第26話 悲しいけどこれ、事実なのよね

 盛大にぶちまけた湊月の介抱をして、惨事の現場を綺麗にしてから、俺は湊月に水と胃薬を持って行く。

 相変わらず青い顔で横たわっている湊月は、苦しそうに呻きながら目を伏せていた。

「湊月。水と薬」

「うぅ…ありがと…」

 湊月は体を起こして俺からそれらを受け取り、おずおずと飲み込むとまた横になる。

「ごめんね…あんな意気込んでたのに…」

 落ち込んだ声で俺に謝る湊月。

 まぁ、あれだけの啖呵を切ってこの様を晒したら、そりゃ落ち込むわな。

「俺も心の準備ができてないのに煽りすぎた。悪かったな」

「ううん…私が最初に挑発したからだもん…本当にごめんね…」

「いいって。ほら、ちゃんと水飲まないと明日辛いぞ」

 そう言って水の入ったコップを近付ける。

 湊月は上半身だけ起こして、ちらとこちらを見る。

「飲ませて…」

「怠惰だなぁ」

 上目遣いでお願いをしてくる湊月に適う訳もなく、俺はそっとコップの口を近付けて、湊月に水を飲ませる。

「ん…ありがと…」

 こてんと寝転ぶと少し頬を綻ばせる。

 だが、顔色は相変わらずだ。

 少なくとも翌朝まではこの調子だろう。

「なんかダメだなぁ、私…」

「ダメ?なにが?」

「全部…」

 ぼんやりと呟くような声が、二人しかいない部屋に小さくこだまする。

「部屋に住まわせてもらってるのに家賃は払わないし、家事は分担だし、こうして介抱してもらってるし、彼女らしいことなんて何もできてない…」

「そんなことない。湊月は十分によくやってくれてるよ」

「全然だよ…こうしてダメダメなとこばっかり見せてるし…」

 随分と気弱な彼女。色々と積もり積もったものが、溢れてしまっているのだろうか。

「そうか?俺は毎日楽しいけど」

「興くん優しいもん…私がダメダメでもそうやって優しくしてくれるだけで、本当はすっごい迷惑かけてること知ってるもん…」

「ダメダメでいいじゃないか。俺は完全完璧な彼女より、どこか抜けてる彼女の方が可愛いと本気で思ってるぞ」

 何も嘘などついていない。

 これ以上ないぐらい純粋な本音を告げて、湊月の手触りのいい髪を撫でる。

 さらさらとした綺麗な髪が、俺の無骨な手をするりと抜けていく。

「ほら、やっぱり優しいじゃん…」

「嘘を吐いてないだけだ。ほら、水」

 少なくなったコップの中身を近づけると、また上半身だけ起こした湊月に、中身を全部飲ませる。

「結構ワイン飲んでたもんな。もう少し水を飲もう」

「うん…」

 コップの中身を満たしにキッチンの水道を開ける。

「興くん…」

「ん?」

「いつでもいいからね…」

「あぁ」

「私、ずっと待ってるから…」

「…あぁ」

 弱々しくも覚悟を決めた声でそう呟く湊月。

 俺はそれに小さく頷いた。

 俺達には阻むものなど何も無い。

 足りないものは、俺の覚悟だけだ。



 翌日。

 少しだるそうな湊月を講義に間に合う様に支度させて、部屋から送り出す。

 今日は夕方から必修科目が一つあるだけで、後は基本的に暇なので、家事を先に片付ける。

 掃除、洗濯、夕飯の下ごしらえ、それらを手際良く終えながら日中を過ごす。

「買い物、は講義が終わったら湊月と行けばいいか」

 とりあえずメモだけは用意しておこう。

 メモ帳から一ページ破いてそこに少なくなった日用品や調味料、数日分の献立に使う食材を列挙していく。

 昨日のことをもしかしたら湊月は引きずっているかもしれない。

 ここは万人受けする王道人気メニュー、カレーを明日にでも作ることにしよう。無論、湊月の好物でもある。

 残念ながら今日は下ごしらえを済ませてしまった、鶏肉の照り焼きにさせてもらうが、カレーは今晩にでも作って明日最高の状態で出せるように、買い忘れにだけは注意する。

 ふと、インターホンが部屋に鳴り響く。

 誰だ、こんな真昼間に来るような客は知らないんだが。

 モニターを確認すると、配送業者の制服に身を包んで、大きなダンボールを代車に載せた男性が立っていた。

 目深に被った帽子で顔全体は把握出来ないが、制服でもう配送業者だと一目で判断できる以上、無碍むげにすることはないだろう。

 俺が待っている注文品は無いが、恐らく湊月が何か頼んだんだろう。

「はーい」

『お荷物のお届けに参りましたー。受け取りお願いしまーす』

「はいはい。今開けます」

 エントランスの解錠ボタンを押して、業者の到着を待つ。

 今って判子も要らない業者があったりするんだよな。

 進んだ時代をしみじみと感じていると、インターホンが鳴り、業者の到着を知らせる。

 同時に、机に置いたスマホが震える。

 木製の机のせいか、バイブレーションがやたらと強く自己主張してくるが、業者の人を待たせるのも忍びない。

 俺はスマホの確認より先に、荷物の受け取りを優先する。

 ドアを解錠して業者を招き入れる。

「お疲れ様です」

 労いの言葉をかけた直後、俺は腹に硬い棒状の何かが押し付けられるのを感じた。

「ああ。お疲れ」

 涼し気な声に紡がれた言葉が聞こえた直後、

「っ!!?」

 全身に痺れを感じて俺は意識を失った。



「……ん」

 混濁した意識が少しずつ浮上するのを感じつつ、俺は周りの様子を窺う。

 薄暗い部屋だが蛍光灯の明かりは無く、陽の光が窓から入ってようやく部屋の全容が分かる。

 辺りは荒れた部屋で、割れた窓ガラスの破片やポイ捨てされたゴミが散乱し、壁にはスプレーで描いたようないたずら書きが一面に施されている。

 何より異常だったのは、俺の両手が後ろ手に手錠で拘束され、その手錠は俺が寄りかかっている太い配管を通して付けられているせいで、身動きなんて到底取ることができない状況にいることだ。

 今のところ外傷らしい外傷は無い。

 どうやら強力なスタンガンで気絶させられて、この廃墟にまで連れてこられたらしい。

 気絶する直前に聞いた涼しげな声。

 あれは、

「はぁ、悪魔、か」

 湊月の実家で聞いた、湊月のトラウマの元凶たる悪魔の声だった。

 となると、あの時の電話は智さんあたりからで、悪魔がいなくなったことを告げる電話だったのだろう。

 まぁ、四六時中監視することはできないだろうし、まさかこんなことをするとまでは想像し得ないだろう。

 あまりの邪悪に付けた渾名だったが、いよいよ悪魔じみたことをするようになったなアイツ。

 ふと、俺の真正面にある唯一の出入口である鉄扉がぎぎっと錆びた金属音を立てながら開く。

「あ、起きたんだ」

 なんでもない風に、悪魔は相変わらず腹が立つほどのイケメン顔を無表情で晒していた。

「おかげさまでよく眠れましたよ」

「減らず口を叩くな不細工」

 僅かに歪んだ表情を浮かばせながら、悪魔は手に提げたビニール袋から、数個のおにぎりを取り出すと、丁寧に包装を剥がしながら目の前で食べ始めた。

「お前を運ぶのに時間をかけすぎてね。あまり行儀のいい食事じゃないけど失礼するよ」

「はぁ。ついでに俺の分も欲しいんですけど」

 部屋を照らす陽の光はもう茜色に染まっていて、昼頃捕まったことを考えれば四半日は経っているはずだ。

 流石に少し腹が空いてきた。

「あるわけないだろ。餓死する人間に飯なんか必要ないんだから」

「餓えで死ぬんですか、俺」

「ああ、死ぬよ」

 手を下すこともしないのか。つくづく悪魔的だなコイツ。

「湊月に色々満たしてもらったんだろ。それなら空っぽになって死んでくれてた方がアンチテーゼ的で中々に芸術的じゃないか」

「死に方に芸術もクソもないでしょうに」

「不細工が芸術になれるんだ。光栄だろう」

 本当に話が通じない。

 悪魔なんだから、少しは取引させてくれてもいいじゃないか。

「さて、お前がしっかり捕まってることも確認したし、僕はお暇するよ」

「え、いや、ちょっと」

 おにぎりを全て食べ終えた悪魔は振り返りもせず、唯一の出入口から出ていくと、その足音は遠ざかっていった。

「………マ?」

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