第24話 怯えと精算

 すぐに犬宮が真矢家から離れた事で気づかれずに済んだが、最古の精神状態は限界。


 事務所まで持たないと思い、人気のない路地裏の壁に寄りかかり座った。


「ごめんね、翔。怖かったね」


 大きく体を震わせ、静かに泣く最古を両手で抱きしめ、犬宮は何度も謝罪した。


「ごめん、本当に、ごめん……」


 最古の前だと犬宮は気丈な態度を保つようにしていた。

 だが、それも限界に近い。


 今まで思い出さないようにしていた過去、捕らわれていた時の自分。

 自分のせいで巻き込んでしまった周りの人達、一番大事だと思っていた姉の存在。


 思い出したくない、今すぐ逃げだしたい。


 そのような感情が最古の泣き声と共に収まりがきかなくなり、目じりが熱くなり体がカタカタと震え始める。


 犬宮の身体の震えを感じ取り、先ほどまで泣いていた最古の涙が止まる。

 目を丸くし、自身を抱きしめてくれている犬宮を横目で見た。


「……………………いたい、いたい?」


「っ、翔?」


 最古は、今まで自身の意思で話したことは一度もない。

 声を出す時は大抵、犬宮に質問された時だけ。


 今のように質問をすることは一度もなかったため、犬宮は驚き顔をゆっくりと上げた。


「──……」


 涙を浮かべている最古の、漆黒の瞳と目が合った。


 大きく丸い、子供の瞳。

 瞳の奥にあるのは、彼を苦しめる悲惨な過去。


 犬宮は最古に気を遣わせてしまっている、そう考え頭を撫で無理に笑った。


「大丈夫、俺は大丈夫だ。だから、最古は泣いてもいい。お前を縛るものは無くなったのだから」


 犬宮の手は冷たく、今まで感じていた温もりがない。


 最古はその手が微かに震えていることに気づいている。

 犬宮の笑顔が無理に作られているというのも、わかっていた。


 目を丸くし犬宮を見ていた最古だったが、体をよじり自ら離れる。


「え、どうしたの翔。だいじょっ――」


 驚きで問いかけようとすると、感じたのは小さな温もり。


 最古は犬宮から離れると背伸びをし、片手は彼の肩に置かれ、もう片方の手は頭に。

 黒髪を「いいこ、いいこ」と呟きながら撫でる。


 今まで自分がされて嬉しかったことをすれば、犬宮も笑ってくれる。

 そう思い頭を撫で「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と伝え続けた。


 頑張って今までのニコニコ笑顔を浮かべようとしたり、ぎゅっと抱き着いたりと。

 最古は、最古なりに頑張って犬宮を励まそうと頑張っていた。


 自分も辛いのに、自分も怖いはずなのに。

 それなのに、最古は頑張って犬宮を慰めている。


 そんな最古の気持ちに、今まで我慢していた犬宮の感情が崩壊。

 唖然とした表情を浮かべている犬宮の黒い瞳に、透明な涙が溢れ落ちた。


 それを”痛がっている”と勘違いしてしまった最古は、焦ったような表情を浮かべ「いたい、いたい、とんでけ!!」と、必死に犬宮の頭を撫でた。


 両手で頑張って撫でている。

 焦っているせいか、髪はぐしゃぐしゃ。


 それでも、温かく優しい温もりを犬宮は感じ取っており、思わず最古を両手で抱き寄せた。


「――――ありがとう、翔。もう、痛くないよ」


 ぎゅーと抱きしめられ、最古はキョトンと目を丸くする。


 最古自身、犬宮に甘える時は度々あった。

 だが、犬宮からここまで強く抱きしめられたことは無かった。


 力が強く、少しだけ痛い。

 でも、離さないで欲しい、このまま抱きしめていて欲しい。


 最古も一度は止まった涙がまた溢れてしまい、大粒の涙が犬宮の肩を濡らす。


 しばらく、二人は泣き続けた。


 思い出したくもない怖い過去とさよならをするように。


 自身を捉えるトラウマを解き放つように。


 全てを、涙と共に流すように。


 二人はただただ、泣き続けた。

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