ハトの墓

朝吹

ハトの墓

 

 日光がグラスの影に小さな虹を添えている。レモンを絞った湯に砂糖を溶かした白湯を睦子が半分飲むと、

「残りはこぼさんように、こっちに置いておくわね」

 睦子の母は、鎌倉彫の丸盆ごとレモン白湯を布団から離れたところにずらした。

 口の中には、酸っぱさと甘さが隠れている。

っちゃんの具合はどうですか」

「陸子は身体が弱いから。心配してくれてありがとう」 

 階下のやりとりを睦子はぼんやりと聴いていた。

 ややあって玄関から戻ってきた睦子の母は、古い家特有の急な階段を上がってくると、

久美くみちゃんから頂きましたよ」

 紙袋に入った見舞いの桃を睦子に見せて、陸子の額に手をおいた。

「熱が下がらんね」

 首をふりふり、母は階段を降りていった。

 母が障子を閉めて行ってしまうのを待って、睦子は起き上がり、硝子ガラス窓を開いて外を見た。

 生垣の向こうに、久美の姿がある。

「久美ちゃん」

 歩き過ぎようとしている久美に向かって睦子は呼び掛けたが、赤いランドセルは角を曲がってしまった。

 夏布団の上に手足を投げ出し、睦子は流水のような天井の木目を見上げながら溜息をついた。

 久美ちゃんはお墓をちゃんと作ってくれただろうか。


 

 それに気づいたのは、久美の兄の秋生あきおだった。

「秋生兄さん」

「秋生くん、何しとるの」

 二人が声をかけて近寄ると、こちらに背を向けてしゃがんでいた秋生は「誰がこんなことをやるんか」と学生服姿で立ち上がり、それを睦子たちに見せた。

 睦子たちは厭な顔をして身を引いた。秋生が両手に抱えた灰色の塊は鳩の死骸だった。首がない。

「可哀そう」

「頭を斬られた鳩ばかりが最近見つかる」

 やがて睦子は「弔ってあげたい」と小さく云った。秋生と久美は顔を見合わせた。困ったような顔をしている。

 やがて秋生が沈黙を破り、「埋めてくる。いつもの裏山がええやろ」と先に立って歩き始めた。

 ついて行こうとする睦子を久美が遮った。

「うちが兄さんと行くから、陸っちゃんはええよ。鳩を埋めるなんて、朝礼で倒れた時みたいにまた貧血をおこすよ」

 その夜から、睦子は熱を出した。



 裏山の近くには線路が走る。山百合が線香を想わせる濃さで匂っている。

「これでええが」

 額の汗を久美は腕でぬぐった。持参してきた水筒の水をぶちまける。

 久美の視線の先には六つの土饅頭があった。


 

 睦っちゃん。

 外から呼ばれた。睦子は窓のそばに行った。気温が高く、朝から窓は半分開けてあった。

 秋生が通りから手を振っている。

「陸っちゃん。具合はどう」

「もう良くなった」

 寝巻姿の睦子は首から上だけを外に出して秋生に応えた。秋生はおいでおいでをしている。

 母は買い物に行って留守だ。家には睦子しかいない。まだ安静にしていなさいと母は云うが、家に居るのは退屈だ。

 四つ年上の秋生は運動神経抜群で、鉄棒もマット運動も誰よりも巧い。

 憧れの秋生が呼んでいる。睦子は大急ぎで着替えた。


 町は騒然となっていた。サイレンを鳴らして救急車とパトカーが駈けつけ、応援の警官が野次馬の整理にあたる。

「電車に小学生が轢かれたって」

「まさか、うちの子では」

 早足になって田舎道を線路に向かう保護者たちとは逆に、秋生は裏山に向かって走っていた。

 途中で陸子の母親とすれ違った。睦子の母親は秋生には構わず、事故現場の人垣の中に割り込んで、「睦子、睦子」と名を呼んだ。



 男の子みたい。

 幼馴染の睦子と一緒にいると、いつもそう云われた。髪もショートで、久美ちゃんは秋生くんの弟にしか見えんね。睦子ちゃんは色白でお人形さんみたいに可愛いのに。

 鏡を見るたびに、久美はそこに睦子の姿を重ねた。

 


 二十年が過ぎた。

 町は開発がすすみ、地価が上昇して田畑は次々と住宅地に変わった。夫婦となった秋生と睦子は家を買い、同じ町に今も暮らしている。

 長男と次男がサッカーボールを手に家を出ようとするのを呼び止め、陸子はグラスを差し出した。

 蜂蜜で甘くしたレモン白湯を飲み干すと、子どもたちは「行ってきます」と元気に公園に遊びに行った。

 背後から誰かが見ている。

 蒸し暑い。睦子は窓を網戸にした。電車の通過に合わせて、踏切の遮断機が降りる音が聴こえる。

 あの日、秋生は陸子を裏山に連れて行った。そこには六つの土饅頭があった。秋生は手を合わせて告げた。

「首のない、鳩の墓」

「六つも」

「久美に白状させた。六羽の鳩の首を斬ったら願いが叶い、憎い者が死ぬ。雑誌で読んだ呪術やと。まったく誰を呪うたんか。きつう叱っておいたわ」

 その時、鋼鉄を磨り潰すような急ブレーキの異音が響いた。様子を見に山を駈け下りた秋生は、蒼褪めた顔で戻ってきた。

「……あれは事故よね」

 目撃者の話では、久美は羽虫か何かに追われるようにして腕を振り回しながら電車の前に飛び込んだそうだ。

 憎い。憎い。

 鏡に映る顔は、誰のかお。

「砂糖を入れると、蟻がたかるからね」

 お供えの桃が熟している。霊前から桃を下げると、睦子は久美の遺影の前に無糖のレモン白湯のグラスをおいた。



 [了]

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