82.手を加えなければ
久々に兄妹揃っての夕食をとった日の翌朝、お兄様の治療という目的を果たした私は両親や王家に気付かれる前に帝国へと戻ることになった。
この状況で離れるのは寂しいし心配も大きくなるばかりだけれど、今はお兄様とリリアを信じたい。
「来月、また会いましょう」
「はい、必ず。お姉様と会えるのを楽しみにしていますわ」
「来月とは言わずに、さっきの約束を果たしたら必ず会おう」
リリアに続けて口を開くお兄様。
彼が言っている約束は、爵位をお父様の手から取り上げて、さらには聖女アイリス様の地位を失わせるというもの。
おまけに私の名誉回復までするという、本当に出来るのかかなり怪しい内容だ。
リリアの力で洗脳すれば簡単だけれど、そのやり方ではアイリス様や彼女の背後にいると思われるカグレシアン公爵様と同じになってしまうから、お兄様もリリアも他人を操るような洗脳は使わないと断言している。
他人を操らない洗脳は使うけれど、これは一人の人間に対して洗脳や幻惑の魔法が一つしかかけられない事を利用するため。
例えばお兄様に「少しだけ髪が薄くなった」と思い込ませる魔法をかけておけば、痛みを感じなくなるという魔法を後からかけることは出来なくなる。
これはリリアが魔法の練習中に気付いたことで、クラウスも知らなかったらしい。
だから、使用人さん達には普段の生活に支障が出ないような洗脳の魔法をかけておいた。
「ええ、必ず。だから、お兄様もリリアも命に関わるような怪我はしないでくださいね。
危なくなったら私もお手伝いしますわ」
「ありがとう。心強いよ」
「では、行ってきますわ」
「行ってらっしゃい」
玄関で簡単に挨拶を済ませると、私はクラウスと二人で歩いて町の外れへと向かって歩き出す。
門のところまで歩いてから振り返ると、お兄様とリリアが玄関の外まで出て手を振ってくれている様子が目に入った。
だから私も手を振り返してから門をくぐった。
小高い丘の上に建っている屋敷から、領地で一番栄えている町に入るまでは歩いて三分ほど。
私とお兄様が領地政治に関わる前まで雑草が生え放題だった緩やかな坂は、今は綺麗に整備されている。
思い返してみれば、服や装飾のことばかり気にしていた両親は、私が家を出る直前になっても屋敷のことに気を配ることは無かった。
この辺りが綺麗になったのも、私が領地政治に手出しするようになってからのこと。
私が手を加えなければ、今も雑草に覆われて陰鬱な雰囲気だったと思う。
両親に限らずお兄様も庭園のことには無頓着だから。
「この辺りのデザインはシエルの趣味だと聞いたけど、本当なのか?」
「クラウスの好みとは違ったかしら?」
「いや、その逆だ。一目見ただけで気に入ったよ」
正確には違うけれど、彼とは庭園の趣味も近いらしい。
今までクラウスがどんな景色が好きなのか知らなかったから、こんな風に新しく知ることが出来て、つい表情が緩んでしまった。
「気に入ってもらえて良かったわ」
「近い将来、一緒に屋敷を作るのが楽しみだよ」
「私達、まだ婚約しているだけよ? 気が早すぎるわ」
「分かった。想像だけに留めておくよ」
そんな言葉を交わしながら坂を下っていって、町中へと足を踏み入れると、私に気付いた領民が軽く会釈をしてくれた。
他所では深々と、十秒以上も礼をし続けないところが多いけれど、グレーティア領では領民達に無駄な動きを出来るだけさせないようにしているのよね。
「領主の一家と言えば、領民から嫌われることが多いが……シエルは歓迎されている感じだな」
「よく町に遊びに行っていたから、顔見知りの人が多いの。
他所みたいな重税を課していないのも大きいと思うわ」
「なるほど。領民達の生活に余裕があるから、これだけの笑顔が見られるのか。
シエルの家は本当にすごいな」
「お父様達が一緒に居ると睨まれるから、不思議よね」
「失礼。シエルが凄いのだな」
私が愚痴を呟くと、クラウスは慌てた様子で取り繕う。
ちなみに、お父様は贅沢のために税を上げたことが領民達に知られていて、そのせいで反感を買っている。
一方でお兄様や私が税を元に戻したことも知られているから、それがこの対応の差に出ているのよね。
お父様もお母様も、もう領地では過ごしにくいと思う。
領民達からの不信感を一蹴出来るような何かがあれば話は変わるけれど、それは海に落とした指輪を見つけるのと同じくらい難しいこと。
だからこれから苦労は絶えないに違いないわ。
でも、これは他人事じゃないのよね……。
「褒めてくれてありがとう。
少し考えてみたのだけど、私達って平民と同じような立場だけれど、この先大丈夫かしら? いつまでも冒険者は出来ないから、他にも生活費を稼げる手段があった方が良いと思うわ」
「言われてみれば、確かにそうだ。まだ考えなくてもいいかもしれないが、気に留めておこう。
いや、そもそも贅沢をしなければ一生暮らしていけるが……」
「そうだったわ……」
芽生えた将来への不安は一瞬で摘まれていったから、気付かれないように小さく息を吐く私。
それからしばらくして、町から少し離れたところでワイバーンを見つけたから、洗脳の魔法をかけてから背中に乗る。
「準備は大丈夫?」
「ああ。いつでもどうぞ」
「分かったわ。それじゃあ、出発するわ」
クラウスに声をかけてから洗脳の魔法を操ると、浮遊感が私達を襲う。
それから数時間、無事に帝都に着くまでの間、私達は流れていく景色と他愛ない会話を楽しんだ。
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