#15. 子供に触るな、あとお前は精密機器にも触るな (Don't Touch The Child & You Don't Touch The Precision Machinery)

 教室の扉から女の先生がズイと顔を出した。菱形をした赤い目をさらに見開き、教室に重く陰鬱な空気が一気に流れ込んだ。彼女はそのままするすると長い腕を引きずり距離を詰めてくる。


「耳栓しときなよ!」ニコがギターを巨大なハンマーの様に構える。

「えっ、彼女、ギター弾けんの?」アシンメトリーヘアーの少年が興味津々に食いつく「なんか持ち方おかしくね?」彼がそう漏らした次の瞬間、ニコがギターをめちゃくちゃに振り回し始め、魔物が首を絞められ呻いているような醜悪な音の塊に少年少女はひっくり返った。女の先生は顔を米印の様に皺だらけにし、不愉快そうにブツブツと小言を言っている。

「シエリ!」耳栓をしても少し気分が優れなさそうなシエリに、ロップが大きくジェスチャーをする。彼女はガスタンクを何度も指差し、それから満面の笑みでシエリを見た「巻き込んでやっつけるんだ!」

 シエリは目をまん丸にして肩をすくめる「みんな逃げてー!」彼女はヤケクソで叫んだ。

 一同は轟音の中、身をかがめて教室から避難する。

「ニコが! ニコが逃げないって!」ベンジャミンが叫ぶ「そのままやってくれって言ってる!」彼は信じられないというような面持ちでシエリの耳元で叫んだ。

「ニコ!」ロップが呼びかけると、ニコは爽やかに汗を撒き散らしながら彼女に熱い視線を送る。その瞬間ロップの脳内に彼女の声が閃光のように炸裂した「──『大爆発をバックに演奏するのってめっちゃクールじゃん?』……って言ってる……?」ロップは理解し難いとばかりに顔を顰めて呟いた。

「シエリ!」ロップはおどおどしながらシエリの耳元に叫ぶ「ニコが……なにか、演出してくれって言ってる!」

「演出!?」シエリがたまげる「爆発に巻き込まれても、目が覚めるだけで死にはしないよね……? でも頭おかしいよ!」空気の揺れる轟音の中、彼女はそう口走ったがすぐに自らの言葉が脳裏をよぎった「そうか……GDNは狂ってるんだった……」彼女は俯いて絶句し、ロップも険しい面持ちで苦い笑いを浮かべた「じゃ、じゃあ、ギターソロのキメのところで爆破しよう!」シエリは顔を引き攣らせて言った。

 一心不乱にギターを爪弾き、地響きの様な旋律がますますボルテージを上げていく。ニコの振り乱れる金色の髪が立髪の様に逆立った。超音波にも感じられるほどにピッチが高音になり、彼女は何の脈絡もなく突然後方宙返りを繰り出す「ここだ!」シエリは右腕に全身全霊を込め、迸るような電撃波をガスタンクの山に向けて撃ち放つ。

「弦が切れた」

 轟音が止みニコが立ち尽くしたその瞬間、教室は凄惨たる爆炎に飲み込まれた。板を張り巡らされた窓ガラスが吹き飛び、夜空が覗いた。ロップとシエリは煙の中から必死の思いで這い出す。到底人とは思えないけたたましい悲鳴が教室に響き渡る。

「ロップー! シエリー!」ベンジャミンがパニック状態で 二人に駆け寄る「わわ……床が!」

「危ないっ」シエリがロップの身体を抱き止めようと掴みかかる。教室の中心にドス黒い穴が空き、ブラックホールのように床が穴に向かって飲み込まれていく。

「ごといきやがった! 仲間ごといきやがった!」ロップとシエリがなす術なく床を滑り落ちていく中、廊下に隠れていたアシンメトリーヘアーの少年が大興奮して叫んでいる「デビ! 成功だ! 俺たちも行こうぜ!」

「アダム……、だから雷出るって言ったでしょ?」デビは少し沈んだ声色で言う「まあ目からは出なかったけどさ」彼女はアダムと呼んだ少年の手を堅く握った。

「なんで急に不機嫌になるんだよ?」アダムは眉をしかめ、彼女に笑いかける。


 穴の中心から鋼鉄を捻じ曲げるような、歯を食いしばるような軋む音が鳴り響く。


「落ちる!」シエリがロップを抱きしめる力をさらに強める。二人は一瞬、大きな滑り台を滑り降りるような浮遊感を感じたかと思うと、浅く水の張った地面に勢いよく尻餅をついた。

「いてて……」辺りは明かりが無くどこまで続いているのか分からない「ロップ、大丈夫?」シエリが聞くとロップは頷きながら老婆のように立ち上がった。

「水周りの夢はまずい」闇の中から炭を被ったように黒くなったニコが、燃えた木を持って現れる「ね? ベンジャミン」

「生きてた! よかった!」ロップとシエリが嬉々として彼女に駆け寄る。ベンジャミンも腰を押さえながらよろよろと闇から現れた。

「な、何でまずい?」彼が怯えた様子で聞き返すとニコは目を見開き「漏らしちゃうかも」彼女はゲラゲラ笑い出した「あー眠い、まずい……」

「あの爆発でよくログアウトしなかったね……どんだけ体力あるんだ……」ベンジャミンが驚きを隠せないように呟いた。

「でもメラトニンがピークしたみたい、もう落ちるよ……おねえさんたち」ニコが目を閉じてその場に座り込む「終わったらTB払えよな……ベンジャミン……」

「うん……ありがとうニコ」ベンジャミンがそう答えるとニコはロップとシエリに力無く微笑みかけ、テレビのチャンネルが切り替わるように一瞬で姿を消してしまった。


 仄暗い空間に静寂が訪れ、水滴が水面に落ちる音が響いた。

「消えちゃった……」シエリが呟く「ベンジャミン、ここが保健室であってるの?なんか洞窟みたいだけど」彼女は周囲を見渡す。

「うん……でも明かりが欲しいな……」ベンジャミンはザブザブと水を踏みしめて歩く「こっちにデスクとかロッカーがある。漁ってみるよ」

 ロップとシエリは彼の後をつき、ガラス引き戸のキャビネットを見やる。戸棚には分厚いファイルや書物がぎっしりと並んでいた。

「見てロップ、写真が瞬きしてるよ」シエリが戸棚に置かれた写真立てを指差す。色褪せたカラー写真には子供達に囲まれて微笑む女性の姿があり、シエリの言う通り、人がふらふらと揺れ動いていた。

「あった!」ベンジャミンの明るい声がする「正真正銘、僕のニューラル・レコーダーだ!」彼は引き戸のロッカーの前で膝をつき、使い古したボロボロのレコーダーを掲げて二人に振り向いた。

「よかったねベンジャミン」ロップが安堵する「じゃあ切断して帰りましょ」シエリが言った。二人はニューラル・レコーダーを取り出してSTOPのボタンに指をかける。


 "STOP (切断)"


「本当にありがとう!」ベンジャミンが二人に駆け寄る「あ、待って、先に友達記録つけないと」彼は手を差し出した「多分サーバー分かれちゃうじゃん?」

「悠長ね」シエリが呆れ気味に言い、三人は手を繋いでRECORDを押した。


 ───────────────────────────────────────────


 FRIEND NO.0002

 BENJAMIN, 11TH

 ───────────────────────────────────────────



「へへ……ありがとう!」ベンジャミンが緊張感なく笑うと、彼は勢いよく水の中に引きずり込まれる。ロップとシエリは驚愕して後ずさった。

「ベンジャミン」ロップが呼びかけるが再び、しんとした沈黙が場を支配する「せ、切断しよう」シエリが不安から彼女の手を掴む。二人は大慌てでレコーダーのSTOPボタンを連打するが、レコーダーは何の反応も示さない。

「切断できない……」シエリは絶望して声を漏らす「何よ、このポンコツ機械」

「穴……手届くかな?」ロップが頭上を見上げる「誰かまだ上にいる?」その時彼女の足首を何者かが掴んだ「ロップ!」焼ごてのように熱い手に引き込まれるロップの腕を、咄嗟にシエリが掴む。しかし二人は足場を失うように水の中に落下した。

 視界がぼんやりとした赤色に染まり、ロップは自らの脚を掴む腕を必死で蹴りつける。呼吸のできないパニックの中、みるみるうちに水面が遠ざかっていくのが分かる。次の瞬間、目の前いっぱいに焼け爛れた女の顔が現れ、沸騰して破裂寸前の黄色い目玉が救いを求めるように縦横無尽に眼窩の中を暴れ回る。

 最後の一息を吐き出すようにロップが気泡を吐き出した時、彼女の身体をシエリが抱き取った。赤い世界が一変し青く光り輝く、身体を貫くような電撃にロップは身を仰け反った。女の化け物による野太い絶叫が地震のように水中を震わせる。

 拒否反応を起こすようにロップとシエリは水中を急上昇し、水面から地面に叩き出された。這いつくばり幾度となく咳き込むロップにシエリが駆け寄る「ロップ! 息!」ずぶ濡れの二人は息も絶え絶えに周囲に注意を払う。

 それからすぐに、水面から女が身体を持ち上げるようにして現れた。顔面を刃物で滅多刺しにされたように、花びらのように皮膚が垂れ下がっている。

「私は……」重たい口を開き、女は苦痛に顔を歪めながら二人に一歩踏み出した「みんなと…」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る