第十四話 レビアタンという悪魔

 マグネシウムの粉末に火をつけると、もの凄い勢いで光を出して発火する。

 その発火と同じぐらい早く熱く猛々しい怒りが、僕の中に燃え広がった。


 なんでかは解らない。


 石川がレビアタンのおっぱいを見たのに嫉妬したのかもしれない。

 性的な事を言うけど、本当はレビアタンはそんな事をしない良い子だって、根拠無く信じていて、それが裏切られたから怒ったのかもしれない。

 理由は判然としないけど、怒り狂って僕は全速力で駆け出し、石川に向かって拳を突き出した。


 石川は片手で僕の拳を止めた。


「なんだよっ! てめえっ! 関係ねえだろっ!!」

「ふ、ふさけんな、いしかわっ!!」


 僕は激怒のあまり無茶苦茶に手足を振り回した。


「うぜえっ!!」


 石川の拳が僕の頬に入った。

 鼻の奥がきなくさくなって、ぬるりと血の味が広がった。


「ちくしょうっ! ちくしょうっ!」


 手足をふりまわすけど、石川には一発も当たらない。

 何発もパンチの衝撃が僕の顔や腹や肩に打ち当たる。


「や、やめて~、石川君、吉田君~」

「ふさけんなっ! てめえっ、なんの権利があって、俺とレビィちゃんの楽しみをじゃますんだよっ!」


 ゴンゴン殴られた。

 顔が真っ赤に熱い。

 怒りだけが僕を動かしていた。


「石川君やめてよっ!」


 レビアタンが懇願した。

 それが悔しくて、悲しくて、僕は石川の腹にパンチを撃ち込んだ。

 一発撃ち込むたびに、十発ほど返された。


「だいたい気にいらねえんだよ、お前はっ! 弱い癖につっぱりやがってっ!」


 痛くて気が遠くなる。

 体に力が入らない。


「死ねっ、てめえ、吉田っ!」


 ガンガン衝撃だけが体に伝わる。

 壁が顔に当たってる。

 とおもったら、ざらざらで地面だった。

 腹に石川の蹴りが入った。

 もの凄く痛い。


「やめてったら、やめてっ!」

「レビィちゃん、こいつを痛めつけるのやめてほしいか?」

「やめて、おねがいっ!」

「じゃあ、スカートをめくってパンツを下ろしな、そうしたらやめてやる」

「いしかわっ!」


 僕ははね起きた。

 てめえっふさけんなっ!!

 ガンッとアゴに衝撃がきて、また僕は地面に激突した。


「おぱんつ下ろしたらやめてやるよ、どうだよ」


 レビアタンは黙り込んだ。


「必要ないっ! そんなの駄目だレビィッ」

「うるせえっ!!」


 また、蹴られた。


「石川君乱暴をやめなさい……」

「へっ!」


 石川が鼻で笑った。


「……」

「……」


 攻撃が来なかった。

 石川が怪訝な顔で、半端な格好で止まっていた。

 なんだ?


「土下座して、吉田君にあやまって」

「ふ、ふざけんな……。え?」


 石川がかがみ込む姿勢を取った。


「な、なんだ?」


 なんだ?


「ま、魔法使ったのか?」

「ちがうよ」

「や、やめろ、なんだこれ? 体がっ!」


 石川が正座し、土下座のポーズを取った。


「石川君はもう、堕落したの」

「堕落?」

「魂はもう私の物……。悪魔と契約したのよ」

「け、契約ってなんだよ?」

「おっぱいみせてくれたら何でもするって言ったでしょ。私はおっぱいを見せたわ。魂を貰う契約が完了したのよ」

「ば、馬鹿な、おっぱいごときで……」

「額を地面にこすりつけて、吉田君にあやまりなさい」


 僕は立ち上がった。


「レビィっ! おまえっ!」

「ぐ、ぐううっ!」


 石川は額を地面にこすりつけていた。


「やめろっ! レビィッ!!」

「う、うそだろレビィちゃん、なんかの、魔法で、その、契約なんて……」

「契約は行使されたわ。あなたは私の奴隷よ。永遠にね」

「レビィッ!!」


 僕はレビアタンの胸ぐらを掴んだ。

 レビアタンは僕の手に自分の手をつけた。

 すこし、レビアタンの手が震えていた。


「吉田くん、勘違い、してるんじゃないかな。私は悪魔なんだよ」

「ふざけんなっ! おっぱい見せただけで、永遠にお前の奴隷なのかよっ!」

「うん、そうだよ」


 レビアタンは辛そうな目で僕を見た。


「一生どころか、死後も地獄行きだよ。永遠に地の底で苦しむの」

「そ、そんなっ!」


 石川が涙声を出していた。


「おまえっ!」

「契約に質とか関係ないんだ。悪魔に願望を叶えて貰った、それだけで、良いんだよ。契約完了で堕落なんだ。吉田くん。これがね、私のお仕事なんだよ」

「誰かを堕落させて、レビィは楽しいのかよっ!」

「楽しいよ。すっごく。綺麗な物が汚れて壊れて行くの。それを一緒に見守るの。すごい楽しいよ。楽しくて気持ちよくて、嬉しい……」


 欲情したような目で、レビィは僕を見る。

 辛いような色、楽しいような色、悲しいような色。沢山の思いの色が複雑に絡み合い、深い海の紺の色になっていた。


「終わりがあるの。堕落しきったらそこで終わりなの。でもね、落ちる限界がある分、激しくて、楽しくて、喜びがつよいのよ」

「レビィッ!」


 僕はレビアタンの制服の胸ぐらを絞り揺すった。

 壊れた人形のようにレビアタンの頭がぐらぐらと揺れた。

 彼女は陶酔するかのように毒のまざった言葉を紡ぐ。


「ガルガちゃんと人との関係は永遠で、共に高く昇っていくの。私と人の関係は、落ちるの。底があって、有限だけど、強くて激しくて、楽しいよ」


 僕はレビアタンの頬を打った。


「そんなんで嬉しいのかっ!! もっと自分を大事にしなくていいのかっ!」

「……しかたがないんだよ……」


 人とは違う存在なんだ。だから、人を堕落させるのが平気なんだ。

 そう、思ったけど、だけど、違和感があった。

 それは、レビアタンの表情だ。


「じゃあ、なんで、そんなに辛そうな顔してるんだよっ!!」

「……吉田くん、きらいになるから……。きっと」

「ああ、大嫌いだ、そんなレビィはっ!! だけど、だけどっ! 僕はっ!!」


 レビアタンは目を伏せた。

 涙が一粒、陶器のようにすべすべな彼女の頬を転がり落ちた。


「人を堕落させる仕事に、日本にきたのかレビィは」

「……、え? ち、ちがうけど?」

「統治の方法を知るために、女子中学生になったんだろ!」

「う、うん」

「女子中学生は人を堕落させる仕事をしないんだっ! だからやめろっ!」


 あれ? っという感じに、レビアタンは目線を宙にさまよわせた。


「そ、そうだけど、うーん」

「人を堕落させる能力を持った奴に、人は心を開かないっ! だから、レビィが堕落の仕事をすると、視察の仕事の方は失敗するんだっ!! だからやめろっ!!」

「……な、なんか、うんと、すごく説得力ある。うーん、正論な気がずんずんしてきます」

「だったらやめるんだ」

「わ、わかったよう。堕落の仕事はやめるよう。おっぱいは無償でみせるよ」


 いや、べつに見せなくてもいいから。


「じゃあ、石川の契約を解いてやれよ」

「と、解いてください~」


 石川は土下座したまま情けない声で言った。

 レビアタンは、困ったなあという感じに視線を逸らした。


「……あ、あの、ごめんね、私じゃ解けないの」

「「なんだってー!!!」」


 僕と石川が声を揃えてしまった。


「堕落した魂の保管は地獄の方で、そのー、ベリアル課長の管轄なのよう」

「管轄ちがうのっ!」

「うおおおん、俺はこのまま地獄行きなのかー」

「う、うん、で、そのー、契約をね、破棄した事、これまで一度も無くって」

「騙されたとしてもかっ!」

「だ、騙してないよう、ちゃんと、身も心も捧げるなら見せてあげるようって言ったから、正式契約だよう」

「そ、そんなあんまりだーー!」

「だ、大丈夫、色欲は、地獄の八圏で、永遠に糞便で一杯の溝の中をうろつき回って、時々私の同僚に銛でさされる程度だよ」


 石川がうおおおんと泣き出した。


「おっぱい見ただけで、そのもの凄い責め苦が永遠?」

「う、うん、まあ、その、永遠かなー」

「うおおお、おっぱい見ただけで、外人のマッチョと一緒に糞便の溝に沈められないとならないのかっ!! きっと、そこは日本語とか通じなくて、俺一人で、ひーん」


 外国の地獄だからなあ。


「大丈夫だよ、悪魔がこの次元を取れば、その、たぶん地続きになって、帰省とかできるかも」


 い、いや、うんこまみれの亡者に帰省とかされても。


「天使が取ったら?」

「そ、その時は、私たちと永遠に、地獄で楽しく暮らしましょうよ。と、ときどき差入れに行ってあげるよ。お、お菓子とか」


 石川は土下座の格好で、ふおおおと号泣していた。


「堕落したら、悔い改めても駄目なの?」

「う、うん、そのー、駄目なの、失敗を回復する手段ないんだよう」


 西洋の地獄は厳しいなあ、一発でアウトなんだ。

 東洋の地獄なら六道輪廻があるのに……。

 あれ?


 ……。


「石川、騙されたと思って、心に仏さまを描いてみろ」

「えええ?」

「描いたか」

「なにするのう?」

「心を込めて、『南無阿弥陀仏』って唱えろ」

「え? な、なみあみだぶつ……」


 石川が、がばっと立ち上がった。


「ああっ! 体が自由になったっ! うわああっ!!」


 喜びのあまり、石川はびょんびょんと空中へ何度も跳び上がった。


「えええええっ!」


 うわ、本当に効いた!


「こ、これで地獄行きも無しかっ!」

「た、たぶん、西方浄土行きだと思う」

「なんで、どうしてっ!」

「いや、南無阿弥陀仏あと唱えれば、どんな悪人でも救われるっていう信仰なんだ」

「すげーっ! すげえよ、それ、どこ?」

「じょ、浄土真宗」

「また、アミダブツッ! ずるいよっ! 人んちの獲物をー!」

「お、俺は仏に帰依するっ! もうあんな思いはこりごりだっ!」


 レビアタンがぷーっと脹れた。


「くそ、てめえ、レビィッ!」


 石川がレビアタンの方に拳を握って行こうとしたので、立ちふさがって止めた。


「お前も悪いだろ、レビィは仕事だったんだし」

「だ、だけど、邪悪だっ!」

「人を殴りつけて、やめて欲しかったらおパンツ脱げって請求するのは邪悪じゃないのかよ」

「そ、そうだよう」

「……。吉田、悪かった」


 石川はすなおに頭を下げた。


「そうだな、復讐なんて仏っぽくない。確かに俺も卑劣だった」


 なんか、石川らしくないなあ。


「俺は一度地獄から救われた身だから、今後の一生を一心に仏に帰依する事にする」

「そ、そうですか」

「俺は地獄に本当に落ちると思って、凄く怖かった。その悪徳契約が外れたんで、本当にこの世に仏が居るんだって解った」

「うん」


 僕も本当に阿弥陀様が居るとは思わなかった。


「仏はずるいよう」

「本当に仏が居るなら、俺はもうこれまでみたいないい加減な生き方は出来ない。一心不乱に仏に帰依する」


 なんか、石川から毒気が抜け、聖者みたいな澄んだ目で僕を見ていた。

 そ、そんなに糞便の溝に落とされるのが嫌だったのか。


「俺は今日からレビィ派を抜けて、吉田派……。いや、ちがう、俺はっ、阿弥陀派になるっ!」

「「はい?」」

「うおおおっ! 燃えてきたぜぇっ!! 吉田、一緒にクラスに仏の慈悲を広めようぜっ!!」

「いや、その、僕、派閥とか嫌いなんだけど」

「いや、違うっ! 吉田、お前は、あんなに弱いのに、レビィを庇って俺に掛かってきて、あんなに殴られたのに、自由を奪われた俺を許し、哀れんで、悪魔と対決してくれたっ!! お前こそがアミダッ!! お前こそが仏だっ!!」

「い、石川は改心しすぎだ」

「えー、私の派閥が、ガルガちゃんに負けちゃうよう~」

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