第24話 向日葵と葵、虎に遭遇する

 村役場の裏はアジア映画のロケ地になりそうな、立派な竹林だ。民族衣装風の鮮やか衣装に剣を持った主人公が、トラと闘う…そんな場面が自然に浮かんでくる。


 毎年春になると役場では、この竹林を会場に「タケノコ大発掘会」が開催される。職員たちが汗を流しながらタケノコを収穫し、家々でタケノコ料理を楽しんでいる。なかなか上物のタケノコが取れると、大人気の行事だ。


 課長が言うには、この竹林を抜ける手前あたりに妖物がいるという。奴らの出現範囲も、少しずつ人里に近くなってきているようだ。


 竹林に入ってすぐ、葵はメガネを外して日本刀を手にした。


 二人は早足で向かう。


「向日葵」


「なに?」


「さっき、自分は転ばせるしか能がないって言ってたけど、あんなこと言うもんじゃない」


 葵の言葉に、向日葵はムッとする。体術では向日葵が上だが、有術の才では雲泥の差なのだ。


「ホントの事じゃん」


「桜の木の妖物、駆除できたのは向日葵のおかげだ。俺一人じゃ、あの二人を守りながらなんて無理だ」


 向日葵は葵の顔を見ることなく、さらに早く歩く。


「有術って、どれが優れてるとか、これが劣ってるとかじゃない。使い方と相性だ。普段の仕事でも痛感してる」


 上からの物言いにしか聞こえない向日葵は、語調が強くなる。


「そんなことない。葵一人で倒せてたでしょ。桜ちゃんが治してくれるわけだし」


「ケガして治すの繰り返しだ。そのうち桜さんが疲れて終わりだよ。向日葵がいなきゃ無理だったんだよ。向日葵の有術が必要だったんだって」


 どんな能力であれ必要なのだが、向日葵と同じ能力「円転」を持つ人間は、昔から軽んじられる傾向があった。


 加えて、大人たちがその能力を「弱い」とか「役立たず」など言うからいけない。その刷り込みのせいか、彼女は自身の能力について、幼いころからコンプレックスを抱いている。それを親戚たちに見せないよう、そして能力をカバーするように体を鍛えて、「桜の保護」という役目を果たそうとする向日葵を、葵は常に近くで見てきた。


 彼女の努力と能力を一番理解し、認めているのは彼なのだった。


 葵は歴代の能力者たちの使い方がうまくなかった。それだけのことだと考えている。


「さっき桔梗さんに言っといたから。俺は向日葵と組んだ方が仕事しやすいって」


「え!?そんなこと言ったの!?」


「会議の後、ちらっと聞かれたからさ。だって本当のことだ」


「それってさ、喋りやすいだけでしょ。嫌いだけど兄貴との方が相性いいと思うよ」


「悪くはないけど、向日葵の方が…」


 突如、二人の目の前に黄色と黒のしまし模様の大きな物体が現れた。


 見慣れない形、見慣れない色に、二人は目を疑った。


「でかい猫…じゃないよね?」


「トラだろ…ぶっとい尻尾が5本あるけど」


 トラは光る目でじっと二人を見つめ、微動だにしない。


 かといって、こちらから動くこともできなかった。視線を外せば、おそらく即座に襲ってくる。膠着状態を続けるわけにもいかないが、先に動くと不利なのは明白だった。


 動物の形をしているとはいえ、その性質は動物とは異なる。


 例えば数年前に出現したあるクマ型の妖物は、亀のように動きがのろかった。もしかしたらこのトラも、恐ろしく足が遅くて、歯がスポンジのようで噛まれても痛くないかもしれない。


 ただ、最近の兆候を考えれば、それはほとんど期待できないと言っていい。


 もっと言うと、トラ型の妖物なぞ聞いたことも見たこともなかった。


 未知の動物型との遭遇。加えて妖物ら全体が強力化している。この状況を打開する方法をこれまでの経験から考えてみるも、いい案が思い浮かばない。


 葵が必死に考え抜いているところで、向日葵がはっきりと宣言した。


「私、つっこむわ」


「は?」


「私がフトコロに入り込んでひっくり返すから、隙狙って殺して」


「危険だ」


「なんだって最初は危険だよ」


 言い終える前に、向日葵はトラに向かって突っ込んでいった。トラの方も全速力で向日葵に向かっていく。


 一瞬で距離がぐっと縮まる。向日葵はいつでも手を返せるよう、右手に気を向けながら走る。


 葵は、彼女の勇気にいつも感服している。彼女の長所なのに、本人も周りもまったく気が付いていない。


 彼は、ここぞという時に踏みだせない自分が嫌いだった。今だって、何も思いつかなかったら自分はどうしただろうか。逃げるのか。


 状況は、向日葵の勇気が動かした。真の役立たずは自分の方だと、葵は痛感した。


 彼女が動かした状況を無駄にできない。葵は向日葵の動き出しから一瞬遅れて、トラの背後をとるべく動き出した。


「やっぱり向日葵がいないと…!」


 トラのスピードは予想以上だった。間合いぎりぎりを見定めて手を返せるのか、向日葵は心配になってきた。


 いつもそうだ。本当は怖くて不安で仕方がないのに、口が先に強がってしまう。


 しかし、言葉にした以上は有言実行。今回も、やると決めた以上は最後までやるのだ。


 ケガをしても治してもらえる。と全力で走り続ける。


 そろそろ間合いだというと時、トラが向日葵を狙って飛び上がった。とっさに手を前に出すも、向日葵はこのスピードに追い付けず「ヤバい」と思った。


 その瞬間、トラが向日葵の頭上直前でピタと止まった。というより、これ以上向日葵に近づけないと表す方が近い。


 チャンスを逃すまいと、向日葵は右手を返す。


 トラは頭からひっくり返り、地面に打ち付けられた。そこを葵の日本刀が突く。閃光とともに、トラはドロドロに溶けていった。


「な、わかっただろ、向日葵がいないと妖物は」


 葵は日本刀を鞘にちゃきん、と納める。


 向日葵はその場にぺたんと座り込んで、右手を眺めていた。


「…向日葵?」


 向日葵の右手に、橘平の姿が浮かんだ。


 葵は様子がおかしい彼女の肩に手を載せ、「おい、どうした」と呼び掛けた途中、彼女はふらりと倒れた。すんでで、葵が受け止める。


「おい、どうした、おい!」


「きっぺいくん…」


「はあ?きっぺい?」


 目の前には葵がいるというのに、今頃試験を受けている高校生の名を呼ぶ彼女。


「橘平くんだったんだ…」


 勇気の糸が切れてしまったようだ。彼女はそのまま、すうすうと寝息を立て始めた。


 葵は向日葵を抱き上げる。


 未知の出来事にたった一人で切り込んでいった彼女の寝顔を、尊敬の念を持って見つめた。


 しかし、あの少年の名をつぶやいて眠ってしまったのはなぜなのだろうか。


「…後で聞くか」


◇◇◇◇◇ 


 眠った向日葵を横抱きで役場の医務室まで運んだ姿は、多くの女子職員に目撃された。


 イノシシごときで気絶すんじゃないわよ…。


 きっとわざとよ、幼馴染だからって…。


 金髪のくせに…。


 そんなささやきがあちこちから聞かれた。


 これにより、翌日から向日葵は一部の女子(業務内容を知る環境部は除く)から、源氏物語よろしく、嫌がらせを受ける羽目になった。


 無視、トイレの鏡占拠、机の上に空きペットボトルを置いていく、すれ違うたびに「弱いふりすんな」と言われる。


 向日葵はなぜ嫌がらせされるのか、全く心当たりがなかった。物理的な強さのおかげで、みみっちい嫌がらせは意にも介さない彼女だが、理由が分からないのは気持ち悪い。


 そこで彼女は昼休み、他部署の仲良しの同僚から事情を教えてもらった。


「覚えてないか。葵君にお姫様抱っこで医務室に運ばれたんだよ。あれを…」


 聞いた瞬間に、彼女は真っ青な顔になってそのまま同僚の目の前でぶっ倒れてしまった。


「ひま!?ちょ、ひまああああ!!」


 同僚は向日葵を思い切りゆするも、彼女は起きる気配がなかった。完全なる気絶だ。


 たまたま、彼女たちがいる休憩スペースの前を噂の君が通りかかった。


「おい、向日葵、どうしたんだ!?」


「…突然、倒れちゃって…」


 ぶっ倒れた金髪をまたお姫様抱っこで、葵は医務室へ運んでいった。


 これも、多数の女性職員に目撃されてしまった。


 同僚は、向日葵がさらなる源氏物語に巻き込まれる不幸を思い、気の毒になった。

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