影響されてるよね?」


 退店する頃には午後になり、店先の通りには心なしか人通りが増えている。午前までしかサボった事のない僕からすれば、今日で記録更新だ。


 次の目的地へ向かう途中のアーケード街で、小春さんは独り言のように呟いた。


「ようこそ。こちら側の世界へ」

「あ、ありがとう……なんだか、本当に不良になった気がしてきた……」

「実際、学校での時生さんはどうなんですか?」

「全然普通だと思うよ。ちょっと浮いてるかなって思う時はあるけど……みんな優しいから受け入れてもらえてる」


 話を振ったにも関わらず、小春さんはほうけたような面持ちで僕の顔を見つめていた。


「小春さん?」

「みんな、優しい……時生さん、周りがちゃんと見えるようになったのですか?」


 まるで今までが盲目もうもく的であったかのような物言いだが、図星だった。


 他人や物事には向かなかった興味関心と言う名の矢印が、小春さんとの出会いをきっかけに正常性を取り戻した。それが単なる気のせいではない事は、僕の周りにいる人たちが証明してくれている。


 ノートの貸し借りをきっかけに、僕と小春さんが友達であるかどうかを見極めてくれた長田くん。


 僕と小春さんの関係性に切り口を入れ、個性的という言葉では足りないくらい愉快な内面を披露してくれた四ノ宮さん。


 困っていた僕らを助けてくれたシノさん、ハルキさんに、体調を崩した時に気遣ってくれたクラスメイト、担任の先生――誰かの持つ優しさや感情のひと粒ひと粒が、今でははっきりと線を帯びて見えている。


 小春さんと出会う前の自分は、何もかもが色褪いろあせた世界にいたのではないだろうか。


 いやいやそんな大げさなと笑いせるような気持ちは、けれども微塵も湧いてこない。


「ありがとう」


 どうしてだろう、口をついて出た正直さに熱いものがこみ上げそうになる。


「小春さんと会ってから……世界の見え方が変わった気がする。これは大げさでもなんでもなくて、僕にとっては本当に大きなことだった。今じゃもう、小春さんと会う前の自分が考えられないくらいだよ」

「……時生さん、それは……――わわわ?」


 ぴたり、小春さんの足が止まる。


「到着しましたね。アレは忘れていませんか?」

「大丈夫。入ろう」


 僕らは鞄からクーポン券を取り出し、店の中へ足を踏み入れる。脇目に見えたお店の名前は、『マチネ』。


 先日お世話になった男装カフェ『ソワレ』の昼の名前だった。

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