第13話 水に流せない感情②

 先に行ってしまったキツネ達を見つけようと、キョロキョロとしていると、後ろをついて来る五十嵐先輩から声がかかる。


「なぁ、千秋――」

「2人共こっちこっち!浮き輪の貸し出しがありますぜえ!?」

「みんなで流れよう」

 キツネが手を振りながら興奮した声で居場所を教えてくれる。

 まぁその恰好で並んでるなら直ぐに見つかりそうな気もするけど。

 キツネの声が被ったけど、わたしの名前を呼ぶ五十嵐先輩には気付いたけど、何故か聞こえないフリをしてしまった。


「いきなりダラダラする気ー?」

 わたしはキツネ達の方へ小走りで向かう。

 後ろは振り返れなかった。多分五十嵐先輩はついて来てると思う。

 涼香は既に浮き輪を身にまとっていた。浮き輪までシマシマにしなくても。

 キツネも浮き輪を借りていて、また涼香と2人でプールへ走って行った。こいつらはまったく……子供かい。


「千秋?浮き輪どうする?」

「んーとりあえず借りよっか?」

「じゃあ、私借りてくるね」

「あ、うん」


 なんだろう。ちょっと元気ない?気のせいかな?

「千秋、借りて来た」

 五十嵐先輩は8の字の浮き輪を持って、その穴から不安そうに顔を覗かせていた。

 それはもしかして2人用浮き輪って奴でしょうか?

 何故、それを借りて来たんだい?


「普通のはもう、ないらしくてさ……」

「そう、なんだ」

「……」

「……」

 どうしよう。なんて反応すればいいのやら。いつも通りに喋れないし、簡単な言葉が詰まってしまう。


「ち、千秋!一緒に流れようぜ?」

 わたしが反応に困っていると、浮き輪の穴から誘ってくる。いつもの様に明るく振る舞っているが、どこか無理してるように見えた。

「ダメ?」

「ダメじゃ、ないけど」

「やたっ!」

 あ、今のはいつもの笑顔だ。

 楽しそうな足取りでプールサイドへ、それにわたしはついて行く。

 緩やかに流れる水。ちらほらと他の人達が楽しそうに流れていた。

 五十嵐先輩が手だけで水に触れてから、足からゆっくり入水していく。なんかお風呂みたいだ。

「ほら千秋押さえてるから」

「う、うん」

 ちょっと怖い。1回浸かってから乗るべきか、このまま直接乗るべきか。

「お尻乗せたい?それとも体入れる?」

「んん-、乗るのは怖いから穴に入ろうかな?」

「おっけー。じゃあおいで?」

 五十嵐先輩が手を差し伸べてくれる。一瞬躊躇したけど、ここで変に断ったら流石におかしいと思われると思ったわたしはその手を握り、ゆっくりと入ると息がキュッとなった。

 五十嵐先輩と一緒に浮き輪に体を通すと、お互い向き合い目が合う。

 少しだけ不思議とこの世界には、わたし達だけのしかいない気がした。

 周りには誰もいない。いや、ただ見えていないだけかもしれない。ただその瞳からは目は逸らせない、逸らすことは出来なかった。

「五十嵐、先輩」

「ん……」

 自然とわたしの顔はその瞳にゆっくりと近づいて行く。止まらない。何かに押されてるのかもしれない。それが何なのかは、どうでもいい。大丈夫、今はわたし達2人だけで、これから何が起ころうと咎める者はいない。

 ゆらゆら、ぐるぐる、パラパラ漫画のように周りの背景が変わる。すぐにこのわたし達だけの世界は終わってしまうだろう。終わってしまう前に……はやく。

 真っ直ぐわたしを見るその大きな瞳には、はっきりとわたしが見えた。

 ゆっくり、その瞳に瞼が掛かると、この2人だけだった世界は突然、わたし1人だけになってしまった。


「あれ?……先輩?」

 細目だった為何が起きたのかよく分からなかった。

 ぐるぐる回るわたしは、一度プールサイドへ掴まり、辺りを見渡す。

「あはは!千秋―!すっぽぬけた!」

 髪が濡れ、犬みたいに頭を振っては笑う。水しぶきがキラキラしてその笑顔をより一層引き立てる。

「……なぁにしてんのさぁ!水飲んでない?平気?」

 泳いで帰ってくる五十嵐先輩はもう犬にしか見えなかった。

「うん大丈夫!ぐるぐるするのなぁコレー!」

 また浮き輪を頭から潜らせて向かい合わせになると、濡れた髪が肌に張り付いて、先ほどの五十嵐先輩とは別の人に見えた。

 何と言うか、ちょっと大人の女の人みたいな色気があるなと、わたしは感じた。

 

 多分、後3秒あのままだったらわたしは、きっと止まってなかったと思う。

 自分でも分かっている。わたしは目の前の唇に自分の唇を重ねようとした。

 五十嵐先輩も多分、いや、誰でもキスされそうになった、と気付くだろう。

 でも五十嵐先輩はいつも通りで、何も言ってこない。

 だからこそ思う。さっきの世界は、わたし1人だけの世界だったんじゃないかと。

 それともあれはわたしの妄想?だとしたら、とんでもなく重症だ。

 しばらくまたぐるぐると流れていると


「イガちゃん!千秋!席が無くなる前に早めにご飯としましょう!」

 キツネがバッグを持ち上げて、早めのお昼休憩。

 涼香は隣でふんすと鼻息を荒げながらそわそわしていた。

「はぁーい!今行くー!」

 浮き輪を外し、浮き輪事五十嵐先輩を引っ張っると、また楽しそうに笑った。

 つられてわたしも笑う。先にプールから出て、さっきとは逆。わたしが手を差し伸べる。

 キョトンとするその顔はすぐに「ありがとっ」と少しはにかんだ顔つき。

 ぐいっと引き上げると五十嵐先輩はその場で座り込んでしまった。

「え!?どっか痛い?怪我?」

「あぁーいや、大丈夫。あれぇ?足が……」

 ぼそぼそと喋ってて聞こえない。見た感じ怪我はなさそうだけど、どこか見えない場所が悪いとか?

「わりぃ千秋、足がちょい攣ってるみたいで、肩貸してくれ」

 良かった。大した事がなくて。

「どうぞ」

「……それ背中だぞ?」

「分かってるよ!バカにしてないで、ほら!はやく!」

「そこまでしなくても……」

「いいから」

 観念したのか、そっとその身をわたしの背中に委ねてくれた。

 五十嵐先輩を背中に乗せ立ち上がる。わたしは力なんてないけど、それでも重くなんて感じなかった。

 転ばないようにゆっくりと歩くと、五十嵐先輩の体温がわたしの体温と重なり、肌と肌が擦れる。

 少し生ぬるい温度。わたしの体温が少し下がっているからか、そう感じる。

 お互いが濡れていて、密着している肌の面積が多い為か、柔らかく、少し気持ちいい。

 足を持つ手はまた攣らないように、出来るだけ刺激しないように優しく。


「後、少しだか――」

 気を抜いてしまったのか、足が滑る。

 なんとか踏み止まったが、わたしの心臓は飛び跳ねた。人を背負っているから転んだら本当に危ない。

「ひゃっ!」

 五十嵐先輩も驚いて、わたしに目一杯掴まる。


 ふにゅ


「――――!!」


「わっわりぃ」

「いえ、すみません」


 気のせいかな?ちょっと滑ってきたから持ち直そう。

 よいっ、しょ。


「わっ!」


 ふにゅ


「……」


 何してんだわたし!最低か!そうゆう目で見ないって決めたじゃないか。

 友達なんだから。友達にこんな感情持っちゃいけないんだ。


「……千秋、もう大丈夫だから、降ろしてくれ」

「あ、はい……」

 やばい。怒ったかな?そりゃそうだよね。


 ゆっくりと五十嵐先輩の足を床に付けると、小声で「ばぁか」と残し、何事もなかったようにキツネ達の方へ走って行く。

 五十嵐先輩は振り返って、指で唇を押さえながら、優しく少し微笑んでいた。


 えー?暴言を言う顔じゃないよ?怒ってはいなそうだけど、バカとは?


 あれ……いつの間にかイライラしてたのが無くなってる。

 というかなんでイライラしてたのか?

 はっきり分かるのは、五十嵐先輩が取り除いてくれた事だけ。


 はぁ、アホらしい。

 こんなのはアホだ、バカだ、大バカだ。

 しっかりしろ、わたし。この関係をちゃんと長く最後まで続けよう。



 友達として。


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