僕の、王子様。

豆ははこ

第1話 詰襟はソースの香りをまとう。

山島やましま、あとは頼むよ」

「うん、任せて」

 今日は、文化祭最終日。

 うちのクラスは焼きそばの屋台を出していた。


 昨日とそれから今日の午前中にある程度の売り上げがあったので、クラス全体からは、もう屋台は休止してもいいかなという雰囲気が漂っていたくらいだ。

 それを、午後の残り時間は僕が一人で店番をするからと実行委員に請け負ったのだった。


 やらされた、とかではない。ここは、ポイント。

 むしろ、やりたかったからだ。


 ぼっちではあるけれど、グループ学習とかには誘われるし、高校は割と居心地がいいところだったりする。

 名字、やまどり? やましま? どっちだっけ? のやり取りも、四月と五月に散々言われたから、もうさすがに言われないし。

 同じ中学の子、いないんだよね、うちのクラス。いや、学年でも同中男子はいなくて、僕だけだった。


 さらに、進学校の我が校。

 家庭科が唯一無二の得意科目、技術と美術と音楽と保健体育の保健だけはかなり好成績、な僕の立ち位置はかなり微妙で。


 そんな中、既に、夕方からの後夜祭へと関心が移っているらしいクラスの皆。


 パートナーが決まっている人はその人に、決まっていない人も誘ったり誘われたりと忙しいようで。


 僕は、興味がない、と言うよりは、フォークダンスで誰かと躍る自分を想像できなかった。

 いっそのこと、と、男子同士、女子同士で申し込みをしている人たちみたいにもなれないし。

 まあ、もしかしたら彼ら、彼女らが本当にお互いをパートナーとしているのならまたそれは素敵なことだなあ、とは思うけど。


「合格するかも知れないから受験してみたら、って言われたからって、受験するって決めたのは自分だからなあ」

 そんな僕の一人言を聞いてくれているのは、発電機と、ホットプレート。


 無言の相棒たちと一緒に焼きそばを作りながら、どうして僕はこの進学校を受験したのかを思い出していた。


 高校卒業後に行きたいところは、調理師や栄養士の免許状を取得できる専門学校。

 だから、わざわざ進学校から進学しなくてもよいのだけれど、この高校が自宅から一番近いのも、理由の一つだった。


「近いから、放課後にお料理とかお裁縫なんかの時間が取れるんじゃない?」というかなりひかれる提案をしてくれたのは両親、とくに母で。


 実際、そうなっている。


 つまり、なんだかんだで、僕の進学校での高校生活は楽しいのだ。あくまでも、僕の基準では。


「正直、受かるとは思ってなかったんだけどね」


 プロパンガスは危険だからと、文化祭実行委員会が指定した発電機と、ホットプレート。

 プロパンとか都市ガスみたいな火力はないけど、やっぱり、調理するのは楽しい。


 そして、ふわり、と漂うのは。

 ああ、ソースの香り。落ち着くなあ。


 たまにお客さんが来てくれて。

「あ、おいしい」と言ってくれたりもして。


 そうだよ。

 これで、十分。


 僕にとっては、これが後夜祭だ。

 麺のカーニバル。

 こんなふうに、納得をしかけていたら。


海野うみのさんだ!」

「かっこいい!」

 歓声が聞こえてきた。


 海野先輩かあ。


 二年生の、有名人さんだ。

 入試からずっと試験は1位で、インターハイに出られるくらいに運動神経がよくて、明るくて優しい人なんだって。

 そして、本当にきれいで、かっこいい。


 入学してから何回か、遠くから見たことがある。なんていうのかな、オーラ? 雰囲気がすごい。

 平均身長プラス1センチくらいの身長の僕よりも背が高いみたい。

 今は、何故か学ランを着ていた。演劇部の助っ人なのかな。似合ってる。素敵。

 そうだよ。ああいう人を遠くからでも見られるのは、進学校の屋台番の役得なのかも知れないじゃないか。よかったね、僕。


 うちの高校はブレザーが基本。女子のパンツ制服も最近はメジャーだけど、男子もスカートを選べるのはかなりすごいと思う。

 確か、学ランも、申請したらOKなんだよね。隣のクラスの転校生がそうだった。


 ん? あれ、なんでかな。


 先輩が、僕の近くにいるみたいに見える。


「焼きそば。大盛り、ありますか?」

 いけない、お客様だ。きれいな声。


 ……あれ、海野先輩が、お客様で、焼きそば? 僕、まさか、熱中症? 

 水分は摂取してるし、塩飴も、お菓子のラムネもたまにもぐもぐ食べてるのに。ブドウ糖、だいじ。


「あ、ございます!」

 熱中症の幻聴でもいいや、と思って声を上げた。


「じゃあ、大盛りを!」

 あれ、幻聴じゃない……みたい。

 僕の屋台に? これ、現実?


「まいどありがとうございます! 紅ショウガ、青のり、かつお節はいかがいたしますか? 目玉焼きは焼き方のご希望を承ります!」 

「全部のせで、目玉焼きは固めで! マイ箸あります!」


 よく分からない、分からないけど、海野先輩が僕の屋台に来て下さった。

 マイお箸、スカイブルーの箸箱にまで清潔感がある。すごい。

 あれ、青のりは……先輩なら、大丈夫かな。前歯に青のりでも、普通にかっこいいかも。


 ……いけない。違うよ、僕。

 お客様はみな、大切なお客様だよ! 


 とにかく、そう、目玉焼きをきちんと焼こう。焼きそばと、具材と、目玉焼きに集中するんだ!


「おい、しい……! すごいね、すごいよ!え、なんでこの屋台、行列じゃないの?」

 学園祭の商品チケットに大盛り分の追加代金を払ってくれた先輩。


「僕がやりたくてやっている屋台なので追加代金はいりません」チケットだけで、と思って僕が思わずこう言ってしまったら。


「こんなにおいしい焼きそばに対する冒涜ぼうとく!」と、先輩からの優しい言葉が。


 僕は一瞬、先輩から頂いた商品チケットと小銭は他の売り上げから分けてしまおうかな、と、ずるいことを考えてしまった。


 もちろん、ちゃんとお金で相殺するよ?

 先輩がこんなに近くに。これはきっと、最初で最後だから。


「やりたくて、ってことはいつでも店じまい可、ってことね。材料はまだあるの?」

「はい、でも、昨日と今日の午前中までに売り上げは出ているので、いつ屋台を閉めても大丈夫なんです」


「もったいない!」

「食材がですか。……確かに」


「食材もだけど、何といっても店主さんの腕がよ! 名前は? あ、私は海野ね。二年生」

「存じております。一年五組、山島です」

「そうなの、ありがとうね。やましま君、でいいのかな」

 あ、山鳥やまどりじゃないんだ、って言われない。嬉しいなあ。


「はい、海野先輩」

「あさひ先輩、って呼んで。山島君。はい、じゃあ私が呼び込みするから、とにかく焼いて、作って!」


「呼び込み、って、海野先輩、お忙しいのでは?」

「学ラン着て、昨日と午前中、ずっとクラスの『詰襟つめえり喫茶』で接客してたから、さすがにもう抜ける、って出てきたの! だから、やりたいことをするのよ。あと、あ・さ・ひ先輩ね! 手は止めない!」

「は、はいい……あ……さひ先輩……」


「まあ、それならよろしい。はあい、そこ行く皆さん、食べないと後悔するレベルにおいしい焼きそば、いかがですかあ!」

 それからは、正直あまりよく覚えていない。


「え、海野先輩が売り子さん? 詰襟喫茶、先輩いなくて残念だったの! ラッキー!」

「やべえ、並ばなきゃ!」

 とにかく、焼きそばを、焼いて、焼いて、焼いて。


 最後の方は卵が品切れで、少し値引いて、また焼いて、焼いて、焼いて。


 本当に最後の何人かは、具なしだった。さすがにこれは半額でお渡しした。

「七割引き? 大丈夫、半額でいこう!」

 先輩の大丈夫、が嬉しかった。


 そして、きりのいいところでうまく屋台を切り上げて、最後に具なし焼きそばを先輩と食べて。


 僕の人生の最後、走馬灯になるに違いない思い出深い文化祭は、終了した。


 そう、終了……のはずだった。

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