奪われる人生とはお別れします

水空 葵

1. 逃げ出したい日々

「殿下は聖女様と……」


「ええ、止められずに申し訳ありません」


 妃教育のために王城に来ていた私の耳に入ったのは、婚約者であるアノールド王太子殿下が聖女様と密室に入ったまま出てこないという知らせだった。

 一体何をしているのか考えたくないけれど、きっとそういうことなのだろう。



 私が殿下と婚約を結ぶことになったのは二年前。珍しい治癒魔法の使い手というのが決め手だった。

 疑う余地なんて欠片もない政略結婚。けれど貴族なら当たり前のことだから拒否はしなくて、ゆっくり仲を深められたら良いと思っていた。


 それからは妃教育だって妃教育と称して丸投げされる殿下の仕事も全力でこなした。

 代わりに私の自由時間は失われていたけれど、大切にしてくれた両親に恩返し出来ると思えば辛くはないから。



 けれども一年前。

 魔力量が少なくて満足に魔法を扱えない私と違って、魔力をたくさん持っていて最上級の治癒魔法を扱える女性――聖女アイリス様が平民の中から見つかった日を境に、私の夢は砕かれてしまった。


 聖女は国教会と王家に保護されていて、王宮内で暮らすことになっているから、自由に立ち入ることが出来るようになっている。

 傷を癒せる力というのはそれだけ貴重なのだけど、アイリス様の場合はそれ以外にも理由がある。


 容姿が神話に登場する女神エリス様にそっくりだから、女神のいとし子として大切にされているらしい。

 私も銀髪だから似ていると言われているのだけど、魔力量を理由に偽物と言われるようになってしまったのよね……。




 可愛らしく振る舞っている聖女様を気に入った殿下は私から一切の興味を失って、パーティーの時は私ではなく聖女様をエスコートしている。

 昨日だってお兄様がエスコートしてくれなかったら一人で惨めな思いをする羽目になっていたと思う。


 普通なら婚約解消に慰謝料請求しているのだけど、これは王命。妃教育の手を抜くことだって許されない。

 そんな私に同情してくれているのか、ここ王宮の侍女達が優しく接してくれているのが唯一の救いだ。


「貴女は何も悪くないわ。悪いのは無関心な陛下と非常識な……。

 これ以上は不敬になってしまいますね……」


「私は何も聞いておりませんので、お気になさらないでください」


 重い空気のまま、家に帰るために廊下を進む私。

 王城に勤めている官僚たちは全員帰路についている頃で、外に出るとひんやりとした空気が肌を撫でた。


 今日も一人でこなす量とは思えないほどの仕事を押し付けられていて、身体は重くなっている。

 護身術に所作の勉強、それから王太子殿下の執務まで。


 溜息をこらえて馬車に乗り込んだ時は、力が抜けてしまって淑女らしくないドサッという音を立ててしまった。

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