第3話
村はずれの家に住む大魔法使いフィリップにはいくつもの伝説がある。そのうち一つが歳を取らない、というものだ。
見かけは二十歳代だが、先々代の国王時代から名前が記録に残っているから見た目通りの年齢ではないらしい。
「あんたって歳いくつなの?」
そのフィリップの家に居候し始めた直後、コニーは直球で尋ねたことがあった。
「いくつに見えるんだ?」
そんな酒場にいるお姉様方みたいな質問返しに、閉口した記憶がある。
「それに、魔法使いの評価は年齢じゃないだろう」
そう言ってフィリップは赤い髪をなびかせて、さっさと遊びに出かけてしまった。
フィリップは腕のいい魔法使いだ。それは認めてもいい。いくら外見チャラくてぐうたらで人としてダメでも。
けど。何で母さんはあんな奴を好きになったのかなあ。
村で買い物をした帰り道、コニーはふとそんなことを思った。
コニーは父親の顔も知らずに育った。亡くなる前に母は父親の名前をやっと教えてくれた。
大魔法使いフィリップ・アスキス。
けれど、やっとのことで家まで訪ねてきたコニーを見て、フィリップは身に覚えがないと言い切った。
それなら認めるまで粘ってやると決意してフィリップの家に強引に住み着いた。そんなコニーを周囲の人たちはフィリップの弟子だと思っている。
だけど、時々不安になることもある。
もしかして、自分の父親はフィリップではなくその名前を語った詐欺師だったのかもしれない。そう思うのは自分と彼の容姿に何一つ似たところがないからだ。
そうだったら……置いてもらう理由さえなくなるじゃないか。
扉を開けたとたん、部屋が狭くなりそうなくらいの長身が仰向けで床に伸びていた。
「何やってんの?」
「死んだふり」
家に帰るとフィリップが死んだふりをしていた。赤い長い髪が広がってまるで血だまりのように鮮やかで、さらに両手を胸の上で組み合わせてご丁寧に花まで添えている。
いや、死んだふりなら喋るなよ。というかとても邪魔なんだけど。
「とりあえず邪魔だから踏んづけていいよね? 特に顔」
コニーがそう言うと、フィリップはもそもそと身を起こした。
「容赦ないなお前……。これからとてつもない災厄がやってくるぞ。覚悟しておけよ」
見れば机の上に書類と星見に使う道具が散らばっていた。星見の結果でも悪かったんだろうか。
「災厄?」
「……師匠が生きていた」
「へー」
コニーは何の興味もなかったのでそう答えた。フィリップが何歳なのか知らないが、その師匠となれば更に高齢だろう。存命だとは知らなかった。
「けど、師匠が生きていたのが災厄……?」
意味がわからない。そう思った瞬間、轟音とともに家の中に何かが落ちてきた。
まばゆい光の塊のように見えたが、それが徐々に人の形に収束していく。そこに立っていたのは逞しい大柄な壮年の男だった。黒い髪を獅子の鬣のように伸ばして、厳つい顔には髭を蓄えている。身に纏っているのは胸当てのついた武装で背中には大きな剣を背負っている。
魔法使いというより傭兵みたい……だけど、まさか。
「……お久しぶりです、師匠。とっくに南方で魔獣の晩御飯にでもなったのだと思っておりました」
フィリップが心底嫌そうな顔でそう告げた。男はにやりと笑うとえらそうにふんぞり返った。
「久しぶりだな、不肖の弟子よ。さぞかし腕を上げて強い結界を張ってあると期待していたが、割とあっけなかったな。修行が足りんぞ」
それを聞いてコニーは天井を見上げた。見事にぽっかりと大穴が開いて青空が見えていた。
結界どころか天井までぶち破ってるじゃないか……。
「……ん?」
黒髪の男がコニーを見つけて身をかがめてきた。間近で見ると男の瞳は鮮やかな緑色だった。
……この緑色、どこかで見た気が……。
「なんだアンブローズ、いつ子供ができたんだ?」
「そんなわけないでしょう。ただの居候ですよ」
アンブローズ? 聞き慣れない呼び名にコニーが戸惑っていると男がにやりと笑った。
「居候ねえ、お前が弟子を取るとは意外だな」
「弟子じゃありませんよ。コニー、この男はリチャード・フィリップ・アスキス。俺の師匠だ」
「……フィリップ?」
「おうよ。びっくりしてるからには、こいつの名前も知らないんだな? こいつの正式名はアンブローズ・フィリップ・アスキスだ。紛らわしいからこいつを養子にしてからは名前を譲って俺の方がリチャードと名乗っている」
……そうなの? コニーは驚いたけれど納得した。
フィリップの師匠も同じ名前だったのか。つまり大魔法使いフィリップの不老不死疑惑は師匠の功績がごっちゃになっていたってことじゃないんだろうか。
コニーは黒髪の男を見上げた。とりあえず挨拶は大事だ。
「初めまして。コンラッドです。よろしくお願いします」
一礼するとリチャード師匠は感動した様子でコニーを見つめていた。
「えらいぞ、ちゃんと挨拶できるんだな。しっかりした坊主じゃないか。いっそ弟子にしちまったらどうだ?」
「本人がなる気がないって言ってるんです。そもそも養育費の請求に来たんですよ」
「養育費? なんだ、やっぱりお前の子なのか?」
「そんなわけないでしょう。この子が生まれた頃、俺はまだこの国にはいなかったんですから」
コニーはそれを聞いて驚いた。母は父と王都で会ったと言っていた。身に覚えがないとは言われたけれど、本当に可能性がなかったとは思いもしなかった。
じゃあなんでこの家に置いてくれたんだろう。帰る場所がない孤児に同情してくれたんだろうか。
てっきりこの人が自分の父親なんだと思っていたから、ずいぶん生意気を言いたい放題だったのに、追い出したりもしなかった。甘やかしてもらっていた。
どうしよう、一人で騒いでバカみたいじゃないか。それならもうここを出て行かないと……。
コニーがそう思っていると、フィリップがいきなり鼻をつまんできた。
「何落ち込んでるんだ、チビすけ」
「痛った……何するんだよ」
明るく輝く金色の瞳を真っ直ぐに向けて、フィリップはにやりと笑った。
「コニー、師匠に聞いてみるといい。サンドラという女を知っているかどうか」
「……え?」
コニーは思わず黒髪の魔法使いに振り向いた。リチャードは驚いた様子で目を見開いていた。
「サンドラだって?」
「サンドラ・ハートは僕の母です。半年前に亡くなりました」
「……何てこった。てっきり振られたんだと思ってた。お前さん、サンドラの子なのか」
「はい……亡くなる前に魔法使いフィリップが父親だと言われて……」
「どう見たってあなたの子でしょう? 髪の色も瞳の色も全く同じだし。師匠の不始末は弟子の責任だろうと思って、ここに置いていたんです」
コニーはそれでやっと思い出した。この人の瞳の色は鏡に映る自分のそれと同じなのだと。
母さんは欺されたんじゃなかったんだ。当時同じ名前を名乗っていたフィリップの師匠リチャードが父親だったってこと?
フィリップはそれに気づいていたから僕に出ていけとは言わなかったのか。
「本当に……僕の……?」
思わずまじまじと相手の顔を見上げていると、いきなり地面から引き剥がす勢いで抱き上げられた。
あらためてコニーの顔を見つめると、リチャードは少し寂しげに笑った。
「そうか。確かにサンドラによく似ている。……そうか。亡くなったのか。歌が上手ないい女だった……すまんことをした」
「え? それじゃ……」
リチャード・フィリップは大きく頷いて、懐かしい出来事を思い出しているかのように穏やかに言う。
「……俺はサンドラに求婚するつもりだった。ただ、事情があってしばらく会えなかった間にサンドラは姿を消していた。愛想を尽かして出ていったんだと思った。ずっと放ったらかしにして悪かった。よし。それじゃこれから一緒に旅をするか? 面白いところに連れて行ってやるぞ」
勢いよくぐるんぐるん振り回されて、コニーは目が回りそうになった。
展開が速すぎてついていけない。
母さんが言っていたのは本当だった。自分の父親は魔法使いフィリップだった。
だけど……僕が知るフィリップじゃなかった。
それが少し残念な気がするのは、今まで一緒に暮らしてきたせいだろうか。
「あの……せっかくですけど、お断りします。エグバートは僕がご飯あげないといけないし、フィリップは放っておくと家の中を散らかし放題ですから……」
フィリップの使い竜エグバートの世話はコニーの仕事だ。それに、生活能力皆無のフィリップを放っておいたらどうなることか。
「……」
それを聞いてリチャードはピタリと足を止めた。コニーをやっと解放すると、フィリップに振り返る。
「聞いたか? さすが俺の息子だ。なんて立派なんだ」
「そうですね。父親似でなくて良かったですね」
リチャードは辛辣に言い返されても気に留めずにコニーに笑顔を向ける。
「……仕方がない。本人がそう言うのならフィリップの世話を任せよう。今後はたびたび会いに来るから、またサンドラの話を聞かせてくれ」
「わかりました」
コニーは緊張気味に頷いた。いきなり父親が現れたせいで、気持ちの整理がついていない。少し時間が欲しかった。
「それじゃ、また来る。息災でな、二人とも」
そう言うと彼の全身が光を帯びた。それと同時に轟音とともに屋根を突き破って飛んでいった。
辺り一面に散らばった屋根材の破片と、天井に開いた二つの穴を見てコニーは呟いた。
「何で来た時と同じ場所から出ていかないのかな。そしたら二つも穴開かないのに」
「そういう人なんだ。諦めた方がいいぞ」
フィリップは杖を一閃させて呪文を唱える。するとあっという間に天井の穴は元通りに塞がった。
それから少し俯いたまま、ぽつりと告げてきた。
「……すまなかったな。師匠が生きてるかどうかわからなかったから、お前に本当のことを言えなかった」
フィリップは少し疲れた様子で微笑んだ。
コニーは首を横に振った。謝ってもらうほどのことじゃない。
「けど、聞いていい? フィリップって歳いくつなの?」
「正真正銘二十六歳だ」
「えー? フツーじゃん」
見かけ通りの年齢だったことに、コニーは逆に驚いた。
フィリップは大きく頷くと勢いよくまくし立てた。
「普通だよ。あのクソ師匠が異常なんだよ。あれで六十歳過ぎてるとかありえねーだろ。魔法使いは引退したって言いながら、あの歳で魔獣狩りしてるんだからな」
「六十?」
全然そんな歳に見えない。しかも魔獣狩り。コニーは突然現れた父親が、フィリップよりもとんでもない人物だったことに複雑な気分になったのだった。
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