第1話 釣果

晴天。

俺達が座る岩場には日光がジリジリと照りつけ、澄んだ空気は遠くに見える霊峰をくっきりと浮かび上がらせている。

この辺境の地の魚はスれてないどころか、襲いかかってくるくらい元気がいい。


「釣れない……」


「釣れないでごんすねえ」


「ッスねえ」


思わず漏れた呟きに、隣に座る大男と反対に座る兎耳が反応する。


「いや本当に釣れないな。普段餌なんか付けなくても釣れるのに、こんなことある?」


「実際釣れてないんだからあるんでごんすねえ」


熊のような大男の名前はゴンス、熊だか猪だかの獣人で、俺の従者だ。

見た目通りの怪力で、力仕事を一手に引き受けてくれる。


「やっぱ、『大森林』でなんか起こっているんでしょうッスね。坊ちゃんの言う通り、普段なら針どころか水面飛び上がってまで襲ってくる刃魚がいないんスから」


うさぎ耳の方の従者はヤンス、爽やかイケメンだ。ビックリするほどモテる、老若男女に。

力仕事よりも情報収集や斥候仕事を担当している。

2人とも癖のある従者だが、俺にとっては気の置けない友達でもある。


ちなみに俺の名前はトリノ。このジャモン辺境伯領の嫡男だ。

銀色の髪に真っ赤な目をしているのだが、まあ俺のことはいいだろう。


「仕方ない、帰るか」


あまりにも反応がない釣竿をしまおうとした、その時


「お、引いてる?」


今まで波に合わせて揺れるだけだった竿先が強く引かれる感覚があった。


「お、お?……デカい、かなりデカいぞこれ」


特製の釣り竿がぐんと持っていかれそうになる。

何も言わずとも、ゴンスが俺を、ヤンスが竿を掴んだ。


重い。根がかりかとも思ったが、糸が流される感覚がある。

これは糸が切れる前に一気に釣りあげよう。


「せーのであげよう。……せーのっ!」


3人で力を合わせて釣り竿を思いきり引く。

べしゃん、と岸に引き上げる。


黒い塊。


ひと言でいえばそんなものが釣れた。


もっと具体的に言うと、流木と水草が混ぜ合わさってできたゴミだ。

繁殖人ひとり分はありそうな大きさだ、そりゃ重い。


「ゴミっスね。よかったっスね若様、ボウズ回避っス」


「ゴミを釣果に入れるのは駄目だろ」


プラスチックなんかが混ざっていない分、とてもエコなゴミなのではないだろうか。


「針を外すでごんす。坊ちゃんは帰る支度をおねがいするでごんす」


はあ、まさかこの河でボウズとはな。

セイレンになんと言おうか。

別に言い訳しなくてもニコニコと受け入れてはくれるだろうけどさ。


針と絡まった糸はゴンス達に任せ、散らかした昼飯の弁当の空や釣った魚を入れる予定だった氷箱を背嚢にまとめていく。

持ち歩かなくても不自然じゃないものは手首に着けてる空間箱へポイだ。


顔を上げて上流を眺める。

遠く広がる『大森林』と、更に奥には霊峰の天辺がハッキリと見えた。

今日はかなり空気が澄んでいるのだろう。いつもなら霊峰の天辺は見えない。

遠くに飛ぶ影は怪鳥か、それとも伝説の竜か。


「坊ちゃん!」「若様!」


突然、ゴンスとヤンスが声を上げたので振り返る。


「どうした?」


2人して黒いゴミの塊を指差しながらちょっと悲しそうな顔をしている。

俺は2人に近寄り、その手元のゴミを見る


「ワァ……」


水草を掻き分けた先に、真っ白な顔が見えていた。

水死体、だろう。

手を突っ込んで水草を掻き分けると、生首という訳ではなく、身体もちゃんとくっついているっぽい。

辿ってみると、黒い塊から飛び出している枝の一部は細い手足だった。


「変なもん拾っちゃったな。……埋めるか」


「で、ごんすねえ。」


種族は分からないが、子供だろうか。小柄な種族って線もあるけど。

釣り上げてしまった以上、海に還すのは忍びない。


残念ながら死体なんて珍しくもないから動揺も少ない。身内ならともかく見知らぬ子だ。


流石にゴミ塗れで埋めるのはちょっと可哀想なので、黒い塊に手を突っ込んで身体の周りの水草を解いてやる。


ん……?


死体に触れてみるとなんだかぷにぷにと柔らかい。

いやまあ、水死体は水を吸うから柔らかいものなんだが、その場合はぶよぶよしているのだ。

それに比べれば張りのある肌の質感だ。

それにほんのり、本当に僅かではあるが、温かい気がする。

というか口元に手を当てると、僅かだが風の動きを感じる。


「これ、まだ生きてるね」


「本当っスか」


墓穴を掘る場所を決めていたヤンスがびっくりして振り返る。


「若様、どうするでごんす?」


「どうする……ってもなあ。死体ならともかく、生きてるなら埋めてハイ終わりとはいかないだろう。持って帰ろう」


「……またでごんすか?」


「また、だよ。交代で担いで帰ろう。とりあえず温めないと」


そう言って水草君を担ぎ上げる。

その時、ほんのわずかに水草君の目が開いた。

何も映さないぼんやりとした目、その奥に助けを求められた気がした。

あまり人に優しくするのは性にあわないのだが、このまま死なれるのは目覚めが悪い。


河を流れていたから体温が下がっているんだろう。

とにかく温めてあげるべきだが、ここでは無理だ。

家に帰って……生きてたら、風呂に入れて薬を投与してやろう。


「ちなみに釣果は1でいいのかな」


「坊ちゃんがそれでいいならいいんじゃないスか」


魚拓でも取ろるべきかな。



「まあ、トリノ様! なんですかそれ?」


急いで屋敷に帰り着くと、掃除中だったメイドのセイレンが、ドロドロのゴミの塊みたいなものを抱える俺に目を白黒させた。

いくら上着で包んでいたとはいえ、この黒い塊君は水も泥も過分に吸っていて、帰りつくまでにこちらも泥だらけになってしまった。

ちなみにゴンスとヤンスは父様の所へ行っている。

何かしらの大物を拾った場合は、父様か母様へ報告する約束だからだ。

いやまあ、報告してないものも割とあるんだけど、流石にね?


「人だよ…多分。河で釣り上げたんだが死にかけててね。温めるために風呂に入れようかと……そうだ、風呂場で栄養も与えよう。開発中の傷病人用栄養剤があるんだ、取って来るからこの子を風呂場までお願いするよ」


「釣り上げ……いや、トリノ様そこに置かないでー。ああ…床がベチャッって…いえ、トリノ様もドロドロなのでお部屋に行くの待ってくださーい。掃除したばかりなんですー。私が取ってきますから、トリノ様待ってぇぇぇ……」


セイレンがごもっともな意見を言っているが、聞こえなかった振りをして自室へ向かう。

セイレンには悪いが、薬品というのはプロでないと見分けがつかないものが多い。

試作品も多いため、俺のアトリエにあるものを俺以外が触るのは単純に危険だ。


「えーっと、この栄養剤と、水薬ポーション。そうだ、新作の哺乳瓶も試してみるか、粉ミルクも」


ガチャガチャと自室兼アトリエから臨床実験待ちのアイテムを持ち出す。

危険物は含まれていないが、モルモッ……善意の協力者が足りずに完成間近で止まっていた実験もついでに行おう。俺が拾った命だし、ある程度は好きにして構わないだろう。……そうだ、風呂場ならとっておきも持っていこう。新しいモルモットが手に入ったことに、自覚の無いまま口角が上がっていた。




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