第22話 つながっていく過去
――1週間後――
R926の生成に成功して以降、僕は自分の研究室で実験を行うことはなくなっていた。しかしこの一週間、僕は新薬の開発に明け暮れていたころのように実験器具たちとにらめっこをし、実験に明け暮れていた。
その目的はただ一つ。さやかのお母様と話をする中で僕の脳裏に浮かんだ、最悪の仮説を真偽を確認するためだ。
「…頼む、僕の勘違いであってくれ…」
僕の脳裏に浮かんだ仮説が正しいかどうか、その結果がもうすぐ現れる。もしも僕の思い違いであったならそれでよし。
…けれど、もしも僕が想像した最悪の可能性が正しかったなら…
「…さやかが音を失ってしまったのは、”あいつたち”のせいだったということに…」
誰かを恨んだり憎んだりすることなんて、決してしたくはない。…でも、もしも僕が想像した最悪なことがこの現実に起こっていたのなら、僕はそれをしなくてはいけなくなる…。どうかそうではなくてくれ。実験結果を待つ僕の心の中には、その思いしかなかった。
――――
職場を同じくする遠山はもちろん、僕がこの一週間実験に明け暮れているということは知っている。そしてはやとにもまた、僕は実験の事を告げていた。
ゆえに二人とも、僕がある目的のために実験を行っていることはすでに知っていて、その実験からどんな結果が得られようとも、必ず結果を二人に知らせるという約束をしていた。
…僕は得られた結果を二人に知らせるべく、作戦会議を行ういつもの場所を目指して足を進めるのだった…。
――――
「おぉ、来たか」
「実験ごくろうさまです、先輩!」
「…あ、あぁ…」
僕の到着をねぎらってくれる二人に対して、僕はあまり元気な返しができなかった…。
そんな僕の反応を見た二人は、早速何かに感づいた様子…。
「…その顔から見るに、あまりうれしくない結果だったみたいだな」
「先輩は分かりやすいですからねぇ…」
いつもの居酒屋、二人の座るテーブル席に腰かけた僕。…最初に二人に対してなんと言葉を発するか迷った僕は、会話の前菜など一切なしの、シリアスな雰囲気で言葉を発した。
「…今回の話は、これまでとは重さが違う。知ってしまったら、二人も何も知らなかった時には戻れなくなる。それでもいいかい…?」
僕の言葉は、決して誇張しているわけではない。今回得られた実験結果から推測される事実は、本当にこの国、ひいてはこの世界を巻き込むことになる可能性さえあるのだから…。
しかし、そんな重苦しい空気を取っ払うかのように、いつもと変わらぬ様子で二人は僕に言葉を返した。
「ここまで巻き込まれておいて、途中で放り出される方がありえないって話だ」
「ですです。僕も最後までお供しますよ!」
「…よし、わかった。それじゃあ聞いてくれ」
二人の思いを確認した僕は、深い深呼吸をした後、覚悟を決めて話を始めたのだった。
「一週間前、僕は久しぶりにさかやのお母様に会いに行ったんだ。家の近くまで行く仕事があったから、そのついでに挨拶をと思ってね。で、僕はその時お母様のある過去の事を知ったたんだ」
「ある過去、とは?」
「実はお母様、今から30年ほど前に慢性的な頭痛に悩まされてたらしいんだ。いろんな病院を回っていろんな先生に診てもらったけど、それでもよくならなかったらしいい。でもそんな時、あるきっかけからひとつの病院を訪れて、そこで処方された薬を服用したら、頭痛がきれいさっぱり治ったというんだ。それ以来、お母様は全く頭痛に悩まされていないと言ってた」
「いい話じゃないか。…その話のどこが重たいんだ?」
やや不思議そうな表情を浮かべるはやとに対し、僕はそのまま説明をつづける。
「おかしいんだよ。頭痛の原因は様々だけれど、一般的に飲み薬を少しの期間飲んだだけで根治するような性質は持っていない。飲んだ時だけ痛みが消えるけれど、薬の効き目が切れたら痛みが戻ってくるのが普通だ。慢性頭痛ならなおの事」
「な、なるほど…。言われてみれば、先輩の言う通りかも…」
「しかも、その時に出された薬というのがフィーレントっていう薬なんだけど、調べた限りこの薬は過去に日本で承認されたものではない薬だった。…しかもそのフィーレント、作ったのはリースリル製薬だったよ」
「こ、ここでも出てくるのかよ…」
はやとは腕を組みながら、うーんとうなり声をあげる。
「要するにフィーレントという薬は、かつてリースリル製薬が開発したものの、どういうわけか国に承認申請を行うことはなく、保険が下りない状態で自費で使用された薬ということになる」
「自費診療か…。別に悪い事じゃないんだが、日本じゃあまり聞かない話だな…」
「ああ。承認資料がないから、この薬の情報を集めるのには苦労したよ…。でも、いくつかの情報を得ることはできた。…とはいっても、わかったのは構造的な性質や化学的な性質だけで、薬理的な性質を記した資料を見つけることはできなかった」
「…つまりお前がこの一週間実験してたのは、その薬の正体を解き明かすための実験だったということか?」
「その通り。そしてこの一週間で分かったこの薬の新しい情報が……これだ」
僕はそう言うと、実験結果をわかりやすくまとめた資料を机の上に取り出した。
「細かい性質はどうでもいい。問題なのは……この薬の消失半減期だ」
「消失半減期?なんだそりゃ?」
はやとが発したその疑問に答えたのは、隣に座っていた遠山だった。
「ええっと、あらゆる薬にはそれぞれ固有の消失半減期というものがあります!体の中に入った薬が、どれだけの時間をかけて体の外に出ていくかを示すパラメーターです!」
「一般的に言って、作用時間の短い薬は消失半減期が数時間程度、作用時間の長い薬なら消失半減期は数十時間、あるいは数日といったところかな」
「なるほど。で、そのフィーレントの半減期は?わかったんだろ?」
はやとからの疑問に、今度は僕がこたえる。
「それが、”測定不能”だった」
「「っ?!!?」」
測定不能。その言葉に、二人とも驚きを隠せない様子…。
「どう計測してもこの結果になった。服用後どれだけ時間を経ても、体の中に入ったこの薬は体外に排出されない」
「じゃ、じゃあなにか??言ってみればその薬は、一度体の中に入ったなら、二度と外に出てくることのない薬ということになるのか…!?」
「そ、そんな恐ろしいことが………ほんとうに現実に………??」
…二人の言った通り、決して考えたくない可能性だった。しかし僕の行った実験の結果が示すしたのは…
「…おそらく、お母様が30年前にこの薬を服用した時から今に至るまで、お母様の体の中でこの薬は作用し続けているのだと考えられる…。だから慢性的な頭痛が途端に現れなくなり、しかもその状態がこれまで続いているんだと思う…」
「…一度服用したら、生涯薬効を発揮し続ける薬ってわけか…」
「で、でもそれ自体はいいことなんじゃ…?け、結果的に頭痛症状は治ったわけで…」
遠山がそこまで言ったとき、隣に座るはやとがその言葉に続けて口を開いた。
「その薬を飲んだのが30年前で、さやかちゃんが生まれたのが20年くらい前か。で、飲んだ薬は消失半減期が測定不能なほど体の中にとどまり続ける。…つまり、母親がさやかちゃんを妊娠した時には体の中に飲んだ薬が残ってたことになるな」
「…!?」
…はやとの言葉を聞いた遠山は、その表情をはっと驚きで染め…
「ま、まさか、さやかさんの耳が聞こえなくなった理由って…!?」
遠山は大きな声でそう言った。しかしそれに対して、僕は冷静に言葉を返す。
「僕も同じことを考えた。でも調べたとことフィーレントは、耳から聴力を奪うような薬効は示さないことが分かった」
「そ、そっか……じゃ、じゃあ関係はないのかな…」
今度はどこかほっとしたような表情を浮かべる遠山。しかしはやとの方は表情を変えない。
「話はまだ終わらないんだろ?」
「あぁ、ここからが本題なんだよ。僕が行った実験はもう一つある」
僕ははやとに対し、ひとつの確認を行った。
「はやと、アルケスト反応の事は知っているかい?」
「あぁ、それならこの間この後輩君から教えてもらったぜ。もちろん、その輝かしい発表の裏では、見るに堪えない様々な嫌がらせなんかがあったこともな」
「…なぜリースリル製薬が、アルケスト反応を発見した来栖先生に嫌がらせを行っていたのか。その理由がわかったんだ」
…静かに僕の言葉を待つ二人に対し、僕は努めて冷静に言葉を発した。
「…実験で確認したところ、フィーレントは人の体の中に入った後、ごく一部が分解反応を起こし、体の中で別の物質となることが判明した。…アルケスト反応に従ってね…」
「…フィーレントは体の中でアルケスト反応を起こし、ごく一部が別の物質になる…。なるほど、な」
「な、なんだかこんがらがってきました…」
はやとは僕の話をすでに察している様子だけれど、遠山はまだ察していない様子。そんな遠山に向け、はやとは簡単に説明を行う。
「つまりまとめると…。フィーレントなる薬は、一度服用したら体の奥深くに入りこみ、二度と体の外には出てこない。さらに、体内に入ったフィーレントはアルケスト反応に従い、ごく一部が分解されてまったく別の物質となる、と?」
「あぁ、その通り。そして……」
それは、決して事実であってなど欲しくはなかった事実…。
「そして、生み出された新しい物質は…………胎児の耳の細胞に対して、非常に強力な毒性を持つことが分かった…」
「……そういうことか…」
…それこそが、僕の脳裏に浮かんだ最悪の可能性だった。絶対にそうであってほしくはないと願い実験を行ったけれど、得られた結果が示したのはむしろ、僕が予感した最悪の可能性は正しかったという証拠であった…。
「…要するに、フィーレントを開発したリースリルの連中にとって、子どもの耳が聞こえなくなるなんて副作用など絶対に認めるわけにはいかないものだった。が、来栖博士の発見したアルケスト反応により、それが現実に起こりうるものだと証明されてしまった。だからリースリルは来栖先生に執拗に嫌がらせを行って、アルケスト反応を世に出させないようにけしかけた、と」
「…それが、この一週間の実験で得られた結果だ…。僕だっていまだに信じられない…。リースリルほどの製薬会社が、まさかこんな……」
…それ以降、僕たち3人は誰も言葉を発することができなくなってしまう。
自分たちが直面する事実があまりに大きすぎ、それでいて現実離れしすぎているためだろう…。まさかこれほど大きな陰謀にぶち当たることになるなんて、ここにいる 誰も想像だにしていなかったのだから…。
「…さやかちゃんから音を奪い去った犯人は、ほかでもないリースリル製薬だったってわけか……。まったくもって、最悪な現実だな…」
「せ、先輩………」
二人はどこか恐る恐るといった様子で、僕の事を見てくる。それはまるで、僕が怒りの感情を爆発させて暴れ始めてしまうのではないかと恐怖さえ感じているかのようだった。
…しかし二人の不安とは裏腹に、かえて僕はどこか冷静な気持ちでいた。
「…つかさ、お前どうするつもりなんだこれから」
はやとからかけられた質問に、僕は極めて爽快に答えた。
「決まってる。必ずすべての真実を明らかにして、こんなとんでもないことをしでかした奴らにはしかるべき報いを受けてもらう。…たとえそれが僕とさやかの夢の実現を遠ざけることになってしまっても、やらなきゃいけないんだ」
そう、僕はこの一週間ですでに心の中に覚悟を決めていた。隠され続けてきた事実にここまで迫ってしまった以上、もはや見逃すことなんてできない。僕が怒りに飲まれることなく冷静でいられたのは、この思いがあったからこそだと思う。
そしてそんな僕の思いを、二人ははやくも察してくれた様子。その証拠に遠山は、有無を言わさず自分がかき集めてきた情報の披露を始めたのだった。
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