『おいしい』に頼りすぎな食レポ

バラエティにせよ旅番組にせよ、テレビの食レポを見ていると必ず出てくる言葉がある。「おいしい」である。お手頃な弁当でも、超高級レストランのコースでも、誰が話しても感想は全部「おいしい」に帰着する。どうせ「おいしい」のだから、我々が食レポ映像を見るときに、食レポで何を言っているのかを聞く必要は無い。


宝石箱だろうとなんだろうと、その食べ物がおいしそうであると表現する意味の言葉無しに食レポをすることはできないのだろうか。できないのだろうな。なぜなら店の人や視聴者はおいしそうな様子が伝わってくるのを待っているからだ。おいしいことを示すことに一番向いている言葉は、やはり「おいしい」なのである。


美しさを表現するのは「美しい」

かわいさを表現するのは「かわいい」

かっこよさを表現するのは「かっこいい」

ドミナントの和音みたいな決めを作りやすい形容詞。


おいしいことを表現するために「おいしい」を使うのであれば、あなたの文章より辞書のほうが文学として優れている。今、読んでいる川端康成の『雪国』が結構、「美しい」を露骨に使い過ぎていて余り良い作品じゃ無いなこれ、時代が古い感じがする。という印象を受けたので筆を執った次第です。

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