3-5: 勘違いとお返し


 アストの宣言通りに帰りの電車へと乗り込んだアタシたちは、比較的空いた車内に並んで座る。


「そろそろ学校祭だよね」


「……うん」


 一駅分くらい電車が走った頃合い。アタシに合わせようとしているのか、それとも会話が無くなってしまったことを気にしたのか、アストががんばってくれる。そんなにムリなんかしなくていいのに。だって、学校祭があるのは再来月の中旬。まだまだ遠い話のはず。少なくともそろそろではないと思う。何だったら、静かなのも悪くないな、なんて思い始めているのに。


「セナってさ、『こうせいおか伝説』って聞いたことある?」


「なにそれ?」


 ちょっと気になるフレーズに反応する。さすがに伝説と言われても適当な事を返すわけに行かない。


「ウチの学校って、裏手に山があるでしょ?」


「うん」


「学校祭の最終日ってのようで花火大会があるじゃない? あの花火が、実はその山から見えるんだって」


「そう、なんだ」


 芙蓉というのは星宮と久方のちょうど真ん中辺りにある、ちょっと大きめの市街地。だいたいは住宅地が広がっているけれどその傍を大きめの川が流れていて、毎年ウチの学校の学校祭――学校名を採って『煌星祭』という――の最終日と同じ七月第三週の日曜日に花火大会が開催される。


「わりと遠いかなって思うけど、見えるんだ?」


「間に遮るような高台が無いから見えるらしい」


「へえ……」


 でもそれが何か伝説になることなのだろうか。


「で。そこでいっしょに花火を見ると幸せになれるとか、っていうウワサ」


「ベタだねー。それでいてしかもウワサなんだ」


 ちょっと笑える。


「ね。でも、案外悪くない話だなって思わない?」


「まぁ、ね」


 それでもロマンティックではある、と思う。というか、その手の話はむしろ好きな部類だ。だって、定番だから。結局のところ行き着くのは、そういう定番な話だったりすると思うのだ。


「……アストは、誰かと行くの?」


 思わず訊いてしまう。悪い訊き方なのは充分解っているつもりなのに。アタシがそう訊かれたら絶対に困ってしまうのに。取り繕うこともできないで、ぽろぽろと手からこぼれていくように言葉が出て行ってしまった気がした。


「さぁねえ……。『そういう話があるんだぁ』くらいの感じで言ったから、全然考えてもいなかったな」


「……そっか」


 今度こそ、会話が途切れる。聞こえるのは電車が走る音くらい。小刻みな揺れの無機質さに少しだけ眠くなりながら、電車は久方駅に到着した。


「ねえ、アスト」


「うん?」


 電車を降りて改札を抜けていつもの交差点でお別れ――とはならなかった。アストは何も言わずにアタシの家がある方向へと曲がり、そのままアタシの家まで来てくれた。まだそこまで遅い時間じゃないけれど何も言わずに送ってくれた、ということらしい。そのことに気が付いて、ようやくアタシから口を開いた。空は夕焼け色から徐々に夜の色に染め変えられる頃、まだアストが好きな星たちの姿はあまりよく見えない時間帯だった。


「……今日は、ゴメンね。アタシに無理矢理付き合わせちゃってさ。しかも送ってもらっちゃって」


「そりゃあね。それくらいはするモンじゃないかな、って」


「アスト……」


 もう限界だった。最後まで言わずに済ますこともできたかもしれないけれど、今日一日の間にいろいろとアストに対して吐いてきたウソに、アタシ自身がもう耐えられそうになかった。


「アスト? あのね……、アタシね、実はアストに謝らないといけないことがあるの」


「ん?」


「あのふたりをふたりきりにさせるって言ってたけど、あれね、半分くらいウソなの」


 ゆっくりとアストを見上げると、彼はほんの少しだけ驚いたような顔をして、またすぐにいつも通りに戻った。


「ナミがフウマと回りたいって言ったのはホントなの。でも、ナミとフウマには『アタシがアストと回りたいところがあるから、それぞれで別れて歩こうって言った』ってことになってるの」


 アストの想いなんかほとんど無視してしまったようなことになってしまって、それをずっと黙っているなんて無理だった。違う意味でも胸が張り裂けそうになってしまう。自分が楽になるための謝罪なんだということも解っているけれど、それでも言わないとダメになりそうだった。


「しかも、アタシの面倒まで見させてさ……。だから本当に、……ごめんなさい」


「……セナ」


 深く、深く頭を下げる。今までの人生でここまで頭を下げたことなんて、たぶんお母さんに怒られたときくらいだろうか。あの時はすぐに許してもらえたし二度と同じ様なことはしていないけれど、今回はそれとは比べものにならない。


 だってアタシは、アストの感情を踏みにじったようなモノだから。


「セナ、顔上げて。そんなことする必要無いよ」


「でも」


「イイから。二中の神田先生風に言えば『デモもストもないから』ってやつだよ」


「……ふふっ」


 懐かしい。アタシたちが卒業した中学校、久方第二中学校でクラス担任だった神田先生はダジャレ好きで、よくそういうくだらないことを言っていたしたしかにそのフレーズにも聞き覚えがあった。思わず笑ってしまう。


「良かった、笑ってくれた。セナ、そのまま顔上げて」


 どうやら怒ってないらしい。見上げたアストは本当にいつも通りの微笑みでこちらを見ていた。ちょっとだけ安心はする。だけど、それでも――。


「聞いてね」


「……ん」


「セナは、ひとつすっごい大きな勘違いをしてると思うんだ」


「え?」


 アストはなおも謝ろうとしていたアタシをやんわりと遮る。


「……違うんだ」


 微笑みが色濃くなる。だけど、目尻あたりが少しだけ切なそうに歪んで見えた。


「違うって、なにが?」


「もしかして、さ。……セナって、ボクがナミのことを好きだったんじゃないかって思ってない?」


 雷が落ちてきたような感覚。思わず逸らしかけた視線が、またアストへと戻る。


「え? 違うの?」


「違うよ」


 ハッキリと、わずかな空白も無いままに告げられる。そこにはほこりひとつほどのウソも存在していない、純粋な真実だけがあった。


「アタシ、てっきりそうなんだと思って」


「いつから? ……ナミとフウマの話が出てから?」


「う、うん」


 アタシが戸惑いながら頷くと、「やっぱりか」なんて小さく呟きながらアストはすべて納得したように頷いた。


「まぁ、そうなのかな、って思ってたけど」


「だ、だって……!」


 抗議するみたいにアストの方を見ると、いつの間にか彼の小振りな顔はアタシのすぐ傍にあった。


「え……?」


 目の前にある彼の顔に戸惑っていると、そのままアストの顔がさらに近付いてきて――。


 想像以上に柔らかい感触を、自分の頬に感じた。


 思わず言おうとしていたことを呼吸ごと飲み込んでしまう。


 ――アストが、アタシの頬にキスをした。


 言葉にすればそれくらいにシンプルなことを理解したときには、彼は先ほどまでの距離感に戻っていた。


「……これは、この前の『お返し』ってことで」


 そう言って、笑う。アタシは何も言えなくなっていた。


 あの日――アストから、ナミとフウマが付き合い始めたと言う話を聞かされたあの日のスクールバスから下車するとき。それとは全く違う状況。今ここには、明らかなアストの意思があった。


「ボクが好きなのは、セナだから」


 アストは、真っ直ぐにアタシの目を見つめて言った。


「ナミのことも好きと言えば『好き』なんだろうけど、ナミへの気持ちは友達としてだから。ひとりの女の子として好きなのは、昔からセナだけだから」


 どこまでも真っ直ぐに言われる。今までの人生で言われたことのない言葉を、あまりにもストレートにぶつけられてしまって、何て言ったらいいか全く解らなくなった。


「それじゃあ、またね」


「えっ。あ……」


 声の出し方を忘れてしまったように、アストを呼び止めることができない。柔らかな笑顔をアタシの目に、もしかするとアタシのよりも柔らかいかもしれない唇の感触をアタシの頬に残したまま、アストは背中を向けて自分の家へと向かっていった。

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