92. 恐ろしいもの
「クラウス、私の手に火魔法をお願い」
そう口にすると、クラウスは「正気なのか?」と言わんばかりの表情を浮かべてしまう。
いくら私が治癒魔法で綺麗に治せると言っても、怪我をすれば痛みからは逃げられないから、心配しているのだと思う。
「シエルよりも俺が犠牲になった方が良いと思うのだが……」
「クラウスよりも私の方が我慢強いと思うの。だから私がやるわ」
「痛々しい姿は見たくないが、今は割り切るしかなさそうだな。
男装だと気付かれるといけないから、燃えても良いドレスに着替えてきて欲しい」
「分かったわ」
クラウスの言葉に頷いてから、侍女に案内された部屋に向かう私。
簡素な部屋着もマジックバッグに入れていたから、それに着替えてから部屋を出る。
ワンピースタイプのこの服は平民が買うと高く感じるものだけれど、手持ちの長袖の中では一番安いもの。思い入れも無いから、今回の作戦に使うことにしたのよね。
多少の飾り気もあるから一目見れば貴族の服だと分かってしまうけれど、今回は貴族として外に出るのだから関係ないわ。
「お待たせ。いつでも良いわ」
「分かった。この辺りに飛ばすよ」
今は怪我をしないといけないから、防御魔法は解いて腕を差し出す。
それから少しして、私の腕と同じくらいの幅の火の玉がクラウスの手から放たれた。
直後、熱い感覚と痛みが襲ってきて、袖に火が燃え移った。
ここまでは予想通りだから、私が水魔法で火を消して、火傷が酷くならないように軽く冷やしておく。
「初級魔法でもここまで酷い火傷になりますのね……」
「私も驚きましたわ」
腕の火傷は予想していたよりも酷く、ズキズキと痛む。
けれど耐えられないものではないから、フィーリア様の言葉に返す余裕もあって、これからの計画について話を進めていく。
「あの自称聖女はここに居る全員に向けて幻惑の魔法を使ってくると思いますわ。
ですから、事前に影響の無い幻惑の魔法をかけておきたいのです」
「分かった。エイブラム家の者には私が対策をしよう」
「グレン様は闇魔法を扱えましたのね……」
「そういえば言っていなかったな」
その言葉に続けて、闇魔法の詠唱を始めるグレン様。
私もクラウスが幻惑にかからないようにと、無詠唱で幻惑の魔法をかけた。
「こちらはいつでも大丈夫だ」
「分かりましたわ。では、行きましょう」
私の考えている作戦は一度も口に出していない。
それでも依頼の時に得ている信頼があるから、今回のことは任せてくれる様子。
だから安心して門の前に向かって足を進めた。
「貴女が聖女というのは本当ですの?」
「はいっ! 私が聖女です!」
アイリス様と全く同じの顔をしている自称聖女に問いかけると、元気な返事が返ってくる。
声はアイリス様と少し違う様子で、身振りも平民が貴族の真似をしているようにしか見えなかった。
アイリス様も似たような感じだったけれど、まだアイリス様の方が貴族に近い所作を身に着けていたから、目の前の偽聖女は別人だと分かる。
「我々からも、彼女が聖女であると保証しましょう」
それに、この護衛達も見覚えがあるのよね。
妃教育の一環で行われた国内貴族の領地視察のとき、カグレシアン公爵邸に居た衛兵と同じ人が二人もいる。
アイリス様と同じように、彼女もまたカグレシアン公爵が裏に居るのだと思う。
もしも私の予想が合っているのなら、あのお方の狙いがアルベール王国での権威以外にもあることになってしまうから、悩みの種が増えてしまうことになる。
そこまで考えると頭を抱えたい気持ちに駆られてしまうけれど、今は目の前の問題の解決が先だ。
「では、この火傷を治してください。
聖女なら、跡を残さずに治すことも出来ますわよね?」
「はいっ!」
「治す前に、聖女様の名前を知りたいですわ」
「エリスって言います」
「エリスさん、治療をお願いしますわね」
偽聖女――改め、エリスは早速魔力を練り始めた。
アイリス様の時と同じで詠唱はしないらしい。
詠唱をすればどんな魔法を使うのか誰でも分かってしまうから、今の状況では詠唱出来ないのだと思う。
幻惑の魔法というのは闇魔法の中でも簡単な方だから、無詠唱でも難しくない。
けれど治癒魔法は難しいから、無詠唱で成功できる人は一握りだけなのよね。
その一握りの人達でも、余裕がある時は詠唱をして魔力を節約することの方が多いくらいだから、エリスの行動は怪しいしか思えなかった。
「詠唱はしなくても大丈夫ですの?」
「はい。彼女は腕がいいので、これくらいの治療なら問題ありません」
鎌をかけてみると、そんな答えに重なるようにして闇魔法が飛んでくる。
でも、先に自分で幻惑の魔法をかけているから、火傷が治るような幻覚は見えなかった。
「これで大丈夫だと思います!」
それなのに、エリスは自身に満ちた表情で、そんなことを口にした。
護衛達もわざとらしく「流石はエリス様」などと呟いているけれど、彼らに幻惑の魔法はかかっていないから、私の火傷がそのままだと分かっていて行動しているに違いない。
私は対策しているから危険な目には遭わないけれど、同じことを重症の人にされたらと思うと、恐ろしくて仕方がない。
「どこを見て大丈夫だと言っていますの? 何も変わらないのですけれど?」
だから……表情が引き攣るのを堪え切れなかった。
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