第5話
はあ? 婚約者? 女癖悪いと思ったら人の婚約者奪っちゃったの? 何やってんだ?
そう思いながらもコニーは首をかしげた。この家に暮らしているのはフィリップとコニーだけだ。使い竜のエグバートは論外だろう。
返せって言われても、その婚約者ってどこにいるの?
「……主にはそのように伝えます。どうか今日のところはお引き取りを」
「君はフィリップ殿の弟子なのか?」
「違います」
周りからは弟子だと誤解されているが、コニーにはその気はない。ずっとここに居候しているわけにはいかないのだから。
「……我々は村で宿を取っている。また立ち寄らせてもらう」
コニーは窓からそっと外を見た。言葉通り彼らは来た道を引き返していく。その中にひときわ長身の男がいる。他の者に命令を下しているように見える。おそらくあの男がモーリスだろう。
偉そうだから、きっと貴族なんだろうな。さっきの裁判記録を読んでしまったせいか、ローレンシアにあまりいい感情が持てない。
そうして招かれざる客が去ったのでホッとしたところを、いきなり後ろから肩を叩かれた。
「わあっ」
「奴ら帰ったか?」
そこにいたのは出かけていたはずのこの家の主だった。
「驚かさないでよね。もしかして裏口から入ってきたの?」
この家にはいくつか離れた場所と魔法でつながっている裏口がある。どうやらその一つを使ってきたらしい。
「忘れ物を取りに戻ったら家の防御魔法が発動してたからな。……何者だ?」
「モーリスって言ってたよ。ローレンシアから来たって」
それを聞いてフィリップは明るい金色の瞳を瞠る。
「……モーリス? どのモーリス?」
「婚約者を奪われたって言ってたよ」
「あー……」
コニーはフィリップの表情を観察した。どうやら知り合いというのは嘘ではなかったらしい。フィリップは眉根を寄せて何かを思い出そうとしているように見えた。
「奪われた? 意味がわからない。何故そうなる?」
「心あたりないの?」
「ないね」
そう言って肩をすくめると、長椅子にどっかりと座り込む。
……けど、何か様子が変にも見えるんだけどな。
コニーはそう思いながらもそれ以上追及しなかった。
「……まあそうだよね。面倒くさいこと嫌いそうなフィリップがそういうことするかな、とは思ったけど。わざわざ訪ねてくるんだから何かあるんじゃないの?」
「さあ?」
フィリップはとぼけたように肩を竦めたあとで、少し考え込む仕草をする。
「俺はしばらく王宮に滞在する羽目になりそうなんだが、あいつらまた来るだろうな。何なら一緒に王宮に行くか?」
いやいやいやいや。由緒正しい庶民をいきなり王宮に連れて行くとか言われても。
コニーは慌てて首を横に振る。
「大丈夫だよ。最悪エグバート呼ぶし。教わった魔方陣もあるでしょ?」
エグバートはフィリップの使い竜だ。毎日餌をあげているコニーには懐いているので、多少の言うことなら聞いてくれる。
それにフィリップに教わった素人でも使える魔方陣を発動させる呪文も覚えている。
「確かにな。エグバートはお前の言うことはちゃんと聞くからな。なら大丈夫か」
フィリップは布袋に本や占いの道具を詰め込み始める。どうやら本当に道具を取りに戻ってきただけらしい。
「……絶対に奴らに関わるなよ? おまえに何かあったら師匠が隣国を滅ぼすぞ?」
フィリップの師匠リチャード。先代の『大魔法使いフィリップ』だ。今は弟子に名前を譲って放浪の旅をしている。実は最近判明したコニーの実の父親だ。
「え?」
リチャードは魔法も腕力も飛び抜けた人物で、どうやら今の『大魔法使いフィリップ』の評判は二人のフィリップが合わさったものらしい。
だけど、一人で一国を滅ぼすとか……さすがにない……よね?
コニーが考えていることがわかったかのように、フィリップはすっと目を細めて真面目な顔を作る。
「甘い。あのおっさんはおまえが思ってるより百倍はヤバい男だぞ?」
「ほー? ずいぶんな物言いではないか、弟子よ」
いきなり割り込んできた声に、コニーとフィリップは揃って天井を見上げてから、裏口の前に居る人物を発見する。
腕組みをしてそこに立っていたのは、傭兵と言われても信じてしまいそうな風貌の大柄でたくましい肉体と、獅子の鬣のような黒髪の持ち主。
フィリップの師匠リチャードだ。外見は三十歳代に見えるが実際は軽く六十歳をすぎているらしく年齢不詳。
「師匠? 本当に師匠ですか?」
ぽかんとした顔でつぶやくフィリップ。
「師匠が何も壊さずに入っていらっしゃるなんて……明日は崖崩れが起きるんですか」
だよねー。今まで天井ぶち抜いて入ってきてたよね。
コニーも思わず頷いてしまった。
「あ? たまにはそういうこともあるだろうさ。息子に贈り物を渡そうと思ってな」
そう言いながらコニーに目を向ける。
「僕?」
「おまえもそろそろ自分の使い竜がほしいだろう? ほれ」
ひょいと渡されたのはコニーの腕の中にやっと抱えられる大きさの塊。それが小さな竜が丸まっているのだと気づいてぎょっとした。
いやそろそろ自分の使い竜って……。
白銀の鱗の小さな竜はまだ雛のようで、コニーを大きな青い瞳で見つめてくる。可愛いけれどどうしていいのかわからない。
「……え?」
「エグバートと同じだ。毎日世話をしてやっていればお前に懐くだろう」
「……世話って……ご飯とか?」
「そうそう。そいつの名前はオーガストだ。エグバートを手懐けたのなら楽勝だろう?」
「楽勝って……でも僕は……」
魔法使いになるつもりもないし、ずっとここに居るわけじゃないのに。自分の竜なんて与えられても……。
コニーの戸惑いに気づいたようにリチャードはふっと口元を緩める。
「因果なことだが、おまえさんには魔法使いの素質がある。竜を手懐けるなら従魔の才能もあるはずだ。将来何をするにしても、まずは持っている才能を伸ばすのもいいんじゃないか?」
素質がある? フィリップのような魔法使いになれるんだろうか。
コニーは手の中に抱えた竜を見て、それからリチャードに向き直る。
「……魔法を教えてくれるの?」
「というより、もう教わっているだろう? この家にある魔法陣はお前が発動させているようだが? それができるならそこらの魔法使いよりよほど優秀だぞ?」
コニーはフィリップを横目で睨んだ。
最近フィリップから魔法陣を書かれた紙を渡されて、呪文を覚えるように言われた。
そうすれば素人でも魔法が簡単に使えるようになるから便利だと。そう教わっていた。
もしかして、魔法陣を発動させるのって素人じゃ無理だったの?
「今この家にかけられているのは上級の防御結界だ。物理無効、全魔法無効なんてごついのはそこの弟子でも滅多にやらんぞ? 疲れるからな。だから普段は天井の防御が弱いんだが、今日はガチガチに張ってあったからな」
だから今日は裏口から入ってきたんだ、とリチャードが呟く。
どうやらさっきコニーが発動させた防犯強化用の魔法が天井にも効いていたらしい。
だから屋根をぶち抜いて入ってこられなかった……ってやっぱり今日も家を壊す気だったんじゃないか。
「それってフィリップが僕が使えるように素人向けの魔法陣を作ってくれたんじゃ……」
コニーが玄関脇に掛けられた魔法陣を指さすと、リチャードは声を上げて笑う。
「いくら魔法陣があっても、使い手に力がなきゃただの紙切れだ。その魔法陣はフツーにかなり上級のやつだぞ?」
コニーは思わずフィリップを睨んだ。
「それを魔法素人の僕にやらせてたの? 失敗してたらどうするつもりだったんだよ」
フィリップは不満そうに眉間に皺を寄せる。
「普通の奴があの魔法陣に触れても何も起こらない。そもそも素人でもバンバン魔法使えたら危ないだろうが」
「……それはそうだけど……」
「お前ときたら息を吐くより自然に魔法使ってるから気がつかねぇんだよ。普通の人間は他人の使い竜を手懐けられないし、魔法陣を渡されただけで上級の全属性魔法を発動させたりしねぇからな? そんな規格外は俺の知る限り、そこにいる師匠だけだ」
「フィリップはできないの?」
「全属性の同時発動なんてできねーよ。そもそも俺は治癒系と遠見と未来見が専門だ」
「まあなあ。魔法使いによって、得手不得手はあるからな。こいつの魔法は未来見に特化してるからな。それだけなら俺より上だ」
リチャードはそう言ってフィリップの言葉を肯定する。
「おまえの魔力は師匠そっくりだからな」
コニーは気づきもしなかった自分の力に驚いてしまった。
そんな力が自分にあるとは思いもしなかった。ふと腕の中に抱えた竜と目が合った。
この子を使い竜にできるほどの魔法使いに……。
「……じゃあ、僕は魔法使いになれる……?」
フィリップは眉を寄せて呆れたように答えた。
「なれるというより、魔法使いの資質はほぼ生まれつきだからな。足りないのは知識と技術だけだ。……俺の弟子になる気はないと言っていたが、それなら師匠に直接教わるか?」
「それはそれでも構わんが、俺は可愛い息子が弟子になったりしたらもう滅茶苦茶甘やかしてしまって、仕事にならなくなる自信があるぞ」
フィリップは恨めしそうな目でリチャードを見た。
「まったくあなたと来たら……」
フィリップは不意に声を低めた。
「……モーリスがこの町に来ているようです。そろそろこの家も潮時かもしれない。だったらチビすけをあなたが預かってくれた方が……」
「モーリス? ああ、アリンガムのくそガキか。何しに来てるんだ今さら」
アリンガム……?
コニーは首を傾げた。
「アリンガムって、たしか、金鉱があるので有名な?」
「よく知ってるな。モーリスはアリンガム公爵の息子だ」
暇なときにフィリップの書棚からいろいろと本を拝借しているとは言えずに、コニーは曖昧に人に聞いた、と誤魔化した。
「婚約者をフィリップに奪われたって言ってたんだけど……どっちなの?」
コニーは首を傾げて二人の魔法使いに問いかける。リチャードも昔はフィリップと名乗っていたので、場合によってはどちらが恨まれているのかわからない。
「師匠……かな?」
「だよなあ……。けど、なんで今さら……」
「今さらってことは大昔のことなの?」
コニーがさらに質問すると、二人は顔を見合わせた。
「……そうだな、ちょうど十三年くらい前の話だ」
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