腐ったあとのことを考えて(短編集その18)

渡貫とゐち

腐ったあとのことを考えて


 ――死を直感した。

 喉が、きゅっと締まった感覚……。


 住み慣れて麻痺していたけど、クソ狭い部屋の中の布団の上でのことだった。

 動けなかった。金縛りではなく、動こうとしても体が拒否しているように……体の歯車が、噛み合っているけど不純物が混ざって上手く回らないみたいに――動かない。


 高熱でもあるかのようなしんどさだ。

 額に手をやれば、やっぱり熱いし、そもそも全身が火照っていた。喉がカラカラだった……だが、水さえ飲みにいけない。冷蔵庫どころか水道までいくのもだるくて……。


 冷房をつければいくらかマシに……あれ? リモコンは?

 暗い部屋のどこにあるのか分からない。狭い部屋なのに、探し物が見つからないのは整理されていない撒き散らされた荷物のせいだった。……クソ。


 扇風機、も、遠い。手が伸びなかった。

 時間が経つにつれて、気力も削られ、ああ、もう死ぬんだなと本気で考えた。



「独身で良かったな……」


 残される者がいない、というのは助かった。妻も子もいないし、いるのは俺の親だけだ。

 妹は既に結婚して家を出ているし、兄も妹よりも早く結婚して家にはいない。それぞれが家庭を持っている。俺だけだ、なにもないのは。

 なにもないということは守るものもなく、俺がこの世界からいなくなっても困る人はいない。


 悲しむ人はいるだろうけどな。……いるよな? いてほしいけど。

 せめて親は悲しんでほしいけどな。頼む、一瞬でもいいから悲しんでくれ!


 そんな淡い期待をしながら、ごろごろと布団の上で寝返りを打つ。左右には動けるけど立ち上がれなかった。気持ちがネガティブになり過ぎたせいか、呼吸も段々としづらくなってきた。というか、部屋の中が死ぬほど暑く、汗をびっしょりとかいていた。


 これは……拗らせた酷い風邪ではなく、熱中症なのではないか?

 扇風機も冷房もつけていなければこうなることは予想できたことだった。

 こんなに熱いのに、タオルケットを体にかけているなんてバカみたいだ。


「……やば。本格的に死ぬかもしれん……」


 ドアのチェーンは……かけたっけ? 寝転がりながら玄関を見たが、部屋は暗く、さらには視界もぼやけているので分からなかった。

 まあ、チェーンがかかっていたところでペンチかなにかで切断することはできるし、わざわざ立ち上がって外す必要もないか。それができるなら死ぬのはまだ遠いということになる。


 俺の死体を発見するのにひと手間かかるが、仕方ない手間だと思おう。

 その後はなにもやる気が起きず、布団に両手足を投げ出す。

 だらぁ、っと、力を抜く。気づけば脱力していただけだが。


 ……ああ、このまま死んで、しばらくは誰にも見つからずに時間が経つんだなあ――と考え出すと、できることはまだある、と思いつく。


「死体って、どうなるんだ?」


 発見までそう時間が経っていなければいいけれど、長いこと時間が経ってしまえば、死体は腐った後に白骨化している可能性もある。そうなって発見された時、大の字で寝ているだけだと、白骨化したポーズは、すごくダサいんじゃないか……?


 ボサボサの髪、剃り忘れた無精ひげなども気になる。服装はまあいいや。できることなら美容院で全てを整えてから死にたいが……しかし白骨化を前提とすれば意味がないのかもしれない。

 どちらにせよ、時間も金もやる気もないので容姿はこのままでいいだろう……いま死化粧をしても発見される頃には無意味になっているだろうしな。


 だからせめて、ポーズだけは納得いくものにしたい。

 カッコよくしたい。



「そうだな……こう、横向きで……拳を顎に、考える人みたいに……」


 しかし、寝づらい。これじゃあ死にづらいし。それはそれでいいのでは? と思うが、苦しみながら死ぬのは避けたいのだ。

 楽に死にたいのが第一希望。そんな甘い世界じゃないことは分かっているが、できるだけ理想には近づきたいのだ。


 次に考えたのは、仰向けで、両手を胸の前へ持っていく。喧嘩寸前のように、片手のぱーへ、ぐーを叩きつけたようなポーズを取る。ポーズというか構えか。ここまでするならいっそのことファイティングポーズを取ってしまえば……。


 腕がしんどいので却下した。

 寝転ぶ必要もないよな――いや、起き上がれないのだった、忘れていた……。と思えば、さっきよりは起き上がれるようになっていた。

 まだ立ち上がれないけど、あぐらをかくことはできる。そのまま瞑想のポーズを取って……でもこれじゃあ眠れない。


 死ねない。

 やっぱり寝転ぶことは大前提となるのか。


 ポーズについて、うんうんと悩んでいると数時間が経っていた。

 すると、忘れていたのを思い出したように、ぐう、と腹の虫が鳴いた。

 意識すると、今度は尿意も感じる。飲食はしばらくしていないはずなんだけど……。


「……はぁ、起きるか」


 起き上がれた。

 上がれてしまった。

 トイレで用を足し、布団に戻ってくる。


 いちど起き上がるとすっかりと体調が回復していて……やっぱり布団に寝転ぶ、という体勢が、気持ちをネガティブにさせていたのだろう。

 今や、寝転ぶことに強い嫌悪感がある。寝転ぶ方がしんどくなるように思えてしまい……。


「…………さて、昼過ぎの休日だ……なにをすっかな……」


 外は猛暑……を越えた酷暑だ。

 涼しい家の中にいた方が体調が悪化することもないのだが……部屋の中を見るとそうとも限らない。この部屋でだらだらしている方が悪化しそうだ。


 外に出た方がいい。

 気持ちの回復、という意味では、外に出るのがいちばん適しているだろう。


「あ、銭湯にいくか」


 そう言えば、最近はまったくいかなくなっていた。

 家に風呂があれば使うこともほとんどない。

 じゃあ、久しぶりにいってみようか、と思い、想定よりも軽い足に任せて家を出る。




 アパートの階下が騒がしいことに気づいて顔を出してみれば、警察の人がいて驚いた。

 事件か? 傍にいた近所の人に聞いてみると、


「随分と前に亡くなっていたみたいね。死体が白骨化していたらしいんですって」

「怖いわねえ」


 実際に見たわけではないらしく、近所の人たちはただの野次馬だ。

 直接、死体(白骨)を見てしまえば、こうも平然とはしていられないだろう。


「どんなポーズだったか知ってます?」

「へ?」

「白骨死体のポーズです。どんな体勢だったのか、と。ちょっと参考にしたくて」


 訝しむご近所さんだった。

 そりゃそうだ。今後の参考って……なにに使うのか、俺でも分からなかった。


 困った顔をしたけど、ご近所さんが警察に聞いて確認してくれた。

 死体を発見した大家さんによると、


「横向きで、こう、拳を顎に……ですって」

「考える人ですか」

「ああ、そんな感じね」


 参考になるの? と聞かれたけど、どうですかね? と濁しておいた。

 使い道なんて、最後の最後にしかないだろうから。


 騒ぎを背にし、俺は銭湯へ向かった。



 孤独死をした老人が、そのポーズをカッコイイと思って作ったわけではないだろうけど、結果的に、白骨化した死体は考える人のポーズを取っていた。

 白骨状態の考える人は、実際に見ていないので想像の中だが、やはりカッコイイ……。


 俺が考え過ぎて難航していたカッコイイポーズは、実は早々に出ていたのだった。

 考え過ぎてもよくないことを、今回のことで学ぶことができた。


 あまり考えなくてもいいのだろう。

 だって、死んだ後も、ずっと考える人でいることになるのだから。




 …了

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