第3話 ライラの日常


 嘆いてみても現実は変わらないもので。

 

 佳奈の記憶を思い出してから、一週間も経てばいつもの日常に戻っていた。家庭教師による各教科の勉強と礼儀作法、ダンスレッスン。なかなかハードなスケジュールの毎日である。


 特に今は礼儀作法に力を入れていて、その理由は三日後に行われる王宮でのお茶会に招待されているからだった。

 そのため私は、己の立ち振る舞いを完璧に仕上げるべく練習に励んでいる。

 家庭教師も感嘆するほど熱心に取り組んでいる私だけれど、なぜここまでやる気を出しているのかというとそれには理由があった。



 そう、お茶会が開かれるのは王宮。

 そして、その日の主役は……なんとこの国の第一王子、ルーク=ヴァレンタイン様なのだ。


 薄い画面越しでしか愛を表現できなかった、私の大好きな麗しの王子様。


 記憶を取り戻したばかりの時は、自分がライラであることを嘆いていた。

 しかし人とは現金なもので、王宮でルーク様とお会いできると知ってからは、ただひたすらに神様ありがとうと感謝の日々を送っていた。


 けして交わることのない世界にいた彼と、悪役令嬢としてでもお会いできることは奇跡としかいいようがない。



 実をいうと、私は佳奈の記憶を取り戻す時まで、生きる意味というものを感じたことがなかった。

 楽しいと思えることはなにもない、ただ両親の言うことに従うだけのお人形。

 幼い頃から聖女を目指すために両親から厳しい教育を施され、毎日が息がつまる生活だった。

 いつも神経を尖らせている母親と、娘を政略の駒と見ている厳格な父親。

 

 貴族の娘なのだから仕方がないと諦めつつ、今年九歳になる弟には比較的甘い態度で接している両親を見ると、密かに悲しい思いを抱いたりしていた。



 でもあの日を境に私は変わった。

 佳奈わたしには愛してくれる両親がいて、一緒に遊んだり喧嘩をしていた弟がいた。

 毎日家族でテーブルを囲んで暖かいご飯を食べて。

 

 そんな思い出が蘇ったら、今の自分を取り巻く環境がまるで漫画のように思えて面白くなってしまった。

 そんな風に自分を俯瞰して見るようになったら、いつの間にか辛かった思いがどこかへ吹き飛んでしまっていた。


 以前の、佳奈の家族に会えないという事実に、大きな喪失感と孤独を感じるときがある。

 でも今までのように親の顔色を窺い、不安定に揺れていた心はもう無くなった。佳奈だった頃の価値観が加わったことで、気持ちがどっしりと安定したのだと思う。


 そして一番は、なによりルーク様の存在が大きかった。彼がこの世に存在し同じ世界で生きていると思うだけで、全てが輝いて見えてポジティブな自分になれるのだ。




 そうして新たな気持ちに切り替わった私は、とうとうお茶会の日を迎えることになった。


 母と私、そして侍女二人を連れて馬車で王宮へと向かう。


「いいこと? 今日は多くのご令嬢がお呼ばれしているわ。自分は侯爵の娘だと高をくくらず、必ずルーク様に良い印象を残せるようしっかり振る舞いなさい。お父様と私を失望させることがないように」


 母が厳しい目で圧をかけてくる。

 名目上はお茶会ということになっているけれど、内実はルーク様の婚約者候補選びの舞台となっている。

 落選は許さないといいたげな余裕のない口ぶりに心の中で苦笑した。


「……はい、お母様」


 私に社会人経験があって良かった。これが素の十二歳の女の子だったら、結構なプレッシャーを受けると思う。

 もしかしたら。と、ゲームのことが頭をよぎる。

 ライラがあそこまで必死にヒロインを妨害して邪魔をしていたのは、こうして両親から過度な期待をずっと受け続けた結果なのだろうか。

 そう考えると、今まで憎たらしい存在だった彼女が少しだけ可哀想にも思えた。



 くどくど続いている母親のお説教を適当に流しながら物思いに耽っていると、馬車の歩みが遅くなりやがてゆっくりと停止した。どうやら王宮に辿り着いたらしい。


 ついに来てしまった。

 私は馬車を降りると、高揚する気持ちが抑えられないまま、目の前にそびえる大きな宮殿を見上げた。


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