4-3: 絶対にあの娘に見られてはいけない場面
「どう、したの? ふたりとも……」
「あ、えーっと。その……」
言葉が全然出てこない。頭は回転しているのかもしれないけれど、それは結局空回り。前にも後ろにも進めやしない、回し車に捕まってしまったみたいだった。
自分の置かれている状況をがんばって整理してみる。
アタシが振り返って歩いて行こうとしたところには、実は階段は無かった。しゃべっている最中に自分が思っていないくらいには何気なくふらふらと動いていたらしく、たしかにさっき登ってきた階段はアタシから見て二歩ほど左にあった。
だけれどアタシは自分の真後ろに階段があると思い込んで、振り返ってそのまま歩き出そうとした。もちろんそこには結構な高低差があるステージの上下をつなぐ階段がないので、本当にそのまま歩いていれば真っ逆さま。頭を打つまではいかないかもしれないけれど、恐らく足の付き方は普通じゃ居られないはずだ。最低でも骨折とか、それくらいの大けがになる危険性はあった。
そんな状況になったアタシを、フウマが助けてくれたようだった。真後ろから袖口を掴まれたと思った瞬間、かなりの勢いで身体が引かれ、そのまま全身を拘束されたみたいになった。
フウマのほんの少しだけ荒くなった息づかいを後頭部と耳元に感じるのは、後ろから抱きしめられているみたいな体勢になっているから。そんな甘い状況じゃ無いのだけれど、実際問題『そっちには行くな』と引き留められているような感じだった。
「あのねナミ、聞いて。違うの。アタシが今ね、そこから落ちそうになってね……!」
「……ん」
そして、そんなアタシたちの状況を、絶妙すぎるタイミングでナミが見てしまった。手には小さな袋がある。教室から何かを持ってきてくれたらしい。アタシが持ってきそびれたモノだったりするのだろうか。――でも、今はそんなことどうでもよかった。
この状態を、いちばん見て欲しくないひとに、見られてしまった事実。それこそが最大の問題だった。
「だから、その、フウマが……」
一応はナミも理解してくれているはずだ。さっきの『危ない!』と言ったフウマの声だって、いくら体育館の壁が厚くてもナミのところまで聞こえているはずで――。
「わ。羽田くん大胆~!」
そんなことも何となく考えられるようなアタシにの後ろから、冷やかす様な声が聞こえてきた。
お願い、止めて。お願いだから、後生だから。
今は――今だけはそういうノリは、本当に止めて。
冗談が通じない状況って、本当にあるのよ。
「フウマ……?」
だけど、そういう声にフウマは全く反応しない。それどころか――。
「ごめん、フウマ。支えてくれたのはありがとうなんだけど、離してくれると、嬉しい……かな」
――フウマの腕に少しだけ力がこもったような気がした。
どうして。
――フウマ、どうして。
どうしてあなたはそこで否定しないの。
否定してあげないとダメでしょ。
「良いんだ。……うん。私、ちょっと届け物しに来ただけだから」
「ま、待って……」
――『良いんだ』、って何が。その表情のどこが『良い』の。全然大丈夫じゃない。大丈夫なはずがないじゃない……!
ステージ下に届け物を置いて、そのまま用具庫から出て行くナミ。アタシはそんな彼女を追いかけようにも追いかけられない。その理由はフウマに抱きしめられているからだけではなかった。
○
「星凪、アンタほんとに大丈夫? 病み上がりなんだろうけどさぁ」
「ん……。うん、たぶん、だいじょうぶ」
部活終わり。さようならの挨拶を済ますと同時に、ユミがアタシに話しかけてくれる。
あの日のあの後――体育館のステージから降りた後の記憶がほとんどない。気が付いたら家にいたと言っても良いくらいだった。帰宅してからは両親がものすごく声をかけてきたことくらいは、何とか覚えている。
それに加えて帰宅直後から熱を出したアタシは、そのまま学校を三日ほど休む羽目になった。熱を出して休むなんていつ以来だろう。小学校の低学年ぐらいに一回くらいあったとは思うけれど、それっきりのはずだ。わりと健康優良児――『バカは風邪ひかない』などと揶揄されることもしばしば――でやってきたはずだったのに、まさかの展開だった。
「そんな答え方されて、『ああそうですか』って言えるほど私も薄情じゃないんだわ」
「うん、……ありがとね」
「……しかも、なんかちょっとマズそうな感じだしね、星凪のクラスって」
「そうなのよぉー……、アタシが休んでる間に何があったのよ、って感じでさぁ……。一応ナミからふんわりとした話は聞いてるんだけど……」
体調を崩したアタシに余計なことを考えさせないように、とかいう配慮なのかもしれないけれど。もう少し心の準備みたいなのをさせてほしかったのも事実。ナミの口ぶりより、三倍くらいは深刻そうな雰囲気だった。
学校に復帰して早々のアタシを出迎えたのは、教室内の険悪ムードだった。きっかけは学祭準備に付きものと言えそうな本当に小さな言い合いだったらしいけれど、積もりに積もっていたモノがあったのかそれがちょっとだけ盛大にはじけてしまったようだ。正直言って、教室のあの空気を放置して部活に出なくちゃいけないこの状態で、まともな思考なんてできるはずもない。ラリーで相手を崩すような戦法とかそんなモノを考えられる余裕なんて、アタシの脳細胞に残っているわけがなかった。
しかもそれに加えてもうひとつ、問題があった。もちろんそれはナミとフウマのことだった。
この前までのイイ感じはどこへやら、付き合い始めた直後よりもふたりの間には緊張感のようなものがあるように見えた。原因の一端はもちろんアタシで、あの日のアレ以来あの雰囲気なんだろうけれど。――もちろんこれはユミにはヒミツだった。
そんな感じでユミには一部分を伏せた情報をちょっとだけ渡すと、彼女はほんの少し悩んで。
「ま、なるようになるでしょ」
こざっぱりとした感じで言い放されて、思わずコケそうになった。
「ユミってさぁ、話をすっごい良いところっていうか、深めなところまで話聞いといて、いきなりどっかにぶん投げるよね」
「ぶん投げてるわけじゃないのよ。……いやまぁ、私だって良いアイディアあったら教えたいけどさぁ。さすがにこれはテキトーなこと言えないわよ」
「たしかにそうなんだけど」
これもきっとユミなりの誠意の見せ方なのだろう。中途半端なことはしないタチだということは、この数ヶ月でよくわかってきたことだった。話を聞いてくれるだけありがたいのは確かだ。それに、これ以上ユミに文句を言うのも違う気しかしない。アタシは止まっていた片付けの手をもう一度動かし始めた。
でも。
だからと言って、アタシの気持ちが無条件で、久方の夏の太陽光のようには晴れてくれることなんてないのだった。
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