ローレンシアの黄金の病葉~偉大なる魔法使いの弟子の物語~

春奈恵

第1話


 初めて目にした大魔法使いフィリップは鮮やかな赤髪が印象的な優男だった。

 こちらが明らかに子供だと見て取ると不機嫌そうに眉を寄せる。だから、こっちもムキになって強気に告げた。

「大魔法使いフィリップ。僕はコンラッド・ハート。あんたの息子だ。今まで放って置いた分の養育費と母さんへの慰謝料、耳を揃えて払ってもらおうか」

 相手がどう見ても二十歳代半ばの若さで、しかも自分と何一つ似ていないことも一瞬で見て取れたけれど、ここで引くわけにはいかない。

 コニーは緑色の瞳にできる限りの感情を乗せて相手を睨んだ。

 ……母さんはこの男を僕の父親だと言い残して逝ったんだから。


*  *  *


「どうか、大魔法使いフィリップ様、俺を弟子にして下さいっ」

 その男はずいぶん長いこと人の家の玄関先で頭を床にこすりつけるように土下座していた。

 相手がとっくに目の前から消えて、昼寝の続きを始めていることにはまだ気がついていないようだ。

「旦那。あれ、ほっといていいの?」

 コニーの問いかけにフィリップは手だけで羽虫を追い払うような仕草をした。

 顔の上に拡げた本を載せて、長椅子の上にだらしなく寝そべっている。鮮やかな長い赤髪が床に流れ落ちていた。

 そりゃあ昨日は遅くまで酒場で綺麗なお姉さん方と飲んだくれてたんだから、眠いんだろうね。野郎の大声なんか聞きたくないよね。

 だーけーど。断るなら自分で言えよ自分で。全くもう。

 コニーはうんざりと緑色の瞳を細めると、男の前に立った。

「今日のところは帰りなよ、お兄さん。もう日が暮れるよ?」

 国境近い村の更に外れにある魔法使いフィリップの住まいに本日いきなり押しかけてきたのは、二十歳そこそこの頼りない風貌の優男だった。

 確かこの男、村の雑貨屋の息子だ。買い物に行ったとき見かけたことがある。

 お客がいる前で店主にしつこく金を無心していた。コニーのような子供にもわかるダメな大人だ。

 何でまたフィリップの弟子になんてなりたいのか。ダメ人間はダメ人間を呼ぶのか。

 コニーはちらりと長椅子で寝ているフィリップに目を向けた。

 フィリップは高名な魔法使いだが師匠には向かない。

 腕は確かで見目はいいけどがさつで女癖は悪いし大酒飲みだし鼾もうるさい。生活能力は人の面倒を見るより世話が必要なくらいだ。

 こんな人を師匠にしたいとか、よほどの変態じゃないだろうか。

「やめたほうがいいよ。フィリップは弟子はとらない」

「君は弟子じゃないのか? 見たところまだ十歳かそこらだろう。だったら俺だって……」

 男はコニーを無遠慮に見てきた。明らかに小馬鹿にしている態度だ。

「馬鹿にしないでくれる? 僕はあの人の弟子になるほど落ちぶれてないよ。あと、僕は今年で十三歳だ」

 コニーは立ちあがった。そろそろ自分の仕事に戻らなきゃならない。来客の面倒は主人が見るべきだ。

「おい、チビすけ。エグバートの飯は?」

 長椅子から横柄な声が飛んでくる。

「これから行くところだよ」

「じゃあ、その男にやらせろ。ちゃんとできれば弟子にしてやる」

 男が嬉しそうに顔を上げた。

「えー? また?」

 コニーは不満たっぷりに言い返すと、仕方なく傍らにあった麻紐で編んだ帽子を男に手渡す。

「なんだこれは?」

「防具みたいな? やばいなーって思ったらこれを被れば大丈夫」

「やばい?」

 男は帽子をのぞき込んで首を傾げている。

 まあ、百聞は一見にしかず、だよね。


 コニーはフィリップの弟子ではなく居候だ。生活能力が壊滅的なフィリップに代わり家事全般を引き受けている。

 そして、中でも一番大変なのがエグバートの世話だ。

「この扉から出入りできるから」

 黒檀でできた扉を通り抜けると、そこは町から遠く離れた大きな洞窟に通じていた。魔法で別空間に繋げているらしいけれど、詳しい仕組みはコニーにはわからない。

 何しろ家の中にはあちこちに通じているドアが沢山あるので、疑問に思っていたらやっていけない。

 傍らに置いてあった燭台に火を点すと、男に振り返った。

「あなたに頼みたいのはこれね。エグバートの食事。フィリップの従魔だよ」

 コニーは山盛りに野菜や草を詰め込んだ大きめの籠を指し示す。

「なあ、そのエグバートって、どんなやつ? 草食動物なのか?」

「そう。基本的に草食。ただし、干し草とかは嫌い」

 枯れたり乾いた草の匂いはむしろ苦手。だからあの帽子を渡したのだ。

「待ってくれ、これって毒草じゃないか?」

 男は草の山の中から黄色い花を見つけて指さした。

「大丈夫。むしろそれ、好物だから」

「……一体どんな生き物なんだ?」

 男は草が入った籠を持ってコニーのあとについてくる。洞窟の奥は大きな空洞が広がっていた。

 上に向かって吹き抜けのように開いている。まん丸の空から傾きかけた太陽の日差しが差し込んでいた。

 そんな大きな箱庭のような空間には何もいなかった。

「……あれ? 何もいないじゃないか」

「すぐ戻ってくるよ。今のうちに掃除しとこう」

 コニーはそう言いながら散らばった木の枝などをホウキで片付けた。

「なんだ。楽勝じゃないか。これで俺も魔法使いの弟子だな」

 男は気が緩んだのか手近な石に腰掛けて足を組む。

「まだ終わってないよ。大体なぜ魔法使いになりたいの?」

「いや、店の金を使い込んだのが親父にバレてさ。地道に働くのなんてめんどいし。魔法なら楽に金儲けできそうじゃん。だって、フィリップはいつも女連れで飲み歩いていて金払いもいいって噂じゃないか。魔法って儲かるんだろ? それとも魔法で金貨を作ってるとか? どうなんだ?」

 下世話な笑いを浮かべている男を見ながらコニーはこっそり溜め息をついた。

 やれやれ。楽して稼ぎたいって? こりゃダメだ。

 コニーは首にかけていた土笛をくわえると、空に向かって吹き鳴らした。

「エグバート。ご飯持ってきたよ」

 不意に周囲が真っ暗になった。真上に巨大な影が差したせいだ。

「え? 何だ?」

 ゆっくりと降りてくる大きな翼と尻尾、長い首のシルエットに男が慌てた様子で立ちあがる。

 コニーは岩場の隅にある取っ手に手をかけた。

 大きな翼が振り下ろされたびに、洞窟の中に強い風が吹き荒れる。

 男は吹き飛ばされて背中を岩に打ち付けていた。

 やがて目の前に降りてきたのは、牛の十倍以上ありそうな巨大な生き物。溶岩のように光を帯びた深紅のうろこ、鋭い牙の並んだ大きな顎。

「何なんだ、これは」

 男はすっかり逃げ腰になって、出口をキョロキョロと目で探している。

「ドラゴンだよ。エグバートは一旦地上に降りたら歩き回るのは嫌いだから、その籠を口の前に運んであげないと不機嫌になるよ。運んでくれる?」

「無茶言うなよ。どう見たって肉食だろうが。さては俺を餌にするつもりだな?」

 コニーはやれやれ、と肩をすくめた。

「人の話、聞いてた? 外から見ただけで決めつけちゃダメだよ。フィリップだって一見クズだけど、たまにはめっちゃ嫌そうにちゃんと仕事してるんだよ? あんたみたいに働かず親の金せびってる奴が楽して儲けたいから魔法使いになるなんて無理に決まってるじゃん。もう帰ったら?」

「何だとこのクソガキ……」

 そう言いかけたところで、エグバートが大きく吠えた。空気が大きく震えて、岩が崩れてパラパラと散り落ちてくる。

 男は悲鳴を上げて来た道を逃げ出した。

 あの調子なら二度と訪ねてくることはないだろう。

「やれやれ。この帽子被ってたら噛まれることないのに」

 コニーは男が落としていった麻の帽子を拾い上げてそう呟いた。都合のいいことしか耳に入らないようだから、無駄かもしれないけれど。

「ご苦労様。いい勢いで帰っていったなー」

 そう言いながらふらりとやってきたのは、さっきまで長椅子で寝ていた魔法使いだ。

 すらりとした長身と長い赤髪と金色の瞳。見ているだけなら鑑賞に値する整った顔立ち。けれど普段の態度を知っているコニーにはまったく魅力的には思えない。

「いい加減に僕を悪者にするのはやめてよね。いい大人なんだから、ちゃんと自分で断りなよ」

 しつこい弟子志願者を追っ払うのはコニーの役目になっていた。ドラゴンだと言わずにエグバートに会わせるだけの簡単なお仕事だが。

 まあ、エグバートを見たらみんな素直に帰ってくれるんだけど。何であんなに怖がるのかなあ、草食でこんなにおとなしいのに。

「素質のないヤツを弟子にしても、お前より役に立たないだろう?」

 ヘラヘラと笑いながら、そのまま彼がコニーの頭を小突こうとしてきたとき、赤いうろこに覆われた尻尾が彼の頭上に降りてきた。

 間一髪よけたけれど尻餅をついた自称大魔法使いはエグバートに怒鳴った。

「あぶないだろ。エグバート。いきなり何するんだよ」

 エグバートは口をパカッと開けて威嚇してきた。笑っているようにも見える。

「ったく、ホントにこいつ、主人を主人と思ってねーし」

 エグバートはフィリップが師匠から譲り受けたドラゴンだという。ちゃんと契約しているはずなのだが、あまり懐かれていない。だから世話をコニーにおしつけている。

「ドラゴンには人間の本質がわかってるんだよ」

 コニーは持ってきた籠をエグバートの前に差し出す。

「遅くなってごめんね。今日はキンポウゲ入りだよ」

 コニーがそう話しかけると、エグバートは鼻先をコニーの手にすりつけてくる。ゴツゴツとした岩のようなドラゴンの顔を撫でてやっていると、不満げなフィリップの声が聞こえてきた。

「お前ならエグバートを怖がらないし、懐かれてるし。弟子になってくれれば楽ができるのに」

 実はコニーが初めてフィリップを訪ねてきた時も、エグバートに餌をやってくるように言われたのだ。面倒だから脅して追っ払うつもりだったんだろう。

「弟子になるより、ちゃんと認知して今までの養育費払って欲しいんだけど」

 コニーが魔法使いの家に居座っているのはそのためだ。けれど、フィリップは頑として認めない。

「だから、俺には身に覚えがないって言ってるだろ」

「けど、母ちゃんがあんたが父親だって言ってたんだから」

 コニーのただ一人の身寄りだった母はそう言い残して世を去った。

 だから王都からこんな田舎の村まで彼を訪ねてきた。自分たちを放ったらかしにしてきた父親から慰謝料と養育費をぶんどるためだ。

 初めて会ったとき、フィリップの若さに驚いたけれど、魔法使いの多くは年齢不詳だと聞いていたので、おそらく見た目を誤魔化しているんだろうと思った。

「やーめーろー。俺は永遠の二十歳なんだから。そんなでっかい子供はいーまーせん」

 全くもう往生際の悪い。

 彼は頑としてコニーのことを認めようとはしない。だから認めてくれるまでは居座るつもりだ。養育費をもらうまで生きていてもらわなくてはならないので自堕落な生活態度も改善させようと思っている。

 まあ、フィリップの家は面白い書物がゴロゴロ転がってるし、食べ物には困らないし、エグバートだって可愛いからいいんだけど。

 カラカラと呼び鈴の音がした。また来客らしい。

「また弟子入りだったら、今度こそ自分で断ってよ。さもないと今日からご飯は三食キノコ尽くしにするよ?」

 それを聞いて大魔法使いは盛大に顔を顰めた。

「何でお前は俺の嫌いな食材をことごとく知ってるんだ。魔法使い虐待だよ……」

 フィリップはグズグズ言いながら家へ戻っていった。

《やれやれ。困った奴だな》

 背後から聞こえてきた唸るような響きの声が言葉に変換されてコニーの耳に届く。

《教えてやらんのか? ヤツのキノコ嫌いを誰に教わったのか》

 コニーは赤い鱗のドラゴンに振り向いた。

 何故か最初からエグバートの言葉がわかるのは、フィリップには内緒にしている。

「それは僕とエグバートだけの秘密だよ。……それに、フィリップは親父かもしれない人なんだから、きちんと好き嫌いのないように躾け直さないとね?」

 そう言うとドラゴンの口から奇妙な声が漏れた。どうやら笑っているらしい。

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