第3話 冷笑
「……彼と何を話していたんですか?」
じいっと、突き刺さる様な視線で見つめてくる彼の雰囲気に圧倒されて、つい後ずさった。
普段の落ち着いた物腰の彼からは考えられない、冷たい眼に、身体が強張る。
なのに掴まれた手首からは、熱い掌の感触が伝わっている。
恐い、と思った。
「な、何も」
「……」
返事を返したというのに、彼は無言のままで。
一歩後ずさったけれど、その手を放してはくれなかった。離れた分だけ、彼の手に引っ張られるような感覚が手首を襲う。
無理矢理振り解くべきか逡巡しながら掴まれた部分を視線で追うと、思いの外しっかりと握られている大きな掌に気付いて余計に戸惑った。
今、この控え室に誰か入ってきたら……。
そう思うだけで、背筋に冷たいものが走る。
「広瀬さんは、中嶋君とはよく話していますね?他の人とは、ほとんど会話しないのに」
言いながら、工藤店長が口元だけで笑った。
そう比喩しなければならないのは、彼の目が全然『笑って』なんていなかったからだ。
違和感のある表情を向けられて、内心パニックに陥る。
顔は笑っているのに、目が笑っていない。柔らかく細められているはずの瞳は、全身に緊張が走るほど冷たく光っていた。
息の根を止められるのではないかと思うほどの鋭い視線が、私の心臓を突き刺している。
―――違う。いつもと。
こんな顔をするこの人を、私は知らない。
瞳の奥にある苛立ち。小さく燃えるような熱さに、背にじんわりと汗を掻いた。
燃え始めたばかりの燻る様な怒りを肌にぴりぴりと感じて、心が強張る。
どうして……。どうして、怒っているの。
なぜ。
「僕の事は、避けてるのに」
……え?
そう言った彼の表情は変わらず冷たく微笑んでいたけれど、その声音はなぜか、とても寂しげに聞こえた。
「避けて、なんか……」
咄嗟に口をついたけれど、続きを発する事はできなかった。
詰まる喉に、これでは肯定しているのと同じだと気付いて青ざめる。
本当の事だから。
彼が言った事が図星だから、否定することができない。
初対面から、なぜか苦手意識があった。彼の浮かべる笑顔に違和感を感じていた。
誰にでも気に入られる人当たりの良さが、私にはなぜか恐怖だった。
得体の知れなさが、恐かった。
口篭る私を、彼は暫く見つめていたけれど、やがて小さく溜息をついて、掴んだ手を離してくれた。
「恐がらせて、すみませんでした」
告げた声は、もう普段の彼のものと遜色が無かった。
いつもの空気が戻る。先ほどまでの冷たい空気が消え、普段と変わらない表情の彼が、少し困った顔をこちらに向けていた。
「……」
彼に掴まれていた手首を押さえながら、私はただ、目の前の人の顔を見た。
困惑した表情のまま、彼が私の方に再びすうっと手を伸ばす。思わず、体はびくついて。
伸ばされた手が、直前で止まった。
「これ以上は、嫌われたくないですね……」
悲しそうに一言呟いて、彼は私の横をすり抜けて、お店の方へと戻って行った。
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